著者
猿田 佳那子
出版者
同志社女子大学
雑誌
総合文化研究所紀要 (ISSN:09100105)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.76-88, 2009-03-31

本報は、2002 年から現在までに筆者がおこなってきた事例研究のうち、入学式、卒業式、結婚式など「ハレ」の場にふさわしい服装を求めた被服構成をとりあげるものである。各事例について、障がいの概要を述べ、衣生活上の困難を整理し、実際に行った被服構成を述べ、当事者や家族などから得た情報をもとに車椅子使用者の社会活動を支援するための被服構成の特質を考察した。その結果、被服構成に必要な技術は、いわゆる健常者の衣服をとりあつかう場合と変わらないが、不都合な点や要望を聞き取り、それを被服構成に反映するにはいくつかの特異性が認められる。そこで、被服構成技術と衣生活環境の側面から留意点をまとめた。上半身着については座面以下の処理方法とアームホール寸法の拡大が重要であること、女性の下半身着については巻きスカート形式の特長が明らかになった。女性の「ハレ」着の定番である和装は、関節可動域が小さくなった人にも無理なく着用できる要素を持っている。本報にかかわる調査をとおして、衣服の持つ社会的な機能を実感し、「ハレ」の場にふさわしい服装の用意があるということが、各個人の尊厳にかかわることを再認識した。
著者
猿田 佳那子
出版者
広島女学院大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1995

本研究の主たる調査対象は、日本占領時に収集された瀬川幸吉コレクションと、台湾総督府が中心となって残した記録類である。台湾では、17世紀以来支配勢力の興亡がくりかえされたが、1895年にはじまる日本占領期間中は、山岳地域や離島に住む先住民をも統治下においた。現時点では本研究の概要をまとめるには至っていないが、外界との接触による影響のうち、特筆すべきものをつぎにあげる。1.素材の移入:交易が開放的である民族ほど、織技の衰退が著しい。首狩の風習を残していたタイヤル族や離島に住むヤミ族では、自生の繊維を用いた剛直な織物がもちいられた。パイワン族やアミ族では交易によって木綿、モスリンなどがもたらされたことがわかる。これは肌触りがなめらかで発色もよいという理由から、日本でも同様な経過をたどったことと対比できる。また、独自の染色技術の発達がみられず、一枚の布のうち、赤は毛、青は綿、白は麻を交織している物が少なくない。これらは、毛布、藍木綿を交易によって入手し、解して自生の麻に混ぜて織った物とみられる。2.衣服の受容:家族や地域住民の集合写真をみると、子供は日本のキモノらしいものを着用している例が散見する。浴衣が支給されたり、日本から派遣された公務員の妻たちが、手縫いやミシン縫いを教えたという記録もある。男性は立襟の軍服風のものや帽子を着用している。当時の彼らが持っていた日本服観、漢満族服観、洋服観はどのようなものであったろうか。3.身体変工:満族の習慣であるところの弁髪を採用している肖像写真が目を引く。入れ墨の習慣もあったが、入れ墨が一時的な加工であるのに対して、頭髪は自然にまかせれば弁髪状態を保ち得ないのであるから、継続的にこうした理髪を続けていたことになる。