著者
田中 ふみ 井上 潤一 中村 武人 松村 陽子 前田 倫
出版者
一般社団法人 日本ペインクリニック学会
雑誌
日本ペインクリニック学会誌 (ISSN:13404903)
巻号頁・発行日
vol.24, no.4, pp.341-344, 2017-10-25 (Released:2017-11-08)
参考文献数
12

がんへの放射線治療により発生する口内炎などの粘膜炎の薬物治療には,抗炎症薬や局所麻酔薬の含嗽,非ステロイド性抗炎症薬や麻薬などの鎮痛薬があるが,その効果は十分といえない.粘膜炎による痛み,感染,栄養状態の悪化のために放射線治療を中断することは予後に直結するため,新たな治療薬が期待されている.今回,放射線治療による肺腺がん患者の食道粘膜炎と頬粘膜がん患者の口内炎に対し,桔梗湯を使用することで症状の改善を認め,放射線治療を完遂した症例を経験した.桔梗湯は桔梗と甘草からなる漢方薬であるが,桔梗・甘草それぞれに抗炎症,抗潰瘍効果があることが報告されており,桔梗湯にも同様の効果があると想定され,放射線性粘膜炎に対する有効な支持療法になりうると考えられる.
著者
小林 浩子 田中 ふみ子 松田 知明
出版者
羽陽学園短期大学
雑誌
羽陽学園短期大学紀要 (ISSN:02873656)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2, pp.131-141, 2016-02

本稿では、前稿に引続き、大正15年「幼稚園令」制定期から昭和戦後期までのわが国の幼稚園・保育所の成立過程と制度の変遷と山形のそれとを比較し、検証することを通して、本県の保育の特徴について検討した。その結果、全国と比較して大正末期・昭和前期・戦中期・戦後期までの幼稚園の設置数は全国に比べて低いこと、増加はほとんどみられず一定数を保ってきたこと、その一方で保育所は、農村地域の乳幼児の託児所と幼稚園機能を併せ持つ施設として地域の共稼ぎ家庭を支えてきたことなどがわかった。このような状況は、本県が独自の「幼・保一元化」の保育を全国に先駆けて実施してきたことをあらわしており、後の時代の「認定子ども園」普及への布石となったと考えられる。
著者
松田 知明 田中 ふみ子
出版者
羽陽学園短期大学
雑誌
羽陽学園短期大学紀要 = Bulletin of Uyo Gakuen College (ISSN:02873656)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.71-87, 2015-02-01

本研究では、青木マサが設立した「青木幼稚遊戯園」の設立沿革及び運営について検討した。その結果、青木マサが施設を運営する過程で、託児的機能とともに、教育の重要性を強く認識し、その後幼稚園と保育所を併設するという運営を行ったことを検証できた。この運営は、平成27年度から実施される「子ども・子育て支援新制度」における幼保連携型認定こども園と酷似していると考える。また、これは保育における養護の必要性と保育の教育的機能を充実させるための展開の一形態と考える。
著者
小林 浩子 田中 ふみ子 松田 知明
出版者
羽陽学園短期大学
雑誌
羽陽学園短期大学紀要 = Bulletin of Uyo Gakuen College (ISSN:02873656)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2, pp.17-27, 2016-02-01

本稿では、前稿に引続き、大正15年「幼稚園令」制定期から昭和戦後期までのわが国の幼稚園・保育所の成立過程と制度の変遷と山形のそれとを比較し、検証することを通して、本県の保育の特徴について検討した。その結果、全国と比較して大正末期・昭和前期・戦中期・戦後期までの幼稚園の設置数は全国に比べて低いこと、増加はほとんどみられず一定数を保ってきたこと、その一方で保育所は、農村地域の乳幼児の託児所と幼稚園機能を併せ持つ施設として地域の共稼ぎ家庭を支えてきたことなどがわかった。このような状況は、本県が独自の「幼・保一元化」の保育を全国に先駆けて実施してきたことをあらわしており、後の時代の「認定子ども園」普及への布石となったと考えられる。
著者
田中 ふみ子 松田 知明 小林 浩子
出版者
羽陽学園短期大学
雑誌
羽陽学園短期大学紀要 = Bulletin of Uyo Gakuen College (ISSN:02873656)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.63-70, 2015-02-01

平成27年度からこども・子育て支援新制度が実施される予定である。保育制度が大きく変わるこの時期に改めて、わが国の幼稚園・保育園の成立過程と制度の変遷と山形のそれを比較し、歴史を再検証しながら検討することを通して、本県の保育の特徴について検討した。その結果、全国と比較して明治・大正期までの山形県の幼稚園の増加率は低く、子守学級(学校)が幼児教育の多くの役割を担っていたと推察される。明治後期に青木マサが設立した施設は今日まで続いており、現在の養護施設、保育所、幼稚園を合わせたような機能を持ったものの先駆けとなったと考えられる。本県における明治期から大正期までの幼児教育は、教育的機能よりは託児的機能を持つ施設が普及した。このような成立経過は、その後、本県における幼稚園が普及する素地となったと考える。