著者
矢野 裕俊 岡本 洋之 田中 圭治郎 石附 実 添田 晴雄 碓井 知鶴子
出版者
大阪市立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2001

本研究では、日本の教育において常識とされる問題や事象を諸外国との比較によって、あらためて常識-非常識の対抗軸の中でとらえ直し、そうした常識が世界では必ずしも常識ではないという例が少なくないことを明らかにした。1)異文化理解と国家へのアイデンティティ形成を両立させるという課題は世界各国の教育において重要な関心事とされてきたが、日本では一方において国家を介在させない異文化理解教育の推進と、他方において教育のナショナリズムに対する相反するとらえ方がそれぞれ別個の問題として議論されてきた。2)入学式に代表される学校行事は、集団への帰属意識の形成と結びついて日本の学校では行事の文化が格別に発達した。日本の学校のもつ集団性をこの点から解明する試みが重要である。3)教員研修の文化においても、アメリカでは個々の教員の教育的力量形成、キャリア向上が研修の目的であるが、日本では、教員の集団による学校全体の改善に重きが置かれ、研修は学校単位で行われる。4)歴史教育は、その国の歴史の「影の部分」にどのように触れるのかという問題を避けて通れない。イギリスと日本を比較すると、前者では異なる歴史認識が交錯する中で、共通認識形成と妥協の努力が見られるのに対して、日本では異なる歴史認識に基づいて体系的に記述された異なる教科書が出され、共通認識形成の努力が必ずしも教科書に反映していない。5)戦後日本の大学における「大学の自治」の問題も大学の非軍事化、非ナチ化が不徹底に終わったドイツの大学の例と関連づけて考えてみることによって新たな視点が得られる。
著者
田中 圭治郎
出版者
佛教大学
雑誌
教育学部論集 (ISSN:09163875)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.43-56, 2007-03-01

京都は千年の都であり,政治の中心が江戸に移っても文化の中心として栄華を極めていた。江戸時代の中葉には,経済の中心が大坂へ,また後期には江戸へと移動した後も,町衆の文化への思い入れはたいそう強いものがあった。京都に明治2年に設置された番組小学校は,文部省の明治5年の「学制」頒布より3年先だって作られたものであり,教育の教育が全国的に見てもかなり先駆的かつ内容的に充実していた。しかしながら,番組小学校の経済的負担は京都府に全面的に依存しており,町衆の経済力が設置に貢献したものとは必ずしも言い難かった。その典型的なものが,小学校の維持費を捻出するために各小学校に作られた「小学校会社(明治2年設立)」である。この会社は当初こそうまく機能していたが,明治17年から18年にかけて,各番組において経済的破綻をしてしまい,その役割を京都府に委ねる。初等教育は,文部省の国家統制の手段であったため,何とか維持出来たが,中等教育は宗教団体へ身売りを余儀なくされる。我々が従来考えていた京都市民の活力,教育への願望,文化への希求といった固定した考え方がひっくり返るのである。京都市の公立学校は,国内の他の地域と同様,国の管理・統制・援助の下ではじめてその維持が可能であったことがわかるのである。