著者
田澤 薫
雑誌
聖学院大学論叢 = 第35巻 (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.第1号, no.9152539, pp.1-17, 2022-10-28

興望館セツルメントは,1919年の創設以来,保育事業を実施し,第二次世界大戦が激しくなると,1944年に戦時託児所に転換した。この研究では,興望館セツルメント資料室に保存される戦時託児所時代の保育日誌を用いて,興望館セツルメント戦時託児所における保育内容を明らかにした。戦時託児所制度は,旧来の幼児教育や保育を否定する「戦時託児」をすすめるものであった。しかし,興望館セツルメント戦時託児所では,新たな活動は積極的に取り組まれておらず,警報への対処に追われるなど実質的な活動が行われにくい状況にあった。東京大空襲後に長野県に移転した後は,戦時中であっても,戦時託児所に転換する以前のような保育活動がなされていたことが確認された。
著者
田澤 薫 タザワ カオル
雑誌
2008-2012年度科学研究費補助金(基盤研究(C))研究成果報告書
巻号頁・発行日
2013-06

課題番号: 措置は、児童福祉法の制定による児童保護から児童福祉への転換を象徴する制度である。戦前からの施設が措置施設と規定されたが、従来の方法論は踏襲されず現場に混乱を招く例も少なくなかった。特に保育所は従来の方法論と新制度の齟齬が表出しやすく、児童保護の「託児」から児童福祉の「保育」への転換期に措置制度がもたらした混乱が顕著に見られた。保育所の措置は、placing(適切な居場所を見出す事)に原義を求める理念を継受せず、公的責任を担保するGHQ政策への対策とされたにすぎないことが明らかになった。
著者
田澤 薫
出版者
聖学院大学
雑誌
聖学院大学論叢 (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.15-28, 2013

保育所制度の変革が進んでいる。改革をめぐり措置制度と保育の公的責任の関連が論点の一つであるが,児童福祉法制定前後の経緯を繙くと,保育所保育が措置制度と結びついたのはSCAPIN775への対策に過ぎず,また保育所運営への公金支出が必ずしも保育の公的責任を意味したわけではないことが明らかになった。この点を踏まえれば,変革への賛否両論が保育所利用方法のシステム論に偏ることは本質を欠く。一方で保育の内容については,児童福祉法制定当初から「託児」ではない「保育」の模索が始まり今日までに相応の充実を見ている。保育責任をシステム論からではなく,乳幼児に対する保育内容保障の点からこそ論じる視点が求められる。