著者
田端 健人
雑誌
宮城教育大学紀要
巻号頁・発行日
vol.46, pp.185-192, 2011

教育実践現場の観察に基づく質的研究においては、実践現場を観察するなかで「問い」が生起することが自覚されてきた。本稿の課題は、質的研究の「問い」の固有性を明確化することである。このために本稿は、「問いの現象学」を手がかりとする。本稿では、まず、「問い」のタイプを4つに区分する。「見せかけの問い」「情報収集のための問い」「既知の項から未知の項を割り出す問い」「哲学の問い」である。そして、質的研究では、第二と第三の問いも重要な役割を果たすが、研究の質を深める問いにとって示唆となるのは、第四の問いであることが指摘される。そこで次に、第四の哲学の問いと質的研究の問いとの異同を明確化し、質的研究の問いの固有性を浮かび上がらせたい。その結果明らかになるのは、質的研究の問いは、哲学の問いと同様に、問う者を傍観者にさせず、巻き込んでいくという根本特徴をもつことである。また、質的研究者の「観察の有限性」「感情の曖昧さ」「記憶の間違い」は、観念論的には否定的にしか評価されないが、現象学に基づくならば肯定的に評価される。最後に、こうした問いに対する応答についても考察する。
著者
田端 健人 守谷 繁
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education
巻号頁・発行日
no.54, pp.367-384, 2020-01-30

本稿は、小学校特別活動での話し合い活動を、新学習指導要領の「合意形成」「意思決定」の視点から構想し実施した研究実践の報告です。構想にあたっては、「討議デモクラシー」ならびに「子どもの哲学ハワイ/ みやぎ」の理論と実践を参照し、小学₆年生の学級での児童による民主的討議による合意形成を目指しました。第₁章では、実践者守谷の問題意識として、「学校的なもの」による児童の抑圧の実態とその解放(脱学校化)という課題を記し、第₂章では、話し合いの議題として学級の多くの児童が「朝遊び」を提案したことを述べ、この議題が前記の実態と課題に沿うことを示しました。第₃章では、実践者守谷の問題意識に対し、合意形成や意思決定の話し合い活動をどのように理解し実践するかについて、研究者田端が討議デモクラシーの理論と実践を参照し応答を試みました。こうした事前の検討を経て、どのような特別活動の話し合いがなされたかを、第₄章に記しています。話し合いは₃時間構成で実施されましたが、議論が白熱した第₁時の詳細な記録を掲載しました。話し合いでは、「朝遊びは『本当に』絆を深めることになっているか」の問いをきっかけに、児童たちは本音を語り始め、「絆を深めるどころか逆に学級内のスクールカーストを助長している」という痛烈な批判まで噴出しました。第₅章では守谷の総括、第₆章では田端の総括を記しています。児童たちの批判意識に一定の限界はあったものの、わたしたちが予想した以上に児童は、自分たちの現状を見つめ直し、批判的・創造的・ケア的思考で話し合いを展開し、自分たちの学校生活をより良いものにする意義深い討議になったと総括しました。わたしたちはこの実践の理念と方法を、「討議教育(デリバレイティブ・エドゥケーション)」として提案します。
著者
田端 健人 真竹 健人
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.255-276, 2012

本稿では、ある公立小学校3年生の学級が、前年度の「荒れた状態」から回復していくプロセスを、観察とインタヴューの文字記録によって提示する。まず、この学級が2年生の時の教室の様子と、問題行動の中心となっていた子ども「S君」の様子を描出する。次に、クラス替えを経て3年生になった時、この学級を担任した教師「A先生」の、担任を引き受けるにあたっての覚悟や教育観を、インタヴューをもとに紹介する。そして、3年生になり新しい学級がスタートした時のエピソードを、主に3つ(記録1・インタヴュー6・記録5)提示する。これらのエピソードは、学級みんなの前で、A先生がS君に、叱責と称賛という仕方で強く働きかけた場面であり、S君と学級みんなに変容をもたらしたと考えられる場面である。A先生のこうした働きかけによって、この学級はわずか1カ月ほどで、「荒れた」状態を克服していく。A先生の語りと働きかけは、一般的に流布する教育言説によっても理解可能であるが、それをはみだす独自の実践感覚と言葉遣いを含んでいた。そこで、A先生の語りと実践感覚を、一般的な教育言説を超えて、一層深く理解するために、マルティン・ブーバーの「人間関係の存在論」を参照する。特にクライエント中心療法のカウンセラー、カール・ロジャーズに対するブーバーの批判に着目し、ブーバーの「受容」論を明確化する。そして、これを資料解釈の導きとし、A 先生の語りと働きかけを、心理学的次元ではなく、存在論的次元において理解することを試みる。
著者
田端 健人
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.2007, no.96, pp.97-114, 2007-11-10 (Released:2009-09-04)
参考文献数
23

Es ist eine historische Tatsache, daß viele japanische Lehrer ihr eigenes Schuldasein literarisch dokumentiert haben. Die Bedeutung und Wirkung dieses Dokumentierens, durch das als solches er sich entwickeln konne, waren bishernur empirisch bekannt. In diesem Aufsatz soll also dieses Verhalten anhand derSicht von W. Dilthey und M. Heidegger klar gemacht werden. Urn diese Aufgabekonkret zu erfüllen, nehmen wir als Beispiel das Dokument Tsuneo Takedas, der ein Grundschullehrer war.Takeda hat seine eigene Erfahrung der Entfaltung als Lehrer beschrieben, dieer mit Hilfe des Dokumentierens gemacht hat. Urn die Erfahrung zu beschreiben, benutzt er den Begriff “Gestaltung” der Erlebnisse durch literalischen Ausdruck.Gerade im Prozess des Ausdrückens eines praktischen Erlebnisses, der die willkürliche subjektive Darstellung überwindet, ereignet sich diese Gestaltung. Im 1. und 2. Abschnitt wird dieser Prozess nach Dilthey erortet, und ausgelegt, so daß die Erinnerungen, in denen die praktischen Ereignisse aufgefaßt werden, zu “Erlebnissen fortgezogen” werden, welche im Verlauf des Lebens strukturellmit solchen Momenten verbunden waren. Der Erlebnisausdruck bei solchenErinnerungen allein kann den seelischen Zusammenhang aus den Tiefen heben, diedurch Introspektion und Beobachtung nicht erhellt werden.Takedas Erfahrung der Dokumentierung hat eine dunkle Stelle, die anhandDiltheys nicht mehr ans Licht gezogen wird. Außerdem muß man sich auf dieStimmung des Lehrers konzentrieren, an die Dilthey nicht genug gedacht hat, umden Lebenszusammenhang des Lehrers zu erkennen. Dafür soll Heidegger unseinen Anhalt gewähren.Im 3. Abschnitt wird zuerst anhand von Heidegger geklärt, daß dieGrundstimmung den Zustand vor und über allem Erkennen und Willen eroffnet, in dem wir jeweils zu den Dingen, zu uns selbst und zu den Menschen urn unsstehen. Danach wird erbrtert, daß die Freude d.h. das Aufgeräumte, das Takedain seiner Tätigkeit angestrebt und in seinem Dokument beschrieben hat, diejenigeGrundstimmung ist, die allein den Kindern den ihnen gernäßen Ort einzuräumenvermag, und in der die “Natur” der Kinder heil bewahrt ist. Anschließend wirdgezeigt, daß der Lehrer seine Praxis dokumentiert, urn dasjenige Aufgeräumtezu finden, worin er mit Kindern zu wohnen und die Natur der Kinder im Wort zu behüten bedacht ist.
著者
田端 健人
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.199-206, 2010

ハイデガー(Heidegger, M.)の思索に、教育哲学あるいは教育論はあるのだろうか。本稿は、ハイデガーが教育を語った重要な箇所、プラトン『国家』「洞窟の比喩」解釈に着目し、パイデイア(παιδεια =教育)に関するハイデガーの思索を再構成する。プラトン『国家』における「パイデイア」というギリシア語は、一般的に、「Bildung(陶冶、教養、人間形成)」とか、「Erziehung(教育)」とドイツ語訳されるが、ハイデガーは、こうした翻訳を、19世紀の「心理学主義」の産物として厳しく批判する。19世紀前半に活躍したヘルバルト(Herbart, J. F.)も、ハイデガーによれば、心理学主義を創始推進した人物である。本稿ではまず、ハイデガーのこうした心理学主義批判とその克服を考察する。そして、プラトンのいうパイデイアは、ハイデガーにとって、「現存在(Dasein)」や「世界内存在(In-der-Welt-sein)」といった概念と同様、人間存在の新たな規定様式だったことを指摘する。次に本稿では、プラトンのパイデイアに関するハイデガー独自の翻訳に着目し、この翻訳に凝縮されたハイデガーのパイデイア論を、1928/29年冬学期の「哲学入門」講義をもとに解釈する。こうした解釈を通して、ハイデガーのパイデイア論は、私たちが慣れ親しんでいる教育活動を改めて捉え直すための、一つの「教育哲学」になりうることを示したい。