著者
真鍋 公希
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.99, pp.25-45, 2018-01-25 (Released:2018-06-11)
参考文献数
31

【要旨】 円谷英二が特技監督を務めた『空の大怪獣ラドン』(1956 年、以下『ラドン』)は、公開当時から高く評価されている作品である。しかし、特撮映画に関する先行研究は『ゴジラ』(1954 年)ばかり注目してきたため、本作はほとんど分析されてこなかった。本稿では、トム・ガニングの「アトラクション」概念を補助線とし、本作の特異性と映画史的・文化史的意義を明らかにすることを試みる。「アトラクション」とは、物語を伝達する機能と対照的で、ショックや驚きなどの直接的刺激によって特徴づけられる性質だと紹介されてきた。しかし、『ラドン』における「アトラクション」的側面は、ショックによる直接的な態度よりもむしろ、特撮に注意を払う反省的な態度によって特徴づけられる。この態度はその後のオタク的な観客心理につながるものであり、この点で『ラドン』は、特撮映画をめぐる観客性の転換点に位置づけられる作品なのである。 これを示すために、第1 節では円谷の演出理念を検討する。円谷は特撮によって物語的な効果を引き出すことを第一に考えていたが、他方で特撮の痕跡が残ることを許容してもいた。ここに特撮が効果を逸脱し「アトラクション」として立ち現れる可能性を見ることができる。次に第2 節で、こうした円谷の演出理念が、『ラドン』ではどのように表出しているのかを考察する。円谷の演出理念は、ラドンが西海橋や福岡に現れる一連のシーンに色濃く反映しており、同時にこれらのシーンはテクスト全体の中でも自立的に機能している。最後に第3 節では、観客が『ラドン』の特撮に注意を払った反省的な態度で受容していたことを、当時広く普及していた「技術解説記事」を考察することで明らかにする。
著者
真鍋 公希
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.99, pp.25-45, 2018

<p>【要旨】</p><p> 円谷英二が特技監督を務めた『空の大怪獣ラドン』(1956 年、以下『ラドン』)は、公開当時から高く評価されている作品である。しかし、特撮映画に関する先行研究は『ゴジラ』(1954 年)ばかり注目してきたため、本作はほとんど分析されてこなかった。本稿では、トム・ガニングの「アトラクション」概念を補助線とし、本作の特異性と映画史的・文化史的意義を明らかにすることを試みる。「アトラクション」とは、物語を伝達する機能と対照的で、ショックや驚きなどの直接的刺激によって特徴づけられる性質だと紹介されてきた。しかし、『ラドン』における「アトラクション」的側面は、ショックによる直接的な態度よりもむしろ、特撮に注意を払う反省的な態度によって特徴づけられる。この態度はその後のオタク的な観客心理につながるものであり、この点で『ラドン』は、特撮映画をめぐる観客性の転換点に位置づけられる作品なのである。</p><p> これを示すために、第1 節では円谷の演出理念を検討する。円谷は特撮によって物語的な効果を引き出すことを第一に考えていたが、他方で特撮の痕跡が残ることを許容してもいた。ここに特撮が効果を逸脱し「アトラクション」として立ち現れる可能性を見ることができる。次に第2 節で、こうした円谷の演出理念が、『ラドン』ではどのように表出しているのかを考察する。円谷の演出理念は、ラドンが西海橋や福岡に現れる一連のシーンに色濃く反映しており、同時にこれらのシーンはテクスト全体の中でも自立的に機能している。最後に第3 節では、観客が『ラドン』の特撮に注意を払った反省的な態度で受容していたことを、当時広く普及していた「技術解説記事」を考察することで明らかにする。</p>
著者
真鍋 公希
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.39-51, 2019

作田啓一は, 生の経験の中にあらわれる非合理性を捉えるための理論体系の構築に一貫して取り組んだ社会学者である. 先行研究では, 彼の生の経験への関心が中心的に論じられてきた. しかし, 作田の特徴は, 生の経験への関心だけでなく, それとは矛盾するように思われがちな体系化への志向性をも兼ね備えている点にあるように思われる. この問題意識に基づき, 本稿では作田の思想における理論の位置づけについて検討する. 本稿では, まず, 『命題コレクション社会学』の付論に注目し, 水平的関係と垂直的関係という二つの関係性を抽出する. 続いて, 現代社会学と小林秀雄に向けた作田の批判を検討し, 批判の要点が, 両者がともに, 現実を水平的/垂直的関係に還元して論じようとする点にあることを明らかにする. 最後に, 作田の犯罪分析を取り上げ, 彼が水平的関係と垂直的関係の両方を論じようとしていたことを指摘する. 以上から, 作田は社会学的な説明(水平的関係)と生の経験(垂直的関係)の二つを結びつけた理論的視座の構築を試みていたことを指摘し, その理論によって一つの「全体」を仮構していたと結論づける.