著者
石井 昌幸
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.31-50, 2013-09-30 (Released:2016-08-01)
参考文献数
10

「スポーツマンシップ」という言葉は、ながいあいだスポーツの社会的・教育的価値を示す際に重要な意味を持ってきた。この言葉の近代的語義の成立について従来の研究は、パブリックスクールにおける競技スポーツ熱の高揚により、それまで「狩猟の技量」のような意味であったスポーツマンシップに「競技の倫理」という意味内容が加わり、それが競技の普及とともに一般化したと理解してきた。本研究は、19世紀の新聞・雑誌を大量に収録したデータベースを使用して、スポーツマンシップの語の使用頻度と意味内容を分析することで、そのような従来の理解を再検討したものである。 その結果、次のようなことが分かった。この言葉は、1870年代半ば頃から競技スポーツに関して使用される例がいくつか見られるものの、80年代なかばまで依然として狩猟や銃猟に関するものが大多数であり、その意味はなお多様であった。すなわち、19世紀を通じて「スポーツマンであること」を漠然と指す用語であり、それがもちいられる文脈のなかで、「技量・能力」、「資格・身分」、「倫理・規範」などを意味する多義的で曖昧な言葉のままであり続けた。 倫理的ニュアンスがコンスタントに見られるようになるのは1880年代半ばからであるが、その際にそれは、スポーツマンシップの「欠如」を批判する文脈のなかで多く見られた。欠如を指摘されたのは、大部分が労働者階級や外国人・植民地人であった。同じ時代に、スポーツはこれらの人びとにも急速に普及し、ジェントルマン=アマチュアは、彼らに勝てなくなってきていた。労働者階級が参政権を獲得しようとしていたこの時代、ステーツマン(為政者)であることだけでなく、スポーツマンであることも、もはやジェントルマンの特権ではなくなろうとしていた。スポーツマンシップの語義変化は、そのような社会変化を反映したものだったと考えられる。
著者
寒川 恒夫 杉山 千鶴 石井 昌幸 渡邉 昌史
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2004

全4年度研究の最終年度に当たる本年度は、東アジアにおける民族スポーツの観光化変容補充調査及び、本研究の目的である"民族スポーツに観光化変容をもたらした要因の分析"及び、本研究活動を報告書にまとめる作業にあてられた。補充調査は、日本にあっては、北海道最大規模の観光イベントであるよさこいソーラン祭り、また沖縄県最大規模の観光イベントである那覇祭りの民族スポーツ(大綱引き、エイサー)、韓国においては忠清北道忠州市の忠州世界武術祭と慶尚南道の晋州闘牛、中国においては新彊ウイグル自治区ウルムチの少数民族民族スポーツ、また広東省広州市で2007年11月に催された第8回中国少数民族伝統体育運動会、それに北京市及び河南省温県陳家溝の武術について実施された。民族スポーツの観光化変容については、当該地域の経済活性化が最大要因として指摘されるが、担い手が少数民族である場合、経済要因に加え、民族の存在主張・文化主張の動機が無視し得ない。また、観光化に当たっては当該地の行政が大きく関与する事も全体的に認められる。特に中国の場合、1990年代の改革開放政策後に民族スポーツの観光化変容が開始するのが、その良い例である。それまで中国の民族スポーツは当該民族の伝統文化保存と健康という目的に存在根拠が求められていたが、改革開放後は「文化とスポーツが舞台を築き、その上で経済が踊る」のスローガンのもと、全国的規模で民族スポーツの観光化が進行して現在に至っている。観光化する民族スポーツの種目は多岐にわたるが、今回の調査で、これまではもっぱら修行や教育の枠内で展開し、経済や観光とは無縁であった武術に観光化の熱いまなざしが注がれていることが大いに注目される。
著者
石井 昌幸
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.31-50, 2013

「スポーツマンシップ」という言葉は、ながいあいだスポーツの社会的・教育的価値を示す際に重要な意味を持ってきた。この言葉の近代的語義の成立について従来の研究は、パブリックスクールにおける競技スポーツ熱の高揚により、それまで「狩猟の技量」のような意味であったスポーツマンシップに「競技の倫理」という意味内容が加わり、それが競技の普及とともに一般化したと理解してきた。本研究は、19世紀の新聞・雑誌を大量に収録したデータベースを使用して、スポーツマンシップの語の使用頻度と意味内容を分析することで、そのような従来の理解を再検討したものである。<br> その結果、次のようなことが分かった。この言葉は、1870年代半ば頃から競技スポーツに関して使用される例がいくつか見られるものの、80年代なかばまで依然として狩猟や銃猟に関するものが大多数であり、その意味はなお多様であった。すなわち、19世紀を通じて「スポーツマンであること」を漠然と指す用語であり、それがもちいられる文脈のなかで、「技量・能力」、「資格・身分」、「倫理・規範」などを意味する多義的で曖昧な言葉のままであり続けた。<br> 倫理的ニュアンスがコンスタントに見られるようになるのは1880年代半ばからであるが、その際にそれは、スポーツマンシップの「欠如」を批判する文脈のなかで多く見られた。欠如を指摘されたのは、大部分が労働者階級や外国人・植民地人であった。同じ時代に、スポーツはこれらの人びとにも急速に普及し、ジェントルマン=アマチュアは、彼らに勝てなくなってきていた。労働者階級が参政権を獲得しようとしていたこの時代、ステーツマン(為政者)であることだけでなく、スポーツマンであることも、もはやジェントルマンの特権ではなくなろうとしていた。スポーツマンシップの語義変化は、そのような社会変化を反映したものだったと考えられる。