著者
鶴岡 弘美 石川 和代 臼井 智子 増田 佐和子
出版者
一般社団法人 日本聴覚医学会
雑誌
AUDIOLOGY JAPAN (ISSN:03038106)
巻号頁・発行日
vol.56, no.6, pp.757-762, 2013-12-28 (Released:2014-05-09)
参考文献数
10

要旨: 当科で聴覚管理を行っている聴覚障害児のうち, 通常学校から聾学校へ転校した12名 (男児3名, 女児9名) について検討した。難聴の診断年齢は平均5歳4ヵ月と高く, 6名は就学後に発見されていた。何らかの発達障害や知的障害は6名, 境界例まで含めると10名に認められた。経過中9名で難聴の進行を認め, 6名は平均聴力レベルが70dB以上を超えた時期に転校していた。通常学校で何らかの支援を受けていたのは8名であった。転校の理由は10名が不登校, 学業不振, 不適応で, ほとんどが医療機関または県の児童相談センターの助言で転校に至っていた。転校後のアンケート調査からは, 聾学校で良好な学習環境や友人関係が得られていることが示唆された。今後は, 難聴の早期発見, 合併障害や聴力低下への対応とともに, 通常学校が難聴児の抱える問題に早期に気付き対応できるように啓発し, 支援体制を整えることが必要と考える。
著者
臼井 智子 鶴岡 弘美 石川 和代 町野 友美 増田 佐和子
出版者
日本小児耳鼻咽喉科学会
雑誌
小児耳鼻咽喉科 (ISSN:09195858)
巻号頁・発行日
vol.31, no.3, pp.324-329, 2010 (Released:2012-12-28)
参考文献数
19

心因性難聴の診断をきっかけとして,思春期になって不注意優勢型の注意欠如・多動性障害(ADHD)が判明した同胞例を経験した。症例 1(16歳女性)は,14歳時に難聴と診断され補聴器を装用したが効果がなく,当科で心因性難聴と診断した。症例 2(14歳女性)は症例 1 の妹で,幼少時からの滲出性中耳炎改善後も変動する難聴があり,姉と同様補聴器装用効果がなく,当科で心因性難聴と診断した。詳細な問診から 2 例とも聴覚的認知の悪さと能力のアンバランスが判明し,小児神経科での精査の結果不注意優勢型 ADHD と診断された。ADHD に対する薬物療法と介入を行って難聴は改善した。本同胞例は内因子として ADHD を有し,様々な環境因子に適応しにくい状態から二次的に心因性難聴が出現したと推察された。 心因性難聴の診断にあたっては,環境などの外因子だけでなく発達障害などの内因子の存在を念頭におき,小児神経科医などの専門家と協力することが必要であると考えられた。
著者
石川 和代
出版者
名古屋女子大学
雑誌
名古屋女子大学紀要 (ISSN:02867397)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.251-256, 1980-03-31

「偉大なギャッツビィ」は中西部出身の青年ニックによって語られている.ニックは大学を卒業してから,債券の勉強をするために東部へやってきている.ニック,ギャッツビィ,トム,デイジー,ジョーダンの五人はみな中西部の出身で,語り手ニックものべているように,一応はみな西部人である.現在はみな東部に住んでいるが,トム,デイジー,ジョーダンはロングアイランドの東エッグに,ニックとギャッツビィは西エッグに住んでいる.東エッグに住んでいる三人は,本当に東部に住むことが好きである.東エッグは西エッグよりもっと流行を追い求める場所である.そこに住んでいるトム,デイジー,ジョーダンの三人は,物質的豊かさのみを求める人間,自分勝手で不注意な人間,不正直な人間として描かれている.西エッグに住んでいるギャッツビィは純粋な一面をもっている.彼は貧乏な百姓の子として生まれるが,少年のころから出世を志す.若い将校であるころ,金持の娘デイジーと恋をし,彼女を手に入れるために,あらゆる努力をして富を得る.ところがそのころ,デイジーはすでにトムの妻となっている.「過去はくり返すことができる」と純粋に考える彼は,自分の理想であるデイジーとの生活を夢みる.デイジーが彼の車でトムの情婦をひき殺してしまった時,彼はあくまでもデイジーを守ろうとする.ところが,トムとデイジーの自分勝手なやり方のために,ギャッツビィは殺されることになる.ニックはこのギャッツビィの純粋な一面にふれて,中西部に愛着を感じると同時に,東部がいやになり,東部をすてて再び中西部にもどる決心をするのである.こうして考えてみると,五人のうち本当の西部人はニックとギャッツビィのみであり,トム,デイジー,ジョーダンは西部人であるにはあまりにも純真さがない.作者は東エッグと西エッグの対照によってこのことを暗示しているように思われる.
著者
石川 和代
出版者
名古屋女子大学
雑誌
名古屋女子大学紀要 (ISSN:02867397)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.263-269, 1986-03-01

『八月の光』のジョー・クリスマスは私生児として生まれ,物心ついた時には両親はなく,自己の正体が全くわからない.さらに,狂信的なカルヴィニズムの信者である祖父が,彼の中には黒人の血が混じっていると思いこませたがために,自分が黒人か白人なもわからないという状況になる.自己の正体がわからないが故に彼は孤独であり,孤独からのがれるために自己の正体を見いだそうとする.しかし,カルヴィニズムや人種差別によってゆがめられた人格のために,黒人とうまくやってゆくことはできず,白人は彼をただ黒人と見るのみで彼の人格を認めないが故に,彼は白人ともうまくやってゆけない.そのために彼は最後まで自己の正体を見いだせず,環境によって孤独な生活をしいられるのである.『アブサロム,アブサロム!』のチャールズ・ボン,チャールズ・エティエンヌ・サン=ヴァレリー・ボンの状況はクリスマスのそれとはやや異なるものの,彼らもまた,黒人の血のために,自己の正体を見いだせない人々である.以上のことを考えると,フォークナーはこれら二つの作品において,南部の厳しいカルヴィニズムや激しい人種差別を批判していると恐れずにはいられない.