著者
石田 信一
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.42, no.1, pp.1-18, 2009-03-15

本稿では、複数政党制に移行した一九九〇年から二〇〇七年までのクロアチア議会選挙を中心に、クロアチアにおける選挙制度の変遷および選挙結果に着目し、まずは基礎データの整理を行いつつ、論点を提示した。 クロアチアでは議会選挙のたびに与党を利する形で選挙制度が大きく変わってきた。一九九〇年には完全な小選挙区制だったものが、一九九二年には全国区(比例代表方式)と小選挙区の二票制となり、二〇〇〇年には全国を一〇選挙区に分けた比例代表制に移行した。二票制の時期を通じて、全国区と小選挙区の定数も大きく変化している。どの選挙制度においても、一票の格差や選挙区の区割りなどが完全には解決されない問題として残された。 さらに、クロアチアでは、やや流動的な少数民族枠と在外同胞(ディアスポラ)枠の存在がつねに議論を呼んできた。一九九〇年代のクロアチアを内戦状態に陥れたセルビア人問題の解決策として少数民族枠は重要な意味を持ったし、同じく隣国ボスニアとの関係から在外同胞枠は必須とされたが、選挙制度上の取り扱いはきわめて不安定で合理性を欠く場合も多かったからである。 かつての大統領による権威主義体制から議会制民主主義へと移行したかに見えるクロアチアであるが、なおも選挙制度は固定的なものではなく、さらに変化していくように思われる。
著者
石田 信一
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.1-12, 2002-03-15

オーストリア支配下のダルマチア地方は一八六〇年代に「民族再生」と呼ばれるナショナリズムの時代を迎え、それまで明確な国民意識を持たず、しばしばコスモポリタン的態度を示していた住民の間でも、さまざまなタイプの国民形成の試みが見られるようになった。クロアチアおよびセルビアという「本国」の影響を受けつつ、同じスラヴ系住民の分化、すなわちカトリック教徒の「クロアチア人」化と正教徒の「セルビア人」化がほぼ同時に進行した。本稿では、このような時期に勃発したボスニア=ヘルツェゴヴィナ蜂起 (一八七五〜一八七八年) を取り上げ、同時代の新聞・雑誌記事および政治的指導層の書簡集等の分析を通じて、この事件がダルマチアにおける国民形成過程に及ぼした影響について再検討した。ボスニア=ヘルツェゴヴィナ蜂起はオスマン帝国からの解放を目標とするものであったが、もとより多民族・多宗教が混在する同地の帰属問題をめぐっては、クロアチアとセルビアが自国への併合を求めて争っていた。それまでクロアチアやセルビアほどに住民の国民的帰属意識が明確でなく、共通の「民族派」を組織していたダルマチアのスラヴ系住民も、「本国」のプロパガンダやメディアを通じた論争によって、クロアチア志向の人々とセルビア志向の人々に二分されるようになった。そして、蜂起終結後にセルビアへの併合を支持する正教徒指導者が「民族派」を正式に離脱して「セルビア民族党」を結成したことにより、両者の政治的分裂は決定的なものとなった。それと同時に、ダルマチアのスラヴ系住民は「クロアチア国民」あるいは「セルビア国民」という二つの異なる国民理念の下で、国民形成の新段階に入ったと考えられるのである。
著者
石田 信一
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.1-16, 2003-03-15

クロアチアにおける地方制度の歴史と現状を概観するとともに,とくにユーゴスラヴィア建国以降,地方制度がマイノリティ問題とどのような関わりを持ったかについて検討した。クロアチアにおける地方自治は,一九九二年に現行制度が発足した当初には多くの制約を受けており,自立性に乏しいものであったが,二〇〇一年の諸改革を経て,少なくとも制度的には自治権の拡大という方向で大いに改善された。それはクロアチアにおける伝統的な地方制度を継承しつつ,ヨーロッパ連合の基準への適合を意識した全く新しい地方制度となっている。また,マイノリティ問題についても,かつての差別的な政策が撤回され,言語・教育などの同権に向けた法的整備が進み,とくに地方レベルではそれらが着実に成果をあげている。セルビア人間題はなお未解決であるが,今後はヨーロッパ連合加盟との関わりにおいて解決がはかられると思われる。国家の統一を損なわない範囲で,いかに効果的に分権化を推進するかが,当面の課題となるであろう。