著者
石田 定夫
出版者
明治大学政経資料センター
雑誌
資料センターニュース
巻号頁・発行日
vol.49, pp.11-13, 1990-12-07

四ツ谷聖イギナチオ協会で柳田先生とお別れしてから、1年の月日が過ぎた。研究棟の廊下や7号館講師控室で、「ヤア!」と声をかけられた先生のお元気な姿に接したのも、つい昨日のことのように思われる。人間の生命のはかなさをつくづくと思い、悲しさがこみあげてくる。私が経済学部に奉職した1977年4月当時、柳田先生は若手の助教授であられたと思う、先生とは授業の時間帯も異なり、教授会の常席も離れていたので、はじめの間は先生とほとんどお話をする機会もなかった。柳田先生と親しくなったのは、半年ほど経過した入試政経グループの会合においてであった。夏休みも終盤になった同年9月中旬、場所は7号会議室の問題作成において、働き盛りの先生は大きな地声で先生方の問題案を手際よく調整しておられた。
著者
石田 定夫
出版者
明治大学政経資料センター
雑誌
資料センターニュース
巻号頁・発行日
vol.35, pp.28-29, 1986-02-25

月日の流れは早いもので、宮下先生がお亡くなりになってはや1年経過した。一周忌の法要に参向して先生の遺影に接すると、いまにも先生が私たちに語らいかけておられるような気がする。宮下先生はビールやワインをこよなくたしなまれた。私はアルコール類には弱く、先生とまともにお相手をすることができなかったが、先生は私に無理に勧められることもなく、親しくお付き合いして下さった。私は、宮下先生のそういう包容力の大きい心の温かいお人柄を尊敬し、先生に兄事してきた。先生との最後のお付き合いは、昭和59年11月30日金曜日の夕方、先生が亡くなる2週間前のことで、忘れることのできない思い出となった。

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著者
石田 定夫
出版者
明治大学政治経済学部
雑誌
政経フォーラム
巻号頁・発行日
vol.3, pp.98-101, 1995-03-31

三月末に「七十才定年」を迎えた。一九四七年学窓を出て以来、日本銀行・明治大学を通じ四七年間の勤務生活にひとまず心の「区切り」をつけることができた。人生を芝居にたとえるならば、定年は「政経一七年」の芝居に一幕を降ろしたことになる。現在は「定年後」の新しい芝居が始まったところであるが、今後それがどのようになるか、私自身も分からない。マッカーサー元帥は「老兵は消え去るのみ」といって、母国アメリカに帰ったが、私はいまただちに郷里名古屋に帰るわけにはいかない。大学当局のご好意によって四月以降、非常勤講師として教職を続けさせているからである。一見私の生活にはなんの変てつもないようである。しかし私自身の生活リズムには誇張していえば、二大変化が生じた。