著者
浅沼 和典
出版者
明治大学政経資料センター
雑誌
資料センターニュース
巻号頁・発行日
vol.45, pp.25-28, 1988-12-20

イギリスに滞在していた昨年6月に総選挙が行われた。この選挙の最大の興味は、言うまでもなく、サッチャー首相の保守党が3連勝するか、それとも、労働党が79年以来の連敗に終止符を打てるかにあった。結果は、周知のように保守党の勝利。新聞やテレビがサッチャーの「ハット・トリック」とさわぎ立てていた。いよいよ第3次サッチャー政権のもとでイギリスはどのような生きざまを見せるか。果して活力を取りもどせるか。内外から熱い視線が向けられている。かつて世界最高の工業水準、経済力を持ち、多数の植民地をかかえて7つの海を支配したイギリス。それだけにまた世界での最高の威信と重責をあわせ担ったイギリス。それはまさに、天空を双肩に背負ったギリシア神話の巨人タイタンの姿だった。
著者
渋沢 孝輔
出版者
明治大学政経資料センター
雑誌
資料センターニュース
巻号頁・発行日
vol.51, pp.44-46, 1990-12-14
著者
池田 一新
出版者
明治大学政経資料センター
雑誌
資料センターニュース
巻号頁・発行日
no.49, pp.6-8, 1990-12-07
著者
飯田 年穂
出版者
明治大学政経資料センター
雑誌
資料センターニュース
巻号頁・発行日
vol.51, pp.33-34, 1990-12-14
著者
安藤 元雄
出版者
明治大学政経資料センター
雑誌
資料センターニュース
巻号頁・発行日
vol.51, pp.14-16, 1990-12-14
著者
関本 安孝
出版者
明治大学政経資料センター
雑誌
資料センターニュース
巻号頁・発行日
vol.22, pp.15-17, 1982-02-28

フランスにかぎったことではないが、長期滞在の予定で外国に行ってまずやっかいなのは、多くの手続きが待ちかまえていることであろう。私のように子供2人を含む家族つれの場合にはなおさらのことである。パリ・オルリ空港に降り立ったのはどんより曇った3月18日(1980年)の早朝であった。日本を発つ数日まえ、18日に空くアパートがあるので到着しだい至急不動産屋に行くようにという国際電話をうけていたので、当日は長旅の疲れをいやすひまもなくとびまわったことをよく覚えている。空港から40分ほどタクシーに乗り、リュクサンブール公園に近いサン・ミッシェル通りにホテルをとって、そこを拠点としてパリでの生活が始まることになった。

1 0 0 0 IR 国家論

著者
浅沼 和典
出版者
明治大学政経資料センター
雑誌
資料センターニュース
巻号頁・発行日
vol.18, pp.17-17, 1980-12-20

多年にわたって休講になっていた「国家論」を復活してから、今年でやっと3年目。講義の性格や内容は、まだ確定していない。が、講義内容としては、一応、二つの柱をたてている。一つは国家理論の歴史、もう一つは現代国家論。年度によって、どちらかの柱に限定するわけであるが、今年度は試験的に、前期=国家理論史、後期=現代国家論ということでやってみた。国家理論史では、思想史上の最も重要な思想家たちの国家理論を国家本質論に限定して論じ、そこから、われわれの国家認識に少しでも遡及的教訓を得たいと念じている。現代国家論の内容は、一定の方法・枠組による現代国家の社会科学的実体分析であり、年度によって、先進資本主義国家論とか社会主義国家論とかに限定されるが、資料・準備がととのったときには、特定の国家を対象としたケース・スタディだけで1年間通すことも考えている。
著者
石田 定夫
出版者
明治大学政経資料センター
雑誌
資料センターニュース
巻号頁・発行日
vol.49, pp.11-13, 1990-12-07

四ツ谷聖イギナチオ協会で柳田先生とお別れしてから、1年の月日が過ぎた。研究棟の廊下や7号館講師控室で、「ヤア!」と声をかけられた先生のお元気な姿に接したのも、つい昨日のことのように思われる。人間の生命のはかなさをつくづくと思い、悲しさがこみあげてくる。私が経済学部に奉職した1977年4月当時、柳田先生は若手の助教授であられたと思う、先生とは授業の時間帯も異なり、教授会の常席も離れていたので、はじめの間は先生とほとんどお話をする機会もなかった。柳田先生と親しくなったのは、半年ほど経過した入試政経グループの会合においてであった。夏休みも終盤になった同年9月中旬、場所は7号会議室の問題作成において、働き盛りの先生は大きな地声で先生方の問題案を手際よく調整しておられた。
著者
菊池 良一
出版者
明治大学政経資料センター
雑誌
資料センターニュース
巻号頁・発行日
vol.49, pp.30-31, 1990-12-07

今は亡き柳田先生と初めて言葉を交わしたのは確か大学院の研究室でした。その時の先生に対する第一印象は、「若くて気さくな感じの先生」と言うものでした。その後先生と会話をする機会も多く、また同室の誼みということもあって親しくお付合いさせていただくことになりました。先生は豊富な話題の持主で、先生との会話はなかなか興味が尽きませんでしたが、なかでも持病の抑制効果を兼ね実践されていた自転車走行の話は好んでされていました。しかしいつしか自転車の愛用者から自動車の愛用者に代わるに及んで、自然に話題も自動車に関するものへと移って行きました。先生の説によると、自動車の振動は血液の循環を促進し、持病に対して抑制効果を持つとのことです。
著者
関本 安孝
出版者
明治大学政経資料センター
雑誌
資料センターニュース
巻号頁・発行日
vol.1989, pp.16-18, 1989-07-20

中村先生がお亡くなりになって間もなく1年の月日が流れようとしているが、まだ音容日々遠しの感はない。政経事務室から計報の電話がはいったのは昨年8月2日の昼ごろであった。耳を疑い、聞き返さずにはいられなかった。まさに晴天の露震の思いで、昼食が喉を通らなかったことを思いだす。中村先生に初めてお目にかかったのは、昭和33年4月であった。私が大学院に入学し、関未代策先生の経済学史の授業に出始めたときである。中村先生は同年3月修士課程を終了し、関先生の助手になられたので、経済学史の授業にはオブザーバーとして出てこられたからである。演習の授業で使われたテキストは『国富論』(原典と訳書)であったが、中村先生の訳書の余白には注釈と思われるものが小さい字でびっしり書き込まれており、相当な勉強家に違いないというのが私の第一印象であった。
著者
石田 定夫
出版者
明治大学政経資料センター
雑誌
資料センターニュース
巻号頁・発行日
vol.35, pp.28-29, 1986-02-25

月日の流れは早いもので、宮下先生がお亡くなりになってはや1年経過した。一周忌の法要に参向して先生の遺影に接すると、いまにも先生が私たちに語らいかけておられるような気がする。宮下先生はビールやワインをこよなくたしなまれた。私はアルコール類には弱く、先生とまともにお相手をすることができなかったが、先生は私に無理に勧められることもなく、親しくお付き合いして下さった。私は、宮下先生のそういう包容力の大きい心の温かいお人柄を尊敬し、先生に兄事してきた。先生との最後のお付き合いは、昭和59年11月30日金曜日の夕方、先生が亡くなる2週間前のことで、忘れることのできない思い出となった。