- 著者
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神谷 勝広
- 出版者
- 学校法人滝川学園 名古屋文理大学
- 雑誌
- 名古屋文理短期大学紀要 (ISSN:09146474)
- 巻号頁・発行日
- vol.22, pp.132-126, 1997-04-01 (Released:2019-07-01)
羅山の評判は,従来あまり良くない。封建制の維持に関わった御用学者というのが,大方の見方のようである。中には,「羅山の人格・品性が立派ではなく,魅力に乏しい点があるらしい」といったものまである。確かに,家康の命で剃髪するなどを,従俗の姿勢がある。しかし,より巨視的な視点に立てば,羅山には,もっと積極的に評価すべき面が存在する。羅山は,時代の変革期に当たる江戸初期に登場し,それまでの閉鎖的な学問世界に強く反発する。具体的には,今日の公開講座のごときものを催したり,自己の編書を出版機構に乗せたり,さらに学校を組織しようとする。これらからすれば,羅山の最も重要な特徴は,<知識を伝播することへの強い意欲>と考えられる。従来,日本文化史上,知識の公開を強く提唱した人物には,明治初期の福沢諭吉があげられる。文明開化の中で平等を唱えた諭吉に対し,羅山は,封建制度成立に荷担した人物として対立的に見なされがちだが,知識の公開の流れは,羅山を含めた江戸初期の啓蒙家達と,諭吉を含めた明治初期の啓蒙家達によって,二段階で大きく進展した。知識の公開へと進もうとした方向性において,羅山と諭吉は,むしろ近似するのではないだろうか。