著者
神谷 勝広
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.12-19, 2014

<p>文化十五年(一八一八)三月、伊勢古市遊廓にあった備前屋は、大広間を新装する。その際、式亭三馬作歌川国直画『伊勢名物通神風』を宣伝のために無料で配った。しかしそればかりではなく、同書に見える記述から、三馬と鹿津部真顔が作成したチラシや、柳々居辰斎画の浮世絵も配っていたことがわかる。さらに、歌川国丸画山東京山賛の浮世絵も配っていたと確認でき、大広間の床の間に大田南畝筆額を掛けていたことも判明する。つまり、備前屋は、多種多様な江戸文芸を自店の広告宣伝に活用していたのである。伊勢と江戸の文化的な関わりは、従来の想定以上に濃いと見なすべきだろう。</p>
著者
神谷 勝広
出版者
学校法人滝川学園 名古屋文理大学
雑誌
名古屋文理短期大学紀要 (ISSN:09146474)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.132-126, 1997-04-01 (Released:2019-07-01)

羅山の評判は,従来あまり良くない。封建制の維持に関わった御用学者というのが,大方の見方のようである。中には,「羅山の人格・品性が立派ではなく,魅力に乏しい点があるらしい」といったものまである。確かに,家康の命で剃髪するなどを,従俗の姿勢がある。しかし,より巨視的な視点に立てば,羅山には,もっと積極的に評価すべき面が存在する。羅山は,時代の変革期に当たる江戸初期に登場し,それまでの閉鎖的な学問世界に強く反発する。具体的には,今日の公開講座のごときものを催したり,自己の編書を出版機構に乗せたり,さらに学校を組織しようとする。これらからすれば,羅山の最も重要な特徴は,<知識を伝播することへの強い意欲>と考えられる。従来,日本文化史上,知識の公開を強く提唱した人物には,明治初期の福沢諭吉があげられる。文明開化の中で平等を唱えた諭吉に対し,羅山は,封建制度成立に荷担した人物として対立的に見なされがちだが,知識の公開の流れは,羅山を含めた江戸初期の啓蒙家達と,諭吉を含めた明治初期の啓蒙家達によって,二段階で大きく進展した。知識の公開へと進もうとした方向性において,羅山と諭吉は,むしろ近似するのではないだろうか。
著者
神谷 勝広 カミヤ カツヒロ Kamiya Katuhiro
出版者
同志社大学国文学会
雑誌
同志社国文学 = Doshisha Kokubungaku (ISSN:03898717)
巻号頁・発行日
no.86, pp.40-50, 2017-03-20

江戸時代の代表的な戯作者の一人である山東京伝は、強い〈好古〉趣味を持っていた。その成果が彼の編書『近世奇跡考』等でも大いに発揮されていることは、周知のことである。しかし、具体的に、文人仲間たちとどのようなやり取りをしつつ、〈好古〉を愉しんでいたかは、今ひとつわかっていなかった。今回は、京伝が文人仲間の竹垣柳塘に宛てた書簡を解析することで、生々しくその様相を明らかにする。