著者
福島 可奈子
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.134-154, 2019-01-25 (Released:2019-06-25)
参考文献数
40

【要旨】 玩具映画産業の実態とその多様性について、大正末から昭和15年頃までの玩具映画全盛期の業界大手6 社の業態とその傾向性の差異を、玩具映写機やフィルムなどの史料分析により実証的に論じる。 玩具映画とは、戦前を中心に存在した子供用35㎜フィルムと家庭用映写機のことである。玩具映画ブランドには「ライオン」「ハグルマ」「孔雀」「キング」「朝日活動」「大毎キノグラフ」などがあるが、先行研究でブランド名などは知られていてもその業態は未解明であった。また玩具映画はフィルムの二次利用で映画産業の派生的領域をなしたが、従来各社の具体的相違についても未知であった。本稿は、系統学的方法から逸脱する短命メディアを「分散状態の空間」として「アルシーヴ化」するメディア考古学の視座から、東西玩具映画各社の流通・販売戦略を対比的に分析し、日本の映画産業の知られざる多様性の一端を明らかにする。なぜなら玩具映画は、劇場用映画を解体的に二次利用することで、映画の専門家ではなく、玩具会社や享受した子供までが映像を脱構築して無数のヴァリエーションを生み、他に例をみない拡がりをみせたからである。従来の映画史からすればそれは「断片」であり消滅した「雑多なもの」ではあるが、映像文化全体からみれば、日本の玩具映画とその産業形態のヴァリエーションはきわめて重要な存在であるといえる。
著者
福島 可奈子
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.134-154, 2019

【要旨】<br> 玩具映画産業の実態とその多様性について、大正末から昭和15年頃までの玩具映画全盛期の業界大手6 社の業態とその傾向性の差異を、玩具映写機やフィルムなどの史料分析により実証的に論じる。<br> 玩具映画とは、戦前を中心に存在した子供用35㎜フィルムと家庭用映写機のことである。玩具映画ブランドには「ライオン」「ハグルマ」「孔雀」「キング」「朝日活動」「大毎キノグラフ」などがあるが、先行研究でブランド名などは知られていてもその業態は未解明であった。また玩具映画はフィルムの二次利用で映画産業の派生的領域をなしたが、従来各社の具体的相違についても未知であった。本稿は、系統学的方法から逸脱する短命メディアを「分散状態の空間」として「アルシーヴ化」するメディア考古学の視座から、東西玩具映画各社の流通・販売戦略を対比的に分析し、日本の映画産業の知られざる多様性の一端を明らかにする。なぜなら玩具映画は、劇場用映画を解体的に二次利用することで、映画の専門家ではなく、玩具会社や享受した子供までが映像を脱構築して無数のヴァリエーションを生み、他に例をみない拡がりをみせたからである。従来の映画史からすればそれは「断片」であり消滅した「雑多なもの」ではあるが、映像文化全体からみれば、日本の玩具映画とその産業形態のヴァリエーションはきわめて重要な存在であるといえる。
著者
福島 可奈子
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.5-24, 2017

<p>【要旨】</p><p>鶴淵幻燈舗は、明治期に文部省の委託で初めて西洋幻燈を製作・納品し、その後の幻燈の普及に多大な影響を与えている。しかし鶴淵幻燈舗の事業の実態については、現存史料が少ないために、先行研究では断片的にしか明らかにされてこなかった。本論は、近年新たに発見された鶴淵幻燈舗発行の機関誌をも参照しながら、同舗の製造・宣伝・販売事業と、販売先のひとつである博文館の雑誌『少年世界』が主宰するお伽幻燈隊の活用方法について検証し、「通俗教育」事業としての幻燈と諸メディアのつながりの一端を明らかにしようとする。なぜなら同舗製作の幻燈は、近代国家としての「国民」の形成を目指していた明治政府にとって必要不可欠な教育ツールと目されたからであり、また明治期は現在考えられているような概念やメディアが定着・分離する以前であり、写真、幻燈、児童雑誌など多様なメディアが混在していたからである。そして「通俗教育」の名のもとにそれを横断する形で、鶴淵幻燈舗の製造・販売事業、お伽幻燈隊の受注事業があった。本論では、メディア考古学の観点から、メディアの多様性と相互の連関に注目するとともに、従来等閑視されてきた幻燈の実際面、製造・販売者や使用者の視点からの、技術的側面や具体的使用例を検討しつつ、明治期の「教育」現場での、他メディアとのつながりをも含む幻燈の果たした役割を明らかにする。</p>
著者
福島 可奈子
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.99, pp.46-68, 2018

<p>【要旨】</p><p> 大正から昭和初期にかけての子供による映画の齣フィルム蒐集とその文化について、従来見過ごされてきたメディア機器とその多様性を実証的に再考する「メディア考古学」の視座から考察する。齣フィルムとは、明治末から昭和初期にかけて映画館や玩具店等、様々な場所で販売されたワンフレームサイズの映画フィルム(18×35mm)のことで、大正期には子供による映画の齣フィルム蒐集が大流行を迎える。その事象についてはしばしば先行研究で言及されているものの、その実情については今までほとんど明らかにされてこなかった。そのため本稿では、当時の子供の齣フィルムコレクションや齣フィルム用の実体鏡や幻燈機等の実物史料を参照しつつ、明治末から昭和初期にかけて販売された齣フィルムについて、販売業者と購入者(蒐集者)双方の視点、あるいはその相互関係から詳細に検証し、当時の日本の映画の二次産業の一端を明らかにする。</p><p> 戦前日本の映画の大半は、このように劇場公開後に切り売りされたために散逸したが、断片化した無数の齣フィルムの集積は、戦前日本のメディア文化の多様性と裾野の広さを示している。二次利用されたフィルムは、映画や幻燈のメインストリームの映像史にはあらわれない、子供の玩具世界で多彩に混淆した存在を生み出し、派生的に拡散していく。まさにこの流れは、現在加速しているデジタル一元化の流れとは対照的なのである。</p>
著者
福島 可奈子
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.107, pp.60-83, 2022-02-25 (Released:2022-03-31)
参考文献数
35

本論は、視覚メディア、特に幻燈が明治10年代の「修身」教育に果たした重要な役割を明らかにする。急速な近代化を進めた明治初期、日本の国家教育は、その方針をめぐって洋学・国学・儒学が熾烈な覇権争いを繰り広げていた。その際、教育の「啓蒙」ツールとして文部省が最も注目したのが、西洋から持ち込まれた最新の幻燈であったが、その内容の軸足は西洋啓蒙主義的な智識才芸を養うためのものから、儒教的な仁義忠孝を養うものへと移っていくことになる。文部省の命でいち早く幻燈製作をはじめた鶴淵幻燈舗が、はじめて日本の「修身」教育に関与したのが、明治天皇の勅命で元田永孚が編纂した『幼学綱要』スライドであるが、今回それら一式が新たに発見された。そのため筆者は、それらのスライドが製作されるに至る当時の国家教育観の思想的背景を検証する。また当時の「修身」教育は、政府が推奨した洋学や儒教にとどまらず、江戸期から民衆に浸透している実語教や石門心学による「善悪鏡」など様々な道徳観の混淆であった。そしてそれらが、江戸期からの「写し絵」製作・興行主の池田都楽、大阪の花街で西洋幻燈製作や「錦影絵」を興行していた寺田清四郎製の幻燈スライドなどとなって、その「修身」イメージが拡散されていく経過を、実物史料に基づいて歴史的かつ実証的に明らかにする。
著者
福島 可奈子 松本 夏樹
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.103, pp.91-112, 2020

<p>本稿は2018年に筆者らが入手した幻燈兼用の水平走行型玩具映写機とそのフィルムの精査と復元、19世紀末から20世紀初頭にかけての日独仏の玩具会社の販売カタログなど一次文献資料の分析によって、これらのアニメーションフィルムとその水平走行装置の存在とその映像史上の意義について論じる。</p><p>一般的に映画はリュミエールのシネマトグラフから始まったとされる。シネマトグラフ装置はフィルムを垂直に走行することで撮影・映写するものであり、現在のようにデジタル化が進むまで、映画はフィルムを垂直走行することで現実世界を記録・再生するのが当然であると考えられてきた。だがシネマトグラフが誕生した当初、家庭などの非劇場空間においては、実は実写映画の垂直走行装置よりもアニメーション映画の水平走行装置が先行していた。この発想は家庭用の幻燈など種々の光学玩具の延長上に必然的に登場したものであった。それ故筆者らは入手し復元された玩具フィルム2本が最古のアニメーション映画である可能性が極めて高いことを実証的に論じる。</p><p>幻燈から映画へとその流行が大きく移り変わるメディアの過渡期において、この水平走行型が大衆の映像メディアの認識において重要な役割を果たした点を本稿は明らかにする。</p>
著者
福島 可奈子 松本 夏樹
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.103, pp.91-112, 2020-01-25 (Released:2020-02-25)

本稿は2018年に筆者らが入手した幻燈兼用の水平走行型玩具映写機とそのフィルムの精査と復元、19世紀末から20世紀初頭にかけての日独仏の玩具会社の販売カタログなど一次文献資料の分析によって、これらのアニメーションフィルムとその水平走行装置の存在とその映像史上の意義について論じる。一般的に映画はリュミエールのシネマトグラフから始まったとされる。シネマトグラフ装置はフィルムを垂直に走行することで撮影・映写するものであり、現在のようにデジタル化が進むまで、映画はフィルムを垂直走行することで現実世界を記録・再生するのが当然であると考えられてきた。だがシネマトグラフが誕生した当初、家庭などの非劇場空間においては、実は実写映画の垂直走行装置よりもアニメーション映画の水平走行装置が先行していた。この発想は家庭用の幻燈など種々の光学玩具の延長上に必然的に登場したものであった。それ故筆者らは入手し復元された玩具フィルム2本が最古のアニメーション映画である可能性が極めて高いことを実証的に論じる。幻燈から映画へとその流行が大きく移り変わるメディアの過渡期において、この水平走行型が大衆の映像メディアの認識において重要な役割を果たした点を本稿は明らかにする。
著者
福島 可奈子
出版者
日本映画学会
雑誌
映画研究 (ISSN:18815324)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.28-49, 2019

&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;第一次から第二次世界大戦までの戦間期にフランスで発売された、パテ・シネマ社製小型映画の産業技術的特徴とその経営戦略について論じる。パテ・シネマ社は、第一次世界大戦直前まで生フィルム製造販売事業で世界的覇者だったが、大戦後の大不況によってアメリカのコダック社に覇権を奪われた。その結果在庫フィルムを無駄なく再利用することで新規開拓を目指し、パテ・ベビー(9ミリ半映画)やパテ・ルーラル(17ミリ半映画)といった独自の小型映画を生み出す。だが日本の先行研究では、パテ・ベビーを中心に日本国内での小型映画文化研究が主流で、フランスでの小型映画の開発事情を含めた産業技術面から十分に議論されてきたとは言い難 い。ゆえに本稿では、二つの大戦に翻弄された二人の経営者(シャルル・パテとベルナール・ナタン)の経営手腕から、パテ・シネマ社が小型映画発売に至る経営的かつ産業技術的必然性を具体的に明らかにした。それによってパテ・ベビーを含む小型映画事業そのものが、第一次世界大戦後の大不況と軍事技術の転用なしには誕生し得なかったことを指摘した。
著者
福島 可奈子
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.99, pp.46-68, 2018-01-25 (Released:2018-06-11)
参考文献数
46

【要旨】 大正から昭和初期にかけての子供による映画の齣フィルム蒐集とその文化について、従来見過ごされてきたメディア機器とその多様性を実証的に再考する「メディア考古学」の視座から考察する。齣フィルムとは、明治末から昭和初期にかけて映画館や玩具店等、様々な場所で販売されたワンフレームサイズの映画フィルム(18×35mm)のことで、大正期には子供による映画の齣フィルム蒐集が大流行を迎える。その事象についてはしばしば先行研究で言及されているものの、その実情については今までほとんど明らかにされてこなかった。そのため本稿では、当時の子供の齣フィルムコレクションや齣フィルム用の実体鏡や幻燈機等の実物史料を参照しつつ、明治末から昭和初期にかけて販売された齣フィルムについて、販売業者と購入者(蒐集者)双方の視点、あるいはその相互関係から詳細に検証し、当時の日本の映画の二次産業の一端を明らかにする。 戦前日本の映画の大半は、このように劇場公開後に切り売りされたために散逸したが、断片化した無数の齣フィルムの集積は、戦前日本のメディア文化の多様性と裾野の広さを示している。二次利用されたフィルムは、映画や幻燈のメインストリームの映像史にはあらわれない、子供の玩具世界で多彩に混淆した存在を生み出し、派生的に拡散していく。まさにこの流れは、現在加速しているデジタル一元化の流れとは対照的なのである。
著者
福島 可奈子
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.102, pp.195-207, 2019-07-25 (Released:2019-11-19)
参考文献数
18
著者
福島 可奈子
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.5-24, 2017-07-25 (Released:2017-09-13)
参考文献数
43

【要旨】鶴淵幻燈舗は、明治期に文部省の委託で初めて西洋幻燈を製作・納品し、その後の幻燈の普及に多大な影響を与えている。しかし鶴淵幻燈舗の事業の実態については、現存史料が少ないために、先行研究では断片的にしか明らかにされてこなかった。本論は、近年新たに発見された鶴淵幻燈舗発行の機関誌をも参照しながら、同舗の製造・宣伝・販売事業と、販売先のひとつである博文館の雑誌『少年世界』が主宰するお伽幻燈隊の活用方法について検証し、「通俗教育」事業としての幻燈と諸メディアのつながりの一端を明らかにしようとする。なぜなら同舗製作の幻燈は、近代国家としての「国民」の形成を目指していた明治政府にとって必要不可欠な教育ツールと目されたからであり、また明治期は現在考えられているような概念やメディアが定着・分離する以前であり、写真、幻燈、児童雑誌など多様なメディアが混在していたからである。そして「通俗教育」の名のもとにそれを横断する形で、鶴淵幻燈舗の製造・販売事業、お伽幻燈隊の受注事業があった。本論では、メディア考古学の観点から、メディアの多様性と相互の連関に注目するとともに、従来等閑視されてきた幻燈の実際面、製造・販売者や使用者の視点からの、技術的側面や具体的使用例を検討しつつ、明治期の「教育」現場での、他メディアとのつながりをも含む幻燈の果たした役割を明らかにする。