著者
福持 昌之
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.49-63, 2015-06-13 (Released:2018-05-31)
参考文献数
44

真如堂は、正しくは鈴聲山眞正極楽寺といい、京都市左京区にある天台宗の古刹である。ここで11月5日から15日にかけて行なわれる十夜法要は、全国の十夜法要の元祖とされている。本稿では、まずその由緒を検討し、伊勢貞国だけでなく伊勢貞経に由緒を求める説があったことを示した。次に、十夜の歴史的展開として、16世紀後半には京都で十夜法要はよく知られており、17世紀後半には十夜法要の元祖が真如堂であると知られていたことを示した。そして、真如堂の十夜法要では、17世紀には僧侶が導師となって鉦を叩き、聴衆が共に念仏をする形式であったこと、18世紀初頭から様々な講が組織され、18世紀後半には鉦講が成立して十夜法要で演奏をするようになったと示した。これまでの研究では、楽器の双盤の記年銘によって民俗芸能としての双盤念仏があったとする傾向が強かった。しかし、鉦講の組織化や芸態を示す史料を重要視する場合もあり、本稿でも鉦講の組織化と演奏の記録を重要視した。
著者
福持 昌之
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.142, pp.211-238[含 英語文要旨], 2008-03

大名行列を象徴する奴振りは、もともと武士の供揃いの規模が大きくなった奴行列である。明暦頃には仮装の風流として祭礼行列にも取り入れられた。その後、独特の所作が芸能としての価値を持ち、歌舞伎舞踊に影響を与え、大名行列でも重宝される。現在は、全国各地の祭礼行列に見られる民俗芸能である。大阪では霊枢車が登場する以前、野辺送りの葬列にこの奴振りがみられた。祭りを賑やかす行列仕立てが、しめやかな葬列にも共通してみられたことは、いかにも不釣合いにみえる。このことは大阪の葬儀業者には、もともと近世に大名行列への人足を供給していた業者があったため、明治になって新しいビジネスとして、大きな葬儀に際して葬列に奴振りを取り入れたのだと理解されてきた。また、奴振りを伴う派手で華美な葬列を好むことこそが、大阪の特異性であるとも言われてきた。しかし、葬列の構成をみると、奴振りは僧列の一部であることが明らかになった。つまり、僧侶の供揃えとして葬列に加わっているのである。僧侶の供揃えに奴行列がつく事例は、近江の湖東地域の寺院に伝わる近世文書にも確認することができる。そこでは、葬列の一部に御導師人足もしくは寺人足と呼ばれる僧列があり、奴行列がみられた。また、大阪のいくつかの神社では、祭礼の際に葬儀業者が中心になって奴振りがおこなわれてきた。大阪の葬儀業者は、もともと大名行列の人足方であったことから、日常から神社仏閣等に出入りし、祭礼の際に棒頭として采配を振るい、奴行列をはじめさまざまな人足を手配した。この棒頭は、大阪天満宮は駕友、御霊神社は熊田屋、難波神社は阿波弥、熊野神社は平久と決っていた。大阪のキタとミナミでは、奴振りの所作が異なったという。大阪の葬列にみる奴振りの、死者へのセレモニーと、清浄なる神事との間を自在に行き来する身体は、葬列を構成する僧列の供揃えであることと、大名行列の人足方という葬儀業者の出自とに裏打ちされた上に成り立っている。