- 著者
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笠井 昭次
- 出版者
- 慶應義塾大学出版会
- 雑誌
- 三田商学研究 (ISSN:0544571X)
- 巻号頁・発行日
- vol.48, no.4, pp.129-145, 2005-10
現行会計実践は,測定の側面からは,取得原価,時価,増価(いわゆる償却原価)の三者が,いわば等価的に存在する併存会計であるが,しかし,その会計実践の全体が,合理的に説明されているとは言い難い。もっとも,もっぱらFASB の動向あるいは国際的潮流に関心のある我が国においては,そうした説明理論の欠如は,さしたる問題ではないのかもしれない。しかし,確実な根拠の提示により社会的に貢献することが科学理論の役割と考えている筆者にとっては,そうした説明理論の欠如は,会計理論のレーゾンデートルにかかわる由々しい問題と言わなくてはならない。そこで,ここでは,会計実践の全体を首尾一貫した論理で説明する理論体系が我が国においては欠如している,ということの原因について考えることとしたい。もっとも,もっぱら投資家の意思決定への直接的な役立ちを重視する現状からすれば,そうした試みには,さしたる意義が認められないことが予想されるのであるが,会計理論のレーゾンデートルを,会計実践の全体に関する確かな知識体系の提示に求める筆者の視点からは,いささか迂遠のようではあるが,根本的に重要なことなのである。十全な説明理論が欠如していることの原因としては,私見では,伝統的会計理論(取得原価主義会計論)の問題点に関する究明の欠如,およびFASB などにより主張された収益費用観・資産負債観という二項対立の理論的根拠に関する究明の欠如,という2点が指摘されなければならない。まず前者であるが,今日,取得原価主義会計論の理論的欠陥の索出といった作業は,まったく試みられていない。そうした営みは,既に過去のものとなった会計学説の欠陥をほじくり返す,といった感覚でしか受け止められていないのではないだろうか。しかし,もし人間の営みを,何らかの意味での「進歩」という語によって語ることができるとするなら,現代会計理論は,取得原価主義会計論の欠陥を克服したものとして位置づけられるであろう。そうであれば,現行会計実践に関する十全な説明理論の構築のためには,取得原価主義会計論の理論的検討が不可欠なのである。このように理解するかぎり,そうした理論的検討の欠如が,現代会計理論の不振の一因となっていると言ってよいであろう。次に後者であるが,今日,周知のように,収益費用観と資産負債観との二項対立のもとで,さらには,収益費用観から資産負債観への転換という枠組によって,会計の変化を説明することが,流行現象になっている。その場合,収益費用観によればかくかくの処理になり,収益費用観によればしかじかの処理になる,といった議論が瀰漫している。収益費用観・資産負債観はそもそも理論的に成立し得るのか,といった議論を筆者は寡聞にして知らない。しかしながら,科学理論におけるすべての主張は,基本的にはひとつの仮説に他ならず,何らかの形で,その妥当性が議論されなくてはならない。つまり,誤りであるかもしれないという可能性が,常に意識されなければならないはずである。もし会計理論が1個の科学理論であるとするならば,収益費用観・帯資産負債観の妥当性に関する議論がなされていない現状は,奇異としか言いようがない。かねてから,そのような疑念を筆者は覚えていたが,そうした疑念は,FASB 学と化したかにみえる今日の会計学界においては,荒唐無稽なことのように感じられよう。しかし,本当にそうなのであろうか。そこで,貸倒損失を例にして,筆者の疑念の妥当性いかんを考えてみよう,というのが本稿の狙いである。すなわち,いわゆる取得原価主義会計においては,期末に貸倒引当金が計上されるのは,きわめて当然のこととみなされていたが,その感覚は,現行併存会計においても継承されている。しかしながら,最近,その点について疑義が提起されるようになった。そのこと自体は,好ましいことではあるが,問題は,そうした主張の具体的内容である。すなわち,そうした疑義にしても,取得原価主義会計に内在する理論的な欠陥を是正するという問題意識のもとに捉えられているのではない。むしろ,今日できあいの収益費用観と資産負債観という二項対立の妥当性を暗黙裡にせよ大前提に据えつつ,収益費用観から資産負債観への転換という論理に,依拠しているかに思われるのである。そこには,取得原価主義会計論という体系には,内在的な混乱があるかもしれない,といった問題意識,あるいは収益費用観・資産負債観という二項対立は,理論的に成立しないかもしれない,といった問題意識など,まったく感じられないのである。本号は,貸倒引当金計上との関係における取得原価主義会計論の内在的欠陥の問題を検討することとし,収益費用観と収益費用観との二項対立の問題については,次号で取り上げることとしたい。