- 著者
-
若曽根 健治
- 出版者
- 熊本大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 1999
ドイツ中世後期の騎士および市民のフェーデには同時代人の「はげしい情感」(ホイジンガ)の動きがあった。これは「名誉に敏感で傷つき」易いことと、表裏の関係にあった。暴力現象の背後には、名誉に拘泥し、身分に拘る、騎士や市民の繊細さが潜んでいた。他方で、フェーデには他の様々の問題が絡む。フェーデの考察は、中世ヨーロッパに関する1つの総合史的考察とならざるをえない。このことは、フェーデの1つの担い手であった都市ひとつをとってみても、よくわかる。都市を周域と切り離して隔離的に取り上げることは、できないのである。関係的状況の考察をもっと押し進めていかねばならない。日本中世との比較法社会史的考察も、中世ヨーロッパの法的制度の特質を浮き彫りにする。比較史的考察の必要性は今後高まろう。その場合類似だけに注目するのでなく、むしろ相違に目を向ける必要がある。これによって、本当の意味で類似性にも理解がいく。フェーデの現象には、蓄積された富に与かろうとする、騎士の志向が働いていた。この志向は、フェーデによって権利を主張し、暴力を正当化しようとしたところからわかる。他方で、騎士による権利主張の理由や正当化の根拠については、史料からは見えにくい。このことは、騎士の権利主張や権利正当化には、必ずしも十分な理由・根拠がなかったことを思わせる。市民には、富の形成・蓄積について実績があったが、騎士にはこれがない。じつは、このことを、誰よりも騎士自身がよく知っていたのではなかろうか。時代と共に、フェーデによって富の蓄積に関与しようとすることが、もはや意味をなさなくなる。このことに騎士は気づくのではないか。これは、上級権力者--領邦君主--によるフェーデ権の集中化・独占化と表裏の関係にある。時代は、こうして1つの変化を見せるのである。