著者
若林 文高
出版者
公益社団法人 日本化学会
雑誌
化学と教育 (ISSN:03862151)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.76-79, 2017-02-20 (Released:2017-08-01)
参考文献数
4

理科教育では原子・分子などの「粒子概念」の習得が重要である。スペクトルを実際に観察して光の不思議に興味をもち,また歴史的にその謎を解き明かすことで「原子・分子」について理解を深めてきた経緯を学ぶことにより,「原子・分子」を身近に感じられるようになると考えられる。スペクトルの歴史的・現代的意義を述べたあと,身近になったDVDを回折格子として用いる「DVD分光器」の製作法と,それを用いたスペクトルの観察,通常のパソコンと表計算ソフトを用いたスペクトル解析法について述べる。最近のデジタル技術の急速な進歩で,驚くほど高精度の分光実験が身近な材料や電子機器でできるようになった。
著者
若林 文高
出版者
公益社団法人 日本化学会
雑誌
化学と教育 (ISSN:03862151)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.112-115, 2017-03-20 (Released:2017-09-01)
参考文献数
15

最初の人工元素テクネチウムは,1937年にサイクロトロン中で作られた。これは43番元素で,小川正孝が1908年に新元素として発表しその後消えた「ニッポニウム」の原子番号とされた位置だった。93番以上の「超ウラン元素」は,1940年以降に人工的に作られて発見された。その発見史を4つの時代に区分して追ってみた。
著者
室谷 智子 有賀 暢迪 若林 文高 大迫 正弘
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-05-19

明治22年(1889年)7月28日午後11時40分頃,熊本地方で地震が発生し,熊本市内で死者約20名,家屋全壊230棟以上,さらに熊本城の石垣が崩れるなどの被害が発生した.この地震の震源は,熊本市の西部に位置する金峰山で,マグニチュードは6.3と推定され(宇津,1982,BERI),地震発生から21日間で292回,5ヶ月間で566回の余震が観測された(今村,1920,震災予防調査会報告).震源が平成28年(2016年)熊本地震とは少し離れているようであるが,この明治熊本地震への関心は高い.国立科学博物館は,この明治熊本地震に関する資料を所蔵しており,本発表では,それらについて紹介する.熊本市に今も残る冨重写真館の写真師・冨重利平は,明治熊本地震の際,被害の様子を撮影しており,熊本城の石垣の崩壊や,熊本城内にあった陸軍第六師団の被害,墓石の転倒状況,城下町での仮小屋の風景など,11枚の写真を所載した写真帖が国立科学博物館に残されている.写真撮影のポイントは不明であるために完全に同じ場所か分からないが,明治熊本地震で石垣が崩壊した飯田丸や西出丸,平左衛門丸は,平成28年熊本地震でも崩壊している.冨重は軍や県の依頼によって写真を撮影する御用写真師でもあり,軍や県,地震学会の依頼で撮影したものかどうかの経緯は不明であるが,熊本へ震災状況の視察にやってきた侍従に県知事からこれらの写真が寄贈されていることから(水島,1899,熊本明治震災日記),県の依頼で撮影したものかもしれない.これらの写真は,日本の地震被害を写した最初の写真と思われ,国立科学博物館ホームページ「国立科学博物館地震資料室」(http://www.kahaku.go.jp/research/db/science_engineering/namazu/index.html)にて公開している.この地震の際には,帝国大学理科大学(現東京大学理学部)の小藤文次郎や関谷清景,長岡半太郎(当時は大学院生)といった研究者が現地調査を行っている.大きな被害を引き起こした地震の近代的調査としては,この熊本地震がほぼ初めての例となった.地震から11日後の8月8日に現地入りした長岡は,熊本市の西にある金峰山周辺の町村で建物被害や地割れを調べ,ノートや手帳に調査状況や建物被害,地割れ等の被害地点のスケッチを残しており,それらが国立科学博物館に科学者資料として保存されている.古い地震の被害状況を窺い知ることができる資料としては絵図が有効であるが,国立科学博物館では明治熊本地震の絵図も所蔵している.明治22年7月30日印刷,8月出版と記された「熊本県下大地震の実況」絵図は,家屋が倒壊し,下敷きになっている人々が描かれている.また,被害の状況を記す文章も書かれており,「実に近年稀なる大地震なり」と記されている.歴史上,熊本地方は何度も大地震に見舞われているが,平成28年熊本地震が起きた際,過去に熊本で大きな地震が起きたとは知らなかったという人が多かったことからも,被害を伴う地震が稀であるために,大地震について後世に継承されていなかったと思われる.