著者
藤森 馨 夏目 琢史 小倉 慈司 岡野 友彦 岡田 荘司
出版者
国士舘大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2018-04-01

昭和31年村田正志氏が調査された出雲国造北島家の古文書は、429通を精選し、『出雲国造家文書』として昭和47年に刊行されている。その中で、306通の文書が重要文化財に指定され、同時に文化庁の斡旋により表装成巻された。当初、この表装された巻子本を再度調査し、当時の技術では解読しえなかった紙背文書などを明らかにしようとして、本研究を始めた。しかし、原則当主以外立ち入りを禁じられていた蔵を、現当主北島健孝氏と共に、調べてみたところが、未調査の箪笥があることが分かった。平成30年8月23日から3同月26日かけての調査で、新出の鎌倉時代から戦国時代にかけての文書150通が発見された。平成31年3月5日から7日の調査で、更に100通の写しを含む中世文書が発見されたのである。これは想定外の事態で、村田氏が『出雲国造家文書』跋文で429通がほぼその全容である、と記されていたからである。この度発見された古文書は「六波羅下知状」などの鎌倉時代の文書から戦国時代に及ぶ。特に尼子氏の出雲支配や、その支配を継承した毛利氏関係のものが多い。出雲の中世史を一変させるのではないか、と推測されるものが多数である。尼子氏を通じての幕府関係のもの、毛利氏を通じての豊臣政権関係のものなど多岐にわたる。その特徴は、宗教関係文書というより、在地を統括する武家文書を彷彿させるものである。戦国時代後期には本願など大社造営関係の宗教者の動きを示す文書も散見するようになるが、決定的に少ない。聖教や祝詞など寺社文書を特徴づけるものは、皆無とは言えないが、今回の調査では、あまり目に触れなかった。老中奉書などでの祈祷依頼などは、むしろ近世文書に多く視られる。いずれにしても、新出の中世文書が想定外の分量で発見されたことは、今回の研究の大きな業績といえよう。
著者
藤森 馨
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.148, pp.73-83, 2008-12-25

真名鶴神話(真鶴神話・八握穂縁起とも)とは、六月・十二月十一日神今食と十一月中卯日新嘗祭の祭月朔日に、天皇に供進される忌火御饌の起源神話として、神祇官から村上天皇に天暦三年(九四九)に上奏された『神祇官勘文』に見られる神話である。その内容は以下の通りである。倭姫が天照大神を奉じ、伊勢国壱志郡を発し、佐志津に逗留した際、夜間葦原で鶴鳴を聞いた。使者を派遣し、捜索させたところ一隻の鶴が八根の稲穂を守護していた。倭姫はこれを苅り採り、大神の御饌に供えようとし、折木を刺し合わせ火鑚をし、彼の米を炊飯。大神に供奉し、この時から神嘗祭は始まった。そして以後三節祭毎に御飯を供進したという。こうした火鑚を行って鶴が守護した稲を炊飯する儀を忌火といい、宮中の忌火御饌の起源であると神祇官より村上天皇に上奏されたのである。すなわち、この神話伝承によれば、宮中の忌火御饌は、伊勢神宮内宮の由貴大御饌神事と不可分な関係があるという。のみならず、天皇親祭の形式で執行される六月・十二月十一日神今食と十一月中卯日新嘗祭と祭祀構造を同じくする神宮三節祭、すなわち六月月次祭・九月神嘗祭・十二月月次祭との関係を考える上でも、宮中の忌火御饌供進儀と神宮の由貴大御饌供進儀との密接さを窺わせる神話は看過できない。本稿では宮中の嘗祭の延長線上に神宮三節祭があることを検討してみたい。
著者
藤森 馨
出版者
日本図書館協会
雑誌
図書館雑誌 (ISSN:03854000)
巻号頁・発行日
vol.98, no.2, pp.106-108, 2004-02