著者
藤石 貴代
出版者
新潟大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2015-04-01

本研究の目的は,1940年代前半期の朝鮮半島で唯一,発行を許可された月刊文芸誌『国民文学』(1941.11~1945.5通巻39号)誌の編集者であった金鍾漢の「国民文学(論)」を,日本帝国主義に対する抵抗か屈従(親日)かの政治的二項対立からの評価ではなく,朝鮮文人たちの朝鮮(語)文学存続のための試論として捉え直し,その内容と変化を明らかにすることである.2015年度から2016年度にかけては,在朝日本人作家(則武三雄)による同時代評に着目したが,2017年度には,「国民文学(論)」の存立が朝鮮半島に限定されるものでなく,日本内地の「地方」においても,変革を余儀なくされる戦時体制下の文学運動として把握された例を,戦前・戦中・戦後を通じて新潟で発刊された詩誌『詩と詩人』の調査により確認した.地方から大政翼賛会や放送局に「献納」された「愛国詩」の朗読運動に着目し,日本放送協会編『愛国詩集』(1942年)等に掲載された詩篇の調査を行った.調査の過程で,『詩と詩人』編者の浅井十三郎が,「愛国詩運動」としての「朝鮮の“國民詩歌”」に関心を持っていたことが明らかになった。『国民詩歌』は朝鮮文人報国会の機関誌であり,後に(1944年10月)『国民文学』と同じ発行所から『国民詩人』として刊行されることになる.2015年度に,『国民文学』主幹であった崔載端(1908-64)の恩師であり,英文学者で詩人の佐藤清(1885-1960)と浅井十三郎との交流を指摘したが,両者の接点をあらためて確認した.
著者
大村 益夫 波多野 節子 白川 豊 芹川 哲世 藤石 貴代 熊木 勉 布袋 敏博
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1999

3年間にわたる調査と研究を以下のような形でまとめた。1.成果報告論文集各分担者がこれまで行なってきた研究・調査活動をまとめて論文を執筆し、成果報告論文集を作成した。報告炉論文集の目次は、以下の通りである。(1)洪命憙が東京で通った二つの学校-東洋商業学校と大成中学-:波田野節子(2)1920年代廉想渉小説と日本-再渡日前の4篇を中心に:白川豊(3)田栄澤論-解放後作品と基督教-:芹川哲世(4)京城帝国大学と朝鮮人文学者-資料の整理を中心に-:布袋敏博(5)李箱の小説における「わたし」-日本語遺稿と関連して-:藤石貴代(6)兪鎮午の「金講師とT教授」について:白川春子(7)尹東柱の文学に対する評価をめぐって-1940年代における抒情詩からの視角-:熊木勉(8)金昌傑研究試論:大村益夫2.『毎日新報文学関係記事索引(1939.1〜1945.12)』『毎日新報』は、姉妹紙の日本語新聞『京城日報』とともに、植民地末期文学の研究において不可欠の一次資料である。同紙のマイクロフイルムをもとにして『毎日新報文学関係記事索引(1939.1〜1945.12)』を作成した。これにより、植民地末期の朝鮮文壇の動き、朝鮮人文学者たちの行動が相当に明らかになった。朝鮮人作家および作品の個別研究を集積することによって朝鮮近代文学の日本との関連様相を明らかにしていくという当初の目的は、ある程度まで達成しえたといえる。しかしながら、扱うべき作家はこの他にも数多く残っている。本研究では、朝鮮人文学者たちの日本における足跡調査と資料収集を行なってきたが、当時の資料は日ごと失われつつあり、また当時を知る生証人たちも年を追っていなくなっていっている。研究の継続が必要かっ急務である。