著者
谷岡 能史
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.83, no.1, pp.44-59, 2010-01-01 (Released:2012-01-31)
参考文献数
30
被引用文献数
2 2

7~10世紀の暖候期(5~10月)における気候について,六国史と『日本紀略』を対象史料として検討した.長雨や干ばつを中心に集計した結果,干ばつは7世紀末~8世紀,長雨は9世紀の特に後半に多く記載されていた.理化学的な気温復元結果から,前者は温暖化の時代であり,7月における干ばつの増加と関連があるとみられる.後者のうち,879~887年は7月に長雨が多く,梅雨前線の北上が遅かったことが示唆される.これに加え,平安遷都という都城の立地条件の変化が史料編者の意識を変化させた可能性もある.また,理化学的データではとらえきれないスケールの小さい変動も記載の変化に関わっていたと考えられる.
著者
谷岡 能史
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

1 はじめに<br>「御用部屋日記」(以下「日記」とする.)は,兵庫県豊岡市にあった出石藩の公式記録である.日記のうち1815年(文化12)~1869年(明治2)の664冊は現存し,豊岡市立図書館のホームページで閲覧できる.今回の発表はここから天候記録を抽出した結果である.<br><br>2 集計方法<br> 今回の発表では,日記において各日の記載の冒頭にある天候に関する記載を集計した.<br>「雨」「小雨」「大雪」などが記され,降水があったと考えられる日の数を降水日数,そうでない日(天候に関する記載がない日を除く.)の数を無降水日数として集計した.<br>また,降水日数のうち,「雪」「小雪」などの記載がある日の数を雪日数,「雨」を雨日数,雨と雪の両方が記載されている日をみぞれ日数とした.「霰」(あられ)と判読できた日もあり,便宜上「みぞれ」として集計したが,「霧」と見分けがつきにくかった.<br><br>3 集計結果<br> 1815~1869年について集計したところ,降水日数は2774,無降水日数は5543,判読不能の日数が39であった.図1はこれを月ごとに示したもので,12~2月に降水日数が多く,5月と8月は少なかった.<br> 時系列でみると,天候記録は1810年代後半と1850年代に多く,1820年代後半と1860年代は少なかった. <br> 冬(前年12月~2月)について,図2に示した中で降雪率が最も高かったのは1845/46年で,1月26日(和暦では弘化2年12月29日)には積雪が5尺に達したという.また,積雪7尺の記載がある1849/50年冬も降雪率が高かった.<br> 7月の降水率について,図3に示した中では1823年・1853年・1861年が0.10を下回った.このうち,1823年は「因府年表」(鳥取)等にも干ばつが記載されていた.逆に,1840年は日記において降水率が0.44と高かったが,「因府年表」には干ばつの記載もあった。しかし,日記で降水率が高いのは7月前半であり,「因府年表」においても7月13日(和暦6月15日)までは雨が多かったと記され,両者はこの点で整合的であった.<br> また,1850年10月8日(嘉永3年9月3日)には北東風を伴った水害の様子が書かれ,他地域との比較による台風進路の推定にも役立つと期待される.
著者
谷岡 能史
出版者
広島大学大学院文学研究科考古学研究室
雑誌
広島大学考古学研究室紀要
巻号頁・発行日
vol.4, pp.109-128, 2012-03

その他のタイトル: 広島大学大学院文学研究科 帝釈峡遺跡群発掘調査室年報ⅩⅩⅥ