著者
根元 裕樹 泉 岳樹 中山 大地 松山 洋
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.86, no.4, pp.315-337, 2013-07-01 (Released:2017-12-05)
参考文献数
38
被引用文献数
1

1582(天正10)年,岡山県の備中高松で備中高松城水攻めが行われた.近年の研究では,備中高松城の西側の自然堤防を利用した上で基底幅21 m,上幅10 m,高さ7 mの水攻め堤が3 kmにわたって築かれたとされているが,わずか12日間でこの巨大な堤防が本当に築けたのか,その信憑性が疑われている.そこで本研究では,流出解析と氾濫解析を組み合わせた水攻めモデルを開発し,水攻め堤の有無と高さによる複数のシナリオで備中高松城水攻めを再現して,水攻めの条件について考察した.その結果,水攻めには上述したような巨大な堤防は必要なく,足守川からの水の流入,備中高松城西側の自然堤防,それに接続する南側の蛙ヶ鼻周辺の水攻め堤があれば十分であることが示された.また,この結果と史料を考慮すると,蛙ヶ鼻周辺の水攻め堤は,その高さが約3.0 mであったと考えるのが合理的であるという結論に至った.
著者
益田 理広
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.88, no.4, pp.363-385, 2015-07-01 (Released:2019-10-05)
参考文献数
88

地理学はしばしば「空間の学」と称される.これは斯学が空間なる概念を根本対象あるいは方法,すなわち理論上の基礎として遇していることを意味するが,その重用とは裏腹に,現今の地理学的空間は確乎たる意義を失し,ただその名のみが無数の概念を覆う事態に陥っている.本研究は,この空間概念の混乱という理論上の危機を打開すべく,事物の本質的な結果のみを重んじるプラグマティズムに範を取り,演繹法を用いた分析によって地理学的空間概念の一般的性格を見出した.その際には,空間に関する古典論から基本的な4類型を示し,中でも地理学理論に深く関係する3類型を分析した.結果,地理学においては空間を物質そのものとみなす傾向が甚だ強く,加えてそれらの大半が可視的な性質を伴っていることが理解された.さらに,この一般的性格が,空間論の興隆と同時期に衰微したラントシャフト概念と共通する特徴をもつ,一種の後継概念と目される点についても指摘した.
著者
牛垣 雄矢
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.85, no.4, pp.383-396, 2012-07-01 (Released:2017-11-03)
参考文献数
26
被引用文献数
1 4

本研究では,同業種型商業集積地の形成と変容について,東京都秋葉原地区を対象に考察した.秋葉原地区は,第二次世界大戦後,周辺地域に比べ相対的に地価が安いことで電気関係の店舗が集積した.その後,取扱商品の中心がパソコンからアニメ関係商品へと変化する際は,老舗電気店の果たす役割が大きかった.両業種ともさらに集積が進む段階になると,多くの新規店が出店し,駅前や表通りに進出する商店も現れた.主にパソコン関係店の場合は初期に開業した商店が,アニメ関係店の場合は近年に開業した商店が駅前へ立地した.アニメ関係の新規店は駅前や表通りへの進出が早く,地域にもたらした変化も大きい.また,アクセスが不便な雑居ビルの上層階にもアニメ関係店やメイド喫茶などが入居し,地価が安い裏通りの雑居ビルにも多くの店舗が入居している.これらにより,秋葉原地区は小規模な店舗が集積する商業集積地としての性格を維持している.
著者
本岡 拓哉
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.88, no.1, pp.25-48, 2015-01-01 (Released:2019-10-05)
参考文献数
41
被引用文献数
1 1

第二次世界大戦後,日本の都市には住宅難によって公有地を「不法占拠」した居住地区が数多く存在した.本稿の目的は1950年代後半の東京における「不法占拠」地区の社会・空間的特性とその後の変容過程を明らかにすることである.前者については,都市の不便な場所にあること,居住環境が劣悪であること,貧困層や社会的に排除された社会集団が暮らしていたことの三点に集約でき,当時の不良環境地区の中でもその特徴は際立っていた.また,「不法占拠」地区の住宅や居住者は住宅市場や労働市場に組み込まれており,都市において孤立しておらず,周囲の地域と関係を有していたことも考えられる.後者の変容過程については,1960年以降,多くの「不法占拠」地区が住宅地ではない土地利用に変化し,消滅する一方で,残存する場合もあった.また,地区の変容の時期や過程は一様ではなく,それぞれの地区の実態や都市における位置づけによって規定されていた.
著者
中川 紗智
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.92, no.5, pp.283-298, 2019-09-01 (Released:2022-09-28)
参考文献数
42
被引用文献数
1

本研究は,娼婦の通時的な経歴を定量,定性の両面から検討することでその移動実態を明らかにし,彼女らが盛り場をどのように生きたのかという視点から盛り場の性格を把握した.研究対象として1950年代の横浜をとりあげた.その結果,1950年代の横浜には盛り場の重要な構成員である娼婦が大規模に集積する基盤があった.娼婦の中にはほかの盛り場を経由した者や自身の判断によって移動した者も存在した.彼女らが生きる盛り場は全国から人々を惹きつけ,横浜における娼婦のさらなる増加につながった.移動してきた女性たちは横浜での売春を開始して以降もそれぞれが多様な経歴を形成しながら盛り場を生きていた.横浜の盛り場は,多様な背景をもつ多くの女性を絶え間なく流入させ,売春をおこなう彼女らの生活を内包することによって異質性の高い空間であり続けるという性格を持っていた.
著者
谷 謙二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.85, no.4, pp.324-341, 2012-07-01 (Released:2017-11-03)
参考文献数
38
被引用文献数
1

本研究では,これまで十分な検討がなされてこなかった1940年代の国内人口移動の動向に関して,当時行われた人口調査と臨時国勢調査を使用してその動向を明らかにした.これらの調査は調査日が異なるものの,年齢が各歳の数え年で表章されており,コーホート分析が可能である.まず1944年時点では,兵役の影響で男子青壮年人口が極端に少ない特異な年齢構成を示す.都市部では若年男子人口が集積したが,その傾向は軍需産業の立地動向に影響を受けていた.終戦をはさむ1944~1945年にかけては,男子の兵役に関わる年齢層を除き,全年齢層にわたって都市部からの大規模な人口分散が起こった.大部分の人員疎開は縁故疎開であり,疎開先は戦前の人口移動の影響を受けた還流移動のかたちをとった.1945~1947年にかけての東京都と大阪府での人口回復は限定的で,疎開先にとどまった者が多い.その結果,東京都と大阪府では終戦をはさんで居住者がかなりの程度入れ替わった.
著者
山内 昌和 西岡 八郎 江崎 雄治 小池 司朗 菅 桂太
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.93, no.2, pp.85-106, 2020-03-01 (Released:2023-02-19)
参考文献数
60
被引用文献数
1

本稿の目的は,沖縄県の合計出生率が本土よりも高くなるメカニズムを解明することである.分析では,筆者らが独自に実施した質問紙調査や,政府統計の1つである第4回全国家庭動向調査等を資料として,沖縄県と本土の出生行動を比較した.その結果,沖縄県の合計出生率が本土よりも高いのは,沖縄県に特有の文脈効果の影響,具体的には,多くの子どもを持つことを望ましいとする価値観,結婚前に子どもを授かることへの寛容さ,家系継承が父系の嫡出子に限定されるという家族形成規範の3つの家族観が出生行動に影響を及ぼし,沖縄県の有配偶女性の子ども数が多くなるからであった.考察では,沖縄県における3つの家族観の内実にゆらぎがみられること,所得水準や待機児童などの出生に関連する沖縄県の社会経済状況が本土より劣位にあることを踏まえ,沖縄県の合計出生率が今後低下して本土の水準に近づく可能性があることを論じた.
著者
根元 裕樹 中山 大地 松山 洋
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.84, no.6, pp.553-571, 2011-11-01 (Released:2016-09-29)
参考文献数
15
被引用文献数
3 6

山梨県甲府盆地の西部,釜無川と御勅使川の合流部付近には信玄堤と呼ばれる治水施設群がある.信玄堤に関する歴史的研究では,近世以降に築かれた可能性や,自然に起こった流路変遷を固定化するための工事であるという見解が示されてきた.しかしながら,自然科学的研究は少ないため,本研究では洪水氾濫シミュレーションを行って,これらの治水能力を再評価した.現在の地形をスムージングした地形に各施設(石積出,白根将棋頭,竜岡将棋頭,堀切,竜王川除,かすみ堤)を配置し,dynamic wave model による御勅使川の洪水氾濫シミュレーションを行った.その結果,御勅使川の過去の流路が再現され,各治水施設が及ぼす影響を確認できた.これによると,石積出→白根将棋頭→堀切→高岩(岩壁)→竜王川除という順に設置されなければ,信玄堤は有効に機能しない.つまり,これらの施設は近世より前に短期間のうちに意図的に築かれた可能性が高く,既存の歴史的研究成果とは異なる結果が得られた.
著者
稲垣 稜
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.87, no.1, pp.17-37, 2014-01-01 (Released:2018-03-22)
参考文献数
38
被引用文献数
1 2

本研究では,奈良県生駒市の例を中心に,大阪大都市圏の郊外から中心都市への通勤者数の減少を属性別に検討し,その減少の要因を明らかにした.その結果は以下の通りである.郊外における現在の住宅取得層は,地方圏出身者が減少し,郊外第一世代の子どもに相当する世代の占める割合が高まっていた.この郊外第二世代は,雇用の郊外化の影響を受けて,新規就業の段階から郊外内部での通勤を指向する傾向にあった.またさらに若い世代では,少子化や非正規雇用化により,中心都市へ通勤する新規就業者は大幅に減少していた.それら以上に中心都市への通勤者数の減少に寄与したのが,人口規模が大きく中心都市への通勤に特化していた郊外第一世代の退職であった.一方,中心都市への通勤者を増加させる方向には,郊外での住宅取得後も中心都市で就業を継続する既婚女性の増加が作用していたが,減少を相殺する規模ではなかった.
著者
住吉 康大
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.94, no.5, pp.348-363, 2021-09-01 (Released:2023-02-19)
参考文献数
38
被引用文献数
1

本稿では,千葉県南房総市と周辺地域を事例に,近年メディア等で注目を集める「二地域居住」に焦点を当て,二地域居住者と地域の実態を明らかにし,人口減少社会における地域振興との関係性を検討した.現地調査を通じて,二地域居住は「田舎暮らし」を希望していても移住は難しい場合の次善策として選択されていることや,事例地域では,大都市部からの良好な交通条件と豊富な自然環境に加え,先駆的なリーダーによる情報発信が機能して,多様な二地域居住者が集まっていることが示された.自治体が行う移住支援策との相乗効果が生まれ,二地域居住者が地域の課題解決を目指す活動も生じているなど,二地域居住が地域振興に寄与する可能性はあるものの,現時点では地域住民からの二地域居住に対する認知度は低いため,地域振興策として二地域居住を推進する際には,リーダーの活動を生かす一方で,自治体が地域住民との橋渡しを行う必要があると考えられる.
著者
須崎 成二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.92, no.2, pp.72-87, 2019 (Released:2022-09-28)
参考文献数
30
被引用文献数
4 1

本研究は,日本の地理学では実証研究が乏しいセクシュアリティに着目し,ゲイ男性の新宿二丁目に対する場所イメージを,彼らの実践および経験に基づいて検討したものである.首都圏に居住するゲイ男性24名への聞取り調査を行った結果,オンラインツールなどによるゲイ男性同士の新たなつながりの創出は,新宿二丁目のゲイバー利用を妨げるわけではないことがわかった.また,新宿二丁目ではマスメディアなどの影響によって異性愛者の流入もみられるが,それに対してゲイ男性は拒絶と受容の相反する認識を持っている.ゲイ男性の多くは,安心してセクシュアリティを解放できる特別な場所として新宿二丁目を肯定的にとらえているとはいえ,その特殊性の認識には人間関係の構築や自己の確立に伴う変化がみられた.
著者
水谷 知生
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.82, no.4, pp.300-322, 2009-07-01 (Released:2011-08-25)
参考文献数
90

現在,九州と台湾の間の島々を示す地域名称として「南西諸島」,「琉球諸島」,「薩南諸島」などが重層的に用いられている.本稿ではこの地域の地域名称の使用,浸透の経過を政治的な背景とともに明らかにした.「南西諸島」をはじめこの地域の島々の地域名称の多くは,明治期に海軍省水路部により付与されたが,「薩南諸島」は民間で用いられ,広く使われるようになった.地域名称は教科書類によって一般に浸透し,名称の整理には教科書検定制度が役割を果たした.奄美諸島は,江戸期には,薩摩藩の直轄領でありながら対外的には琉球領として扱われたが,明治初期の日清間での琉球領有を巡る論争の際,日本政府は「琉球諸島」を沖縄諸島以南と整理し,奄美諸島を含めないこととした.一方,第二次世界大戦後,米国は軍事上の必要性から奄美諸島以南を日本本土と切り離す意図を持ってこの地域をRyukyu Islandsとした.「琉球諸島」の名称の使用には特に政治的な意図が多く働いた.
著者
髙橋 品子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.82, no.5, pp.442-464, 2009-09-01 (Released:2011-08-25)
参考文献数
62
被引用文献数
1 1

近代八重山の廃村は,そのほとんどがマラリアによる人口減少が原因とされてきた.しかし一方で,マラリア禍の激しかった西表島において500年以上も存続してきた祖納のような集落も存在する.本稿では,近代廃村期(1900年から1938年)を生き延びたマラリア有病地集落共通の特徴を分析し,その集落存続要因を探った.その結果,不明な点の多い伊原間集落を除き,八重山のマラリア有病地存続集落はすべて蔡温施政期以前からの古集落であった.古集落は,良港や湧き水の存在など立地条件がもともと良く,生活基盤がすでに整備されていたため,近世の地元役人による不正な課税に苦しみながらも人口を維持し得たと考えられる.また,近代廃村期における石垣島と西表島の廃村状況およびマラリア罹患率の違いから,マラリア予防対策は西表島の方がより効果があがったことが明らかになった.資料の多く残る西表島の古集落祖納を事例として検討したところ,住民による自発的集落移動や予防事業への全面的協力があった.祖納のような古集落には,人口減少を回避する強い集落内結束があり,こうした人間関係を基にした社会構造が,マラリア禍を緩和し,集落存続のための生存戦略を生む背景となっていたのである.
著者
小泉 諒 西山 弘泰 久保 倫子 久木元 美琴 川口 太郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.84, no.6, pp.592-609, 2011-11-01 (Released:2016-09-29)
参考文献数
30
被引用文献数
4 7

本研究では,1990年代後半以降における東京都心部での人口増加の受け皿と考えられる超高層マンションを対象にアンケート調査を行い,その居住者特性を明らかにするとともに,今日における住宅取得の新たな展開を考察した.その結果,居住者像として,これまで都心居住者層とされてきた小規模世帯だけでなく,子育て期のファミリー世帯や,郊外の持ち家を売却して転居した中高年層といった多様な世帯がみられた.それぞれの居住地選択には,ライフステージごとに特有の要因が存在するものの,その背景には共通した行動原理として社会的リスクの最小化が意識されていることが推察された.社会構造が大きく変化し雇用や収入の不安定性が増大している中で,持ち家の取得は,機会の平等が前提された「住宅双六」の形態から,個々の世帯や個人の資源と合理的選択に応じた「梯子」を登る形態へと変化したと考えられる.
著者
川浪 朋恵
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.89, no.3, pp.118-135, 2016-05-01 (Released:2019-10-05)
参考文献数
29
被引用文献数
2 2

日本における世界遺産登録は,地域資源の価値の評価と保存・保全への担保という性格だけでなく,地域資源と観光とのより強固な結合という性格も有する.2011年6月に日本で4番目の世界自然遺産に登録された小笠原諸島においても,登録が観光に大きな影響を与えた.本稿では,世界遺産登録前後の観光客について,その数の変化と,属性・観光行動などの質的変化を明らかにした.その結果,登録によって,全国的に知名度が上がり,急激な観光客の増加が見られた一方で,受入数の制限から,観光客の入替わりが起こり,リピーターの減少,初訪問者の増加,一人旅の減少などの属性の変化のほか,滞在の短期化やツアーへの参加率の上昇,トレッキングの人気,物見遊山的な行動など,観光行動も変化した.世界遺産登録は,観光地としての小笠原諸島に強力な付加価値を生み出すとともに,そこに引きつけられる観光客を変化させたことが示された.
著者
後藤 拓也
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.89, no.4, pp.145-165, 2016-07-01 (Released:2019-10-05)
参考文献数
50
被引用文献数
1 1

本稿では,カゴメ(株)を事例に,大企業が広域的な農業参入をどのように進め,それが地域にいかなる影響を与えるのかを,地理学的な視点から検討した.カゴメは1990年代の早い時期から生鮮トマト栽培に参入し,リスク分散や周年生産を重視しながら多元的・広域的に生産拠点の形成を進めてきた.特にカゴメは,西日本の中山間地域に多くの直営農場を設立したが,これらは過疎に悩む自治体からの誘致によるものである.実際,高知県三原村では,村が多額の予算を投じてカゴメの農場建設を支援していた.カゴメの進出によって,三原村では農業生産額が大きく伸び,若年層が従業員として周年雇用されるなどの効果が認められる.しかし三原村の事例からは,農場立地に伴う地域農業への波及効果は乏しく,また農場の従業員は大半が村外から雇用されるなど,カゴメ誘致の効果が必ずしも自治体や地域農業に還元されていないという問題点も明らかになった.
著者
伊藤 千尋
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.88, no.5, pp.451-472, 2015-09-01 (Released:2019-10-05)
参考文献数
40

本稿の目的は,滋賀県高島市朽木における行商利用の変遷と現在の特徴を,利用者や利用する地域社会の視点から明らかにすることである.これを通じて,過疎・高齢化が深刻化する現代の山村において行商が果たす役割を考察する.若狭街道に位置する朽木は古くから行商人が行き交う地域であった.聞取り調査の結果,1950年代後半までには,行商人は物資の供給だけでなく,便利屋や機会の媒介者などのさまざまな役割を担い,朽木の地域社会を構成する一つの要素となっていたことが明らかになった.しかし,1960年代前半からの社会変化により,住民による行商の利用機会は減少し,行商人との関係性は希薄化した.一方,現在の行商は,高齢者にとっての補完的・代替的な買い物手段として機能している.また,利用者と行商人との関係性は雑談や相談のコミュニケーションの場として機能するほか,高齢者の自立した生活を豊かにする相互行為としての側面をもつと考えられる.
著者
原口 剛
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.85, no.5, pp.468-491, 2012-09-01 (Released:2017-11-10)
参考文献数
37
被引用文献数
1

近年の人文地理学においては,場所は以下のように再定義されている.第1に,場所は内的な差異と争いに満ちている.第2に,場所とはさまざまな相互関係の結び目として形成される.本稿では,日雇労働市場として知られる簡易宿所街「釜ヶ崎」を事例として,以上の場所の定義を検証する.1970年代の「釜ヶ崎」においては,労働運動と地域住民という集合的アイデンティティが互いに対立しながら表象され,このような差異や争いの中で「釜ヶ崎」や「あいりん」という地名は社会的に再生産された.また,2000年代については,コミュニティ運動や地域経済の再生の活動では「萩之茶屋」「新今宮」という地名が再発見される一方,アート運動の活動においては「釜ヶ崎」という地名が新しく意味づけられている.これらの地名は,場所の内側と外側を結びつける主体の能動的な働きにより生み出されている.また,その中には,境界を多数化させる作用が見出される.
著者
有馬 貴之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.83, no.4, pp.353-374, 2010-07-01 (Released:2012-01-31)
参考文献数
46
被引用文献数
8 3

本研究の目的は,東京の上野動物園と多摩動物公園を調査地として,来園者の空間利用を比較し,それぞれの空間利用の特性を明らかにすることである.来園者に対してアンケート調査とGPS調査を行った結果,空間利用に影響を与える要素として,経験と目的,主体年齢,利用形態という三つの来園者属性と,敷地形態,土地起伏,動物展示,休憩施設,水辺・緑地という五つの空間構成要素が抽出された.市街地型動物園である上野動物園では,休憩施設が来園者全体の空間利用に最も影響を与えていた.つまり,上野動物園は動物の観覧以外にも休憩の場所としての多様な用途を担っていた.一方,郊外型動物園の多摩動物公園では,動物展示が来園者全体の空間利用に最も影響していた.したがって,多摩動物公園は,動物を観覧する場所としての重要性を強く備えていた.
著者
上西 勝也
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.87, no.5, pp.400-413, 2014-09-01 (Released:2019-10-05)
参考文献数
33

本稿は明治初期に英国から導入された水準測量について導入過程を述べ,現地で水準点の残存調査を行い,さらに英国の水準点の実態調査により,形状の差異を確認したものである.当時の水準点は日本では内務省により設置され「几号高低標」と呼ばれ,主として構築物の垂直面に「不」の文字の形が刻されたものであった.これらの几号高低標は一部残存しており,東京,東北地方をはじめ154ヵ所で確認することができた.そのうち東京中心部を例にとると43ヵ所が残存しているが,もとは166ヵ所の設置が推定され,残存状況がよくない.一方,几号高低標と同等の英国測量局のカットマークと呼ばれる水準点については約50ヵ所の調査を行ったが,日英の形状を比較すると英国の方が多様である.英国は設置数も多く,構築物の残存状況にも大きな差がある.日本の近代化に貢献した測量に用いられた几号高低標の保存は急がれる課題である.