著者
豊田 かおり
出版者
文化学園大学
雑誌
文化女子大学紀要. 服装学・造形学研究 (ISSN:13461869)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.147-160, 2006-01

モード史におけるモダニズムとは何か。芸術,建築や装飾デザインにおけるモダン・ムーヴメントの理念と実際の経過を辿り,1920年代のモダン・ファッションと照合し考察する。モダン・ムーヴメントは,バウハウスやデ・スティル,更には「国際様式」へ移行し,装飾を排除し,機能美を追及した合理主義へと向かう。また1925年のアール・デコ展やキュビズム等の影響により直線的・幾何学的フォルムが絵画から日用品に至るまで浸透する。モード史におけるモダニズムは1906年にポール・ポワレが女性をコルセットから解放したことに始まる,と一般に言われる。更にモダン・ファッションを打ち出したシャネルやヴィオネ等,当時のパリの有名メゾンのクチュリエ達は簡素化への道を辿る。第1次世界大戦を経て都市化や女性の社会進出が進み,窮屈でデコラティブな夜会服は徐々に姿を消した。1920年代には昼夜を問わず着用できる簡素でストレートなシルエットの服が登場し,階級間における差異がなくなり始めた。シンプルで無駄のない服は,現在のモードにおいても欠くべからざる要素である。1920年代が生んだモードは現代服の原点と言えるのである。
著者
戸崎 貴博 神谷 英紀 加藤 義郎 近藤 正樹 豊田 かおり 西田 知世 城間 恵 坪中 かおり 浅井 ひとみ 森部 美保 中屋 有貴 中村 二郎
出版者
一般社団法人 日本糖尿病学会
雑誌
糖尿病 (ISSN:0021437X)
巻号頁・発行日
vol.58, no.12, pp.881-887, 2015-12-30 (Released:2015-12-30)
参考文献数
14
被引用文献数
2

2型糖尿病外来患者89例に単独もしくは他の糖尿病薬に追加してSGLT2阻害薬イプラグリフロジンを3ヶ月間投与し,その有効性と有害事象の発現について検討した.HbA1c値は7.46±1.12 %より7.02±0.99 %(p<0.001)と有意に改善した.体重は76.4±14.4 kgより74.5±14.2 kg(p<0.001)に,内臓脂肪面積は100.4±39.5 cm2より93.2±33.7 cm2(p=0.011)に有意に減少した.ウエスト周囲長,血圧,血清ALT, γGTP,尿酸,およびeGFRも有意に減少した.有害事象は全身皮疹1件,膀胱炎1件,膣カンジダ症疑い1件,および重篤でない低血糖2件であった.イプラグリフロジンは肥満を合併した2型糖尿病の治療に有用と考えられるが,投与に際しては注意すべき点も多く,今後も注意深く経過観察することが重要である.
著者
豊田 かおり
出版者
文化学園大学
雑誌
文化学園大学紀要. 人文・社会科学研究 (ISSN:21871124)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.101-114, 2014-01-31

大正末期から昭和初期にかけて,日本は近代化が進展し,西欧の文化や思想が一般に浸透しはじめた。第一次世界大戦後,女性の進学や就職の増加に伴い,上流階級ばかりではなく,一般の女性たちがシンプルで機能的な洋服を着用しはじめ,西欧のファッションが同時代的に取り入られていくようになった。さらに1923(大正12)年の関東大震災を契機に合理的・近代化の象徴である洋服の着用がメディアによってさらに促進された。女性たちは長い黒髪を切り,洋服を着こなし,「モダンガール(通称モガ)」と呼ばれるようになった。しかし,さまざまな分野で注目を浴びたモダンガールは,東京人のパーセンテージにすれば,ごくわずかであった。やがてモダンガールには「毛断」ガールという蔑称までつき,その自由で活発な行動が非難されはじめた。本研究では,「モダンガール」が文学作品においてどのように描かれていたか見ていくべく,龍胆寺雄の『放浪時代』,広津和郎の『女給』を取り上げた。
著者
豊田 かおり
出版者
文化女子大学
雑誌
文化女子大学紀要. 服装学・造形学研究 (ISSN:13461869)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.147-160, 2006-01-31

モード史におけるモダニズムとは何か。芸術,建築や装飾デザインにおけるモダン・ムーヴメントの理念と実際の経過を辿り,1920年代のモダン・ファッションと照合し考察する。モダン・ムーヴメントは,バウハウスやデ・スティル,更には「国際様式」へ移行し,装飾を排除し,機能美を追及した合理主義へと向かう。また1925年のアール・デコ展やキュビズム等の影響により直線的・幾何学的フォルムが絵画から日用品に至るまで浸透する。モード史におけるモダニズムは1906年にポール・ポワレが女性をコルセットから解放したことに始まる,と一般に言われる。更にモダン・ファッションを打ち出したシャネルやヴィオネ等,当時のパリの有名メゾンのクチュリエ達は簡素化への道を辿る。第1次世界大戦を経て都市化や女性の社会進出が進み,窮屈でデコラティブな夜会服は徐々に姿を消した。1920年代には昼夜を問わず着用できる簡素でストレートなシルエットの服が登場し,階級間における差異がなくなり始めた。シンプルで無駄のない服は,現在のモードにおいても欠くべからざる要素である。1920年代が生んだモードは現代服の原点と言えるのである。
著者
豊田 かおり
出版者
文化学園大学
雑誌
文化学園大学紀要. 人文・社会科学研究 = Journal of Bunka Gakuen University (ISSN:21871124)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.101-114, 2014-01

大正末期から昭和初期にかけて,日本は近代化が進展し,西欧の文化や思想が一般に浸透しはじめた。第一次世界大戦後,女性の進学や就職の増加に伴い,上流階級ばかりではなく,一般の女性たちがシンプルで機能的な洋服を着用しはじめ,西欧のファッションが同時代的に取り入られていくようになった。さらに1923(大正12)年の関東大震災を契機に合理的・近代化の象徴である洋服の着用がメディアによってさらに促進された。女性たちは長い黒髪を切り,洋服を着こなし,「モダンガール(通称モガ)」と呼ばれるようになった。しかし,さまざまな分野で注目を浴びたモダンガールは,東京人のパーセンテージにすれば,ごくわずかであった。やがてモダンガールには「毛断」ガールという蔑称までつき,その自由で活発な行動が非難されはじめた。本研究では,「モダンガール」が文学作品においてどのように描かれていたか見ていくべく,龍胆寺雄の『放浪時代』,広津和郎の『女給』を取り上げた。