著者
柳原 正治 深町 朋子 明石 欽司 辻 健児 朴 培根
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2001

本研究においては、韓国における近代ヨーロッパ国際法の受容過程、および、わが国における近代ヨーロッパ国際法の受容過程、を主たる検討課題とした。そのなかでも、とりわけ、わが国における受容は成功し、韓国においては失敗したと一般にいわれることは正しいのか、正しいとすれば、どのような理由に基づくのか、という点を主たる検討対象とした。そのなかで、「華夷秩序」のなかの、中国と「藩属国」である韓国との関係をどのように捉えるか、韓国は中国にとって"peers"(同僚)であったのか、「厚往薄来」という朝貢の原則が実際の場面で守られていたのか、という点が、一つの重要な争点であることが、研究代表者が基調報告を行った、ハワイ大学韓国研究センター主催の国際シンポジウム(2003年7月23日-27日)のなかでも、あらためて確認された。この点は、2003年12月6日に韓国釜山で行われた、研究分担者と海外共同研究者が一堂に会した研究会の場でも、議論の対象となった。韓国側の海外共同研究者の中でも韓国をpeersと見ることには否定的な研究者がいることが確認された。この争点の解明には、日韓の研究者だけではなく、中国の研究者も交えて行うことが必要であることについて、日韓の研究者の間で一致した。それとともに、21世紀における、新しい日韓関係のあり方、さらには、新しい国際法秩序の中における両国の役割についても、両国の研究者の間で率直なかたちで議論がなされた。そのなかで、厳密な法律論に固執するのではなく、未来を見据え、大局的な問題解決の方式を考えるべきではないかという、提案もなされた。
著者
柳原 正治 辻 健児 明司 欽司 李 黎明 韓 相熙 深町 朋子
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2004

近代国際法はヨーロッパ諸国間の関係を規律するものとして歴史の場に登場した。他方で、東アジアには秦の始皇帝以来、伝統的な華夷秩序が妥当しており、独自の「国際秩序」が2000年近く続いていたことになる。19世紀中葉から後半にかけて非ヨーロッパ国としてヨーロッパ国際法を受容せざるを得なかった中国や韓国や日本は、伝統的な華夷秩序と近代ヨーロッパ国際法との相克をいかに理論的に、かつ実践的に解決していくかという課題を背負っていた。本研究は、この課題に3ヶ国がそれぞれどのような形で取り組んでいったか、その試みは成功したといえるか、3ヶ国に「受容」の違いがあるとすればそれはなにに起因するか、という問題に正面から取り組んだものである。本研究ではまず、わが国の国立公文書館、外務省外交史料館、国立国会図書館憲政資料室など、韓国の奎章閣など、そして、中華人民共和国清華大学所蔵の「王鉄崖文庫」の史料群の収集に努めた。また、19世紀東アジアにおけるヨーロッパ国際法の受容について、3ヶ国の学者たちがどのような研究をこれまで行ってきたかの、研究動向の詳細な分析を行い、合わせて、詳細な文献目録を作成した。それとともに、近代国際法の受容と伝統的な華夷秩序の相克の具体的・個別的な事例の検討も行った。すなわち、近代ヨーロッパの「勢力均衡」と東アジア的な「均衡」・「中立」・「鼎立」の関係、近代ヨーロッパ国際法上の諸概念の翻訳の問題、近代ヨーロッパ国際法上の具体的な制度の受容の一つのケースとしてのわが国における「領海制度」の導入過程、華夷秩序の儒教原理と朝鮮の「自主」の問題、1899年の韓清通商条約を契機として清国と韓国の両国関係を華夷秩序のなかの関係として捉えることの是非の問題、日本における自立した国際法学の成立、などの諸問題について、研究成果を挙げることができた。