- 著者
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酒井 亮爾
- 出版者
- 愛知学院大学
- 雑誌
- 愛知学院大学論叢. 心身科学部紀要 (ISSN:18805655)
- 巻号頁・発行日
- vol.1, pp.41-49, 2006-03-10
日本では,学校におけるいじめは1980年代に校内暴力とともに増加してきた.1994年には中学生(大河内君)が級友によるいじめを苦にして自殺している.そのようないじめを防止するために教師や父母,地域社会によって多くの対処行動がなされてきた.しかし,2002年でもいじめの事例が22,207件も報告されている.最近のいじめの特徴は陰湿であり,残酷であり,執拗である.家族の成員が少なくなり,きょうだいの数も昔よりは少なくなっているために,家族成員の間にもストレスが多い.そのために,多くの子どもたちは家族内でトラブルにあったとき,ストレス状況や困難に対処する仕方を学習することができてこなかったのである.そのような家庭の教育力の低下は,学校におけるいじめをなくすことができない理由のひとつであろう.さらに多くの子どもたちは小学校で仲間集団と遊ぶ機会をもっていないのである.放課後も多くの子どもたちは音楽やスポーツの訓練を受けたり,学習塾へ通っている.だから,放課後に級友と遊ぶ時間が余りないのである.多くのいじめは中学生の頃に発生する.彼らは心身ともに急速に発達していく.しかしながら,この時期の心と身体の発達はアンバランスである.とくに第二次性徴によって,彼らは不安定な状態であり,学校では多くのストレスを経験することになる.一般的に中学生の頃は自己のアイデンティティを追及し内省的となる.たとえいじめられたとしても,彼らはそのことを親や先生には話したりしないのである.幼児期の家庭はもっとも重要な教育の場であり,両親は子どもを注意深く見ていなくてはいけない.そうすれば,親は子どものちょっとした変化にも気づくことができる.子どもを見守っていくことによって,親は子どもたちがつらい目にあっているときに示すサインを見つけ出すことができるであろう.いじめられている場合,その子はいじめている子と対決する必要がある.基本的には誰もが強い自我を発達させていく必要があるのであり,もしも不快な行為をされたり,嫌なことを言われたなら,「そういうことは嫌だ」と言うことが必要であろう.誰もが強い自我とアイデンティティを形成することができたならば,結局,いじめはなくなっていくであろう.