著者
金 どぅ哲
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.14, 2006

I はじめに 本研究は旧韓末(朝鮮時代の末期)の代表的な学者で啓蒙思想家である張志淵の地理思想を中心に、韓国における伝統的な地理思考と近代的な地理思想との接点を探ることを目的とする。張志淵(1864~1921)は、韓国初の民間新聞である「皇城新聞」の創刊者および主筆として、日韓保護条約(1905)を痛烈に批判した社説「是日也放聲大哭」で有名であるが、一方では旧韓末の代表的な儒学者・史学者としても大きな足跡を残している。それだけに今日にも張志淵は言論人の草分けとして、また儒学者・史学者として韓国で広く知られている人物であるが、彼の地理学的な業績と近代地理学への影響についてはあまり知られていない。そこで、本稿では、張志淵の思想的背景に注目しつつ、彼の著書である「大韓新地誌(1907)」を中心に韓国における近代地理学の黎明期の特徴を明らかにするとともに、韓国の近代地理学に及ぼした影響について検討したい。II「大韓新地誌」の内容と特徴 張志淵は韓国の3大地理書の一つと呼ばれる丁若鏞の我邦疆域考 (1811年)を増補した「大韓疆域考(1903)」や「大韓新地誌 (1907)」などを著するなど、地理学と地理教育にも少なからず功績を残した。張志淵は「大韓疆域考」の序文で、「いま地理を論ずるためには、歴代の疆土の沿革をまず調べなければならず、・・・歴史の一部分を補充しようとする・・・」とし、地理学を歴史の一部と見なす伝統的な地理思考を示している。しかし、4年後に刊行した「大韓新地誌」の序文では、「今日、我々に最も緊急な問題は地理の不在である・・・地理学が発達しないと、愛国心もない・・・近年我が国では新学問を論ずる人々が世界各国の地理と事情だけを一生懸命議論するのみで、真の我が国の地誌を研究するものはほとんどいない。また、学校では教科書で地理を教えていると言っているものの、完全無欠な教本がなく地理に関する常識がはなはだ浅い。これは我々の大きな欠点である・・・」とし、新学問としての地理学の必要性を力説している。この時期、彼は地理教育を通じて愛国心や民族意識を向上させることを試みており、その方法として近代的な学校教育を取り、実際にいくつかの民族学校の校長に努めるなど、教育運動にも関わっていた。「大韓新地志」は、1907年に学部(統監部)の検定を受けたが、内容が不純であるという理由で1909年に検定無効となった。しかし、当時としては比較的に科学的な内容構成であり、優秀な地理教科書であったため、1907年初版の発行以来1年半後に再版を発行するほど人気が高かった。「大韓新地志」は韓国地理を地文地理、人文地理、各道の3部構成で叙述しており、近代地理学的な地誌体系を取っている。また、「大韓新地志」田淵友彦の「韓国新地理」を参考にした痕跡があるとの意見もあるが、伝統的な地誌を基本に近代的な韓国地理の体系を樹立したと評価できる。例えば、従来韓国では風水地理の影響を受けた「白頭大幹」あるいは「白頭正幹」という表現が用いられてきたが、「大韓新地志」で初めて「白頭山脈」という表現が登場する。また、「大韓新地志」の挿入図には、方位や縮尺、海岸線や航路の距離、礦山・港口・鐵道などの凡例のように近代地理学の概念や表現が用いられている。「大韓新地志」の目次からも分かるように、「大韓新地誌」には「山経」などの伝統的地理思想に基づいた項目もあるが、近代地理学の体系を受容している項目が多く、近代的な地誌としての体系を整えていると言える。III 終わりに 韓国における近代地理学の黎明期に波瀾万丈な人生を過ごした張志淵の地理観を要約すると、次の3点が指摘できる。第一に、開花思想の影響で、日本から導入されはじめていた近代地理学的な概念を受容し、伝統的な地理観からの脱皮を試みた。第二に、儒学者としての生い立ちの影響で、地理を歴史の一部としてとして捉える認識が残っていた。第三に、地理学を愛国啓蒙の手段として捉えていた。最後に、このような張志淵の地理観にみられる特徴のうち、地理学を愛国啓蒙の手段として認識は、独立後の韓国の地理学にも影響を及ぼしてきたことを指摘しておきたい。すなわち、韓国では少なくとも1980年代まで地理学を「国学」として捉える風潮が色濃く残っていたが、その原因は海外研究が自由にできなかった社会経済的な要因もあるが、韓国のおける近代地理学が愛国啓蒙の手段として出発したことと大いに関わっているからである。参考文献張志淵(1907)『大韓新地志』、廣學書舗。具滋赫(1993)『張志淵』、東亜日報社。カン・スンドル(2005)「愛国啓蒙期知識人の地理学理解:1905~1910年の學報を中心に」、大韓地理学会誌、40-6、595-612。金基植(1994)『韓・日合併を前後した韓国地理教科書に表れた国家意識の分析』、韓国教員大学修士論文。
著者
クイ レ ゴック フォン 金 どぅ哲
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

本研究は,ベトナム中部のフエ省におけるビンディエン水力発電ダムの建設に伴う,集落の水没と移転,そしてその過程で行われた補償を題材に,ベトナムにおける土地問題と少数民族の地域ガバナンスを考察したものである。ビンディエン水力発電ダムの建設によって移転を余儀なくされたボホン集落はベトナムの少数民族であるカトゥ族によって構成され,ダム建設前まで慣習的な土地所有と利用を続けてきた。ところが,ダム建設による移転過程で,伝統的なガバナンスの物的基盤であった総有的な土地資源がなくなり,その結果長老を中心とする伝統的な地域ガバナンスが急激に解体されていった。また,配分された土地では従来のような生計を営むことができず,若年層を中心に出稼ぎが増えており,コミュニティ自体の存続すら危ぶまれる状況である。