著者
金子 昭
出版者
天理大学おやさと研究所
雑誌
天理大学おやさと研究所年報 (ISSN:1341738X)
巻号頁・発行日
no.17, pp.59-76, 2010

東西冷戦の時代、悪化する一方の核開発競争に際しては、多くの知識人が憂慮の念を示し、核兵器廃絶のアピールを行った。シュヴァイツァーもまたその一人である。彼によれば、平和とは本来、個人の人格的構造(精神=霊Geist)において成立する。この宗教的・神学的な視点が彼の平和論の核心にあり、それが哲学的には生命への畏敬として表明される。平和の精神(ガイスト)が諸国民の間でヒューマニズム的な倫理的志向を喚起し、核兵器廃絶への力強い世論を形成していくことに、彼は期待をかける。 シュヴァイツァーの平和論の頂点は1954 年のノーベル平和賞講演である。その後、彼はノーマン・カズンズの勧めによって、1957 年及びその翌年にオスロから一連のラジオ放送での平和アピールを行った。これらのアピールは、核兵器廃絶問題に絞って打ち出された宣言である。しかし、それがかえってシュヴァイツァーを東西冷戦の対立のただ中に立たせ、思わぬ波紋を広げることにもなった。彼はまた、唯一の被爆国である日本には格別深い心情を寄せていた。カズンズは広島とシュヴァイツァーとをつなげる人物でもあり、附論としてその関連の事情についても論じる。During the Cold War, a number of intellectual people expressed their concerns over the intensifying nuclear arms race and pleaded for the abolition of nuclear weapons. Schweitzer was one of them. According to him, peace can essentially be established in an individual's personal structure (spirit = Geist). This religious and theological view is at the heart of his theory on peace, which is manifested philosophically as reverence for life. He hoped that peace would inspire a humanistic ethical mentality among various nations and create strong voices for the abolition of nuclear weapons. The high point of Schweitzer's theory on peace was his lecture for the Nobel Peace Prize of 1952. Later, persuaded by Norman Cousins, in 1957 and 1958, he broadcast a series of speeches for peace on radio out of Oslo. They were a declaration focused on the abolition of nuclear weapons. It, however, put Schweitzer right in the middle of the Cold War conflicts between the East and West, causing unexpected controversy. He had a particularly deep sentiment toward Japan, the only nation to be hit by atomic bombs. Cousins was the link between Hiroshima and Schweitzer, which will also be discussed in passing.
著者
稲場 圭信 櫻井 義秀 濱田 陽 金子 昭 関 嘉寛
出版者
大阪大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

本研究は、環太平洋のアジアの国々(具体的には、日本、台湾、韓国、タイ、シンガポール、インドネシア、オーストラリア)を調査地域とし、宗教NGOの社会的活動、弱者救済活動、災害支援活動を実地調査した。様々なネットワークが交錯するグローバルな地域間連携が存在する環太平洋において、宗教NGOはローカルからトランスナショナルの様々なレベルで他の市民セクターと連携するネットワーク型へと変容し、市民社会を作る社会的アクターとして機能している実態が明らかになった。