著者
櫻井 義秀
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.453-478, 2009-09-30 (Released:2017-07-14)

本稿では、宗教と倫理が緊張関係にある事例としてカルト問題を取り上げ、教勢拡大中のキリスト教教会や宗教団体にはカルトにも共通する特徴があることを指摘した。宣教体制に機能特化した教団は、教化力・組織力・指導力を高めるべく<指導-被指導>関係を軸とした権威主義的体制を構築する。そこにおいて、「教会のカルト化」「宗教団体のカルト化」として批判される信徒への抑圧・搾取的行為や反社会的行動が見られることがある。宗教組織や宗教運動に固有の逸脱を批判してきたものは、現実の宗教団体に対して外郭的秩序として機能する倫理や法ではなく、カルトに巻き込まれた当事者や支援者が特定教団の活動を社会問題として批判・告発してきた活動であった。具体的な問題を解決する過程において構築される社会倫理こそが、宗教とカルトを分かつものが何であるか、そして、宗教と倫理をめぐる緊張とはいかなるものであるかを明らかにしてくれるだろう。
著者
櫻井 義秀
出版者
北海道社会学会
雑誌
現代社会学研究 (ISSN:09151214)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.63-81, 2002-06-29 (Released:2009-11-16)
参考文献数
24

本稿では,人権・自己決定権という世俗的理念がどのようにして宗教制度の領域に介入するようになっていったのか,その時代背景や社会的要因を現代の『カルト』問題や,『宗教被害』をめぐる裁判を通して記述していきたい。現代の『カルト』問題は,特定宗教や宗教の暴力的側面に関わる問題に留まらない。教団の特殊な勧誘・教化行為や宗教活動一般を社会がどのように許容するのかという問題としても出現している。カルトによるマインド・コントロールというクレイムは,信者の宗教的自己決定権が侵害されているという評価的な理解であり,脱会カウンセリングにおいて,信者を教団から家族へ引き戻すための実践理論でもある。布教が『その人のために』というパターナリズムで行われているのと同様に,カルト批判もパターナリズム的立場をとる。教団・信者側,反カルト側・元信者側がそれぞれ,宗教的自己決定権を主張し,相手をその侵害者として批判するのである。統一教会元信者による『青春を返せ』訴訟は,自己決定権の回復を求めた訴訟と位置付けられる。判決では,統一教会による正体を隠すやり方,伝道されたものを欺罔・威迫する方法が違法とされ,原告勝訴となった。この判決は宗教問題に法的介入が可能であることを示した点において画期的であったし,現代宗教の社会的位置付けを司法が宣言したという意味でも,今後,宗教界・宗教研究に大きな影響を与えることになろう。
著者
櫻井 義秀
出版者
北海道社会学会
雑誌
現代社会学研究 (ISSN:09151214)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.74-101, 1996-06-25 (Released:2009-11-16)
被引用文献数
1

本稿では、第一に、現代の情報化社会で言説がいかに生成されるか、その過程をオウム真理教事件に関わる言説に則して見ていぎ、現在流通している様々な言説を共通の概念枠組みで記述した。第二に、オウム真理教がなぜかくも急速に信者を獲得・動員して犯罪を行い得たのかという疑問への説明として最も流布し、しかも社会的影響力を持ったマインド・コントロール論を取り上げ、オウム真理教現象の構成のされ方、論者の視点の問題点を社会学的に吟味した。マインド・コントロールの一般的定義は、(一)破壊的カルト教団による信者の利用、(二)社会心理学的技術の応用、(三)他律的行動支配、の三つの部分から構成されている。(二)は宗教上の入信行為の説明として不十分であること、(三)は社会的行為において論理的な命題を構成できないこと、(一)こそマインド・コントロールの核心であったが、これは価値中立的な認識ではないこと、信教の自由という問題に抵触すること、結局の所、人間の宗教的行為、宗教集団の多面性を理解する上で力がないことを明らかにした。
著者
櫻井 義秀
出版者
日本脱カルト協会
雑誌
日本脱カルト協会会報
巻号頁・発行日
vol.14, pp.16-26, 2009
著者
櫻井 義秀
出版者
数理社会学会
雑誌
理論と方法 (ISSN:09131442)
巻号頁・発行日
vol.32, no.1, pp.80-96, 2017 (Released:2017-07-19)
参考文献数
63

本稿では,近年の宗教研究とウェル・ビーイング研究のレビューを通して「宗教」と「幸せ」の関連を問う適切な問題設定を行うことを目的とする.この研究の難しさは,被説明変数としての「幸せ」のみならず,説明変数としての「宗教」も多様な側面を持つために,幸せのどの側面と宗教のどの側面との関連を考察の対象としているのか十分に自覚することなく,宗教は人を幸せにするかという高度に抽象的で哲学的な命題が議論されてきたことにある.したがって,本研究ではまず,宗教を宗教意識,宗教行為,宗教集団と制度の次元に分節化する社会学的方法論を示し,次いで,ウェル・ビーイングの多面的性質を論じたルート・ヴェーンホヴェンの研究を参照して,生活の機会と結果,生活の内的質と外的質の二軸から,生活の環境,生活満足感,生きる力と幸福感と類型化された「幸せ」の諸側面と宗教との関わりを検討する.そして,最後にヴォルフガング・ツァップフの考察を参考にして,「幸せ」の客観的指標と主観的評価が乖離する不協和と適応,および剥奪の状態においてこそ,宗教が「幸せ」を再構築する独特の機序があることを示そうと考えている.
著者
櫻井 義秀
出版者
北海道大学高等教育機能開発総合センター
雑誌
高等教育ジャーナル : 高等教育と生涯学習 (ISSN:13419374)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.1-14, 2007-12

On July 28, 2006 the Asahi Shimbun began to critically report the controversy about the Christian Gospel Mission (called “Setsuri” in Japan), and Japanese belatedly acknowledged cult problems on campus. Jung Myung Seok, the founder of this cult, was internationally arraigned by the Korean police on suspicion of rape of female disciples and he escaped overseas in 1999, finally being arrested in China on May 12, 2007. In Korea and Japan there are allegedly several hundred victims. Providence conducted controversial proselytization on campuses and got approximately two thousand members in Japan. They concealed actual information about Providence in terms of the theology, the founder, and organization and set up various sports and cultural circles camoufl aging its missionary work object. According to the investigation by Asahi News Company, former members of Providence, and the Student Affairs Division of Hokkaido University, Providence has a church in Sapporo and proselytizes on the Hokkaido University campus. Faculty members should realize the fact that students in Hokkaido University are exposed to their masked proselytization. We must also take measures to protect the students’ right to safely study on campus and their freedom of religion. So far there has been little academic research concerning Providence except for the authors’ report in the monthly Journal “Chuou Kouron,” issued in October, 2006, titled ‘How should we protect students from controversial campus missions.’ I conducted additional research into former members of Providence and herein I illustrate their beliefs and behavior not only for faculty members of Hokkaido University but also for all student affairs offi cials and professors to understand the actual nature of Providence and the risk of their free campus mission. The contents of this paper are as follows: Chapter 1 introduces the reports and investigations of Providence. Chapter 2 explains the history and theology of Providence. Chapter 3 analyzes the method of recruitment and proselytization of new members and their daily mission work. Chapter 4 discusses the controversial mission of Providence and its harmful effect on students. The last chapter proposes possible measures to confront the controversial mission on campus.
著者
櫻井 義秀
出版者
北海道社会学会
雑誌
現代社会学研究 (ISSN:09151214)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.1-19, 2004-06-18 (Released:2009-11-16)
参考文献数
33
被引用文献数
1

1995年のオウム真理教事件以降,カルト問題が初めて日本の主要な社会問題になったが,新世紀に入り,アフガン戦争,2002年の北朝鮮による拉致問題,2003年のイラク戦争という大事件が相次ぎ,カルト問題はメディア報道から消えた。しかし,カルト問題の当事者(加害者としての教団,被害者としての信者や一般市民)や研究者にとってこの問題は終わっていない。カルト問題の多面性・複雑性は,まだ理論的にも十分検討されていない。本稿では,カルトという用語の由来と用法を歴史的に概観し,次いで,ミクロ,メゾ,マクロの社会領域ごとのカルト論を批判的に検討した上で,新たな課題を発見したい。ミクロレベルでは,1)宗教社会学の入信・回心・脱会論と,2)反カルト運動が展開する洗脳,マインド・コントロール論の論争を分析する。メゾレベルでは,1)世俗社会と激しく葛藤するカルト運動がどのように組織論として位置づけられるかをみたうえで,2)反カルト運動によりカルトの実体化が進められたという構築主義的な分析を検討する。マクロレベルでは,1)異文化の流入を阻止するために自文化を再活性化しようとしたカーゴ・カルト運動と,2)グローバリズムの中で文化が相対化・多元化してくることに抗う一つの文化ナショナリズムとして反カルト運動があるという議論を批判的に検討する。今後の課題としては,カルト問題を通して明確化される社会秩序や公共性の構築という議論を提示したい。
著者
櫻井 義秀
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.43-65, 2003-06-14 (Released:2017-07-18)

本稿では、統一教会信者の入信・教化過程をジェンダー論の視点から考察する。ジェンダー秩序の形成が女性信者の宗教実践、教団戦略とどのように関連しているのかを明らかにすることで、従来「マインド・コントロール」として告発されている心理的・社会的影響力行使の中身と意味が明らかになるのではないかと考えている。以下の知見を得た。未婚・既婚を問わず、女性信者の入信・教化の過程において、統一教会は自己啓発・運勢鑑定の装いの下に、統一教会独特の家族観を問題解決の方法として提示する。信者はこのようなイデオロギーを宗教実践において内面化し、最終的な救済財である祝福を目指す。信者が活動に熱心になればなるほど、現実の家族と教団が提示する「真の家庭」という理想の家族像に乖離、葛藤が生じる。教団はその克服を信者に促し、信者はそこに信仰の意義を見いだした。なお、本稿では世界基督教統一神霊協会の略称「統一教会」を用いる。
著者
櫻井 義秀
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.453-478, 2009

本稿では、宗教と倫理が緊張関係にある事例としてカルト問題を取り上げ、教勢拡大中のキリスト教教会や宗教団体にはカルトにも共通する特徴があることを指摘した。宣教体制に機能特化した教団は、教化力・組織力・指導力を高めるべく<指導-被指導>関係を軸とした権威主義的体制を構築する。そこにおいて、「教会のカルト化」「宗教団体のカルト化」として批判される信徒への抑圧・搾取的行為や反社会的行動が見られることがある。宗教組織や宗教運動に固有の逸脱を批判してきたものは、現実の宗教団体に対して外郭的秩序として機能する倫理や法ではなく、カルトに巻き込まれた当事者や支援者が特定教団の活動を社会問題として批判・告発してきた活動であった。具体的な問題を解決する過程において構築される社会倫理こそが、宗教とカルトを分かつものが何であるか、そして、宗教と倫理をめぐる緊張とはいかなるものであるかを明らかにしてくれるだろう。
著者
櫻井 義秀
巻号頁・発行日
2007-05-18

日本近代学会大会. 平成19年5月18日. 韓国