著者
塚原 修一 橋本 昭彦 鎌谷 親善
出版者
国立教育政策研究所
雑誌
特定領域研究
巻号頁・発行日
2004

日本酒、醤油、藍、硝石などを製造する醸造/発酵技術は、日本国内において独自に発展を遂げた代表的な在来技術のひとつである。これらは江戸末期に相当な水準にあり、明治期にもいくつかの重要な改良が行われた。本研究では、博物館、製造業者などが所蔵する醸造/発酵技術関係史料を調査し、史料の体系化とともに、在来技術の発展過程における蘭学(当時の先端科学技術)との接点を明らかにする。本年度は日本酒の補足調査を行うとともに、硝石と藍を中心に史料の探索と複写を行った。(1)硝石は火薬、花火、それに硝子の主原料であり、金属加工にも欠かせない存在であって、肥料の主成分のひとつでもある。史料が残されている富山県五箇山の製造技術(硝石培養法)は戦国時代に始まり、のちに改良されて製品は国内で最高の品質と位置づけられていた。(2)当時の日本の硝子は中国に由来する鉛カリ硝子であり、硝石・鉛・硅砂を原料としていた。長崎に始まった硝子の製法は、江戸中期には京都、大坂、江戸など各地に広がった。蘭書の輸入解禁(1720年)により、品質が優れた輸入の洋硝子はソーダ硝子であって原料と製法が異なることが明らかにされた。(3)外国語を理解する研究者集団(蘭学者、洋学者)の周辺には、そこで得られた西洋科学技術の知見をもとに、既存技術の発展を企図する集団(彼ら自身は蘭書や洋書は直接読めない)が生まれた。彼らは既存技術と新規に得られた知識を折衷させて試行錯誤をおこなったり、新たな主張を提示して技術の向上を達成させた。しかし、日本酒や藍などの有機化学分野では、日本と西洋の自然環境のちがい、原料となる穀物や植物のいちじるしい差異のため、この時点で西洋の技術を受容することはできなかった。これら日本の在来技術は、明治期に行われた化学技術の体系的な摂取によって再編へ向かうこととなった。