Ceek.jp Altmetrics (α ver.)
文献ランキング
合計
1ヶ月間
1週間
1日間
文献カレンダー
新着文献
すべて
2 Users
5 Users
10 Users
新着投稿
Yahoo!知恵袋
レファレンス協同データベース
教えて!goo
はてなブックマーク
OKWave
Twitter
Wikipedia
検索
ウェブ検索
ニュース検索
ホーム
文献一覧: 橋本 昭彦 (著者)
7件
5
0
0
0
昌平坂学問所日記
著者
斯文会 橋本昭彦編
出版者
東洋書院 (発売)
巻号頁・発行日
1998
3
0
0
0
OA
地方教育通史一覧 2015年版
著者
橋本 昭彦
巻号頁・発行日
2015-03
『地方教育通史一覧2015年版』は「○○県教育史」のような全般的な教育通史の他、教科教育史、産業教育史等々の領域別通史など、1,900余点の書冊の書誌情報を一覧化したものです。同様の冊子としては1998年版、2002年版、2008年版を発行してきました。 上記1,900余点のうち、1,200点以上が寄贈等によって収集されており、教育図書館での閲覧が可能となっています。
2
0
0
0
江戸期における産業技術と先端科学技術の接点-醸造技術を中心に-
著者
塚原 修一
橋本 昭彦
鎌谷 親善
出版者
国立教育政策研究所
雑誌
特定領域研究
巻号頁・発行日
2004
日本酒、醤油、藍、硝石などを製造する醸造/発酵技術は、日本国内において独自に発展を遂げた代表的な在来技術のひとつである。これらは江戸末期に相当な水準にあり、明治期にもいくつかの重要な改良が行われた。本研究では、博物館、製造業者などが所蔵する醸造/発酵技術関係史料を調査し、史料の体系化とともに、在来技術の発展過程における蘭学(当時の先端科学技術)との接点を明らかにする。本年度は日本酒の補足調査を行うとともに、硝石と藍を中心に史料の探索と複写を行った。(1)硝石は火薬、花火、それに硝子の主原料であり、金属加工にも欠かせない存在であって、肥料の主成分のひとつでもある。史料が残されている富山県五箇山の製造技術(硝石培養法)は戦国時代に始まり、のちに改良されて製品は国内で最高の品質と位置づけられていた。(2)当時の日本の硝子は中国に由来する鉛カリ硝子であり、硝石・鉛・硅砂を原料としていた。長崎に始まった硝子の製法は、江戸中期には京都、大坂、江戸など各地に広がった。蘭書の輸入解禁(1720年)により、品質が優れた輸入の洋硝子はソーダ硝子であって原料と製法が異なることが明らかにされた。(3)外国語を理解する研究者集団(蘭学者、洋学者)の周辺には、そこで得られた西洋科学技術の知見をもとに、既存技術の発展を企図する集団(彼ら自身は蘭書や洋書は直接読めない)が生まれた。彼らは既存技術と新規に得られた知識を折衷させて試行錯誤をおこなったり、新たな主張を提示して技術の向上を達成させた。しかし、日本酒や藍などの有機化学分野では、日本と西洋の自然環境のちがい、原料となる穀物や植物のいちじるしい差異のため、この時点で西洋の技術を受容することはできなかった。これら日本の在来技術は、明治期に行われた化学技術の体系的な摂取によって再編へ向かうこととなった。
1
0
0
0
OA
1950年代後半の小規模学校区における学校統合過程の一考察 : 地域における施策の形成と評価に着目して (特集 人口減少下の学校の規模と配置)
著者
橋本 昭彦
出版者
国立教育政策研究所
雑誌
国立教育政策研究所紀要
(
ISSN:13468618
)
巻号頁・発行日
vol.141, pp.73-83, 2012-03
1
0
0
0
OA
江戸幕府学問吟味受験者の学習歴 : 天保改革期以降を中心として
著者
橋本 昭彦
出版者
教育史学会
雑誌
日本の教育史学 : 教育史学会紀要
(
ISSN:03868982
)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.16-30, 1989-10-01
1
0
0
0
幕末維新期における学校の組織化に関する総合的研究
著者
神邊 靖光
生馬 寛信
新谷 恭明
竹下 喜久男
吉岡 栄
名倉 英三郎
橋本 昭彦
井原 政純
高木 靖文
阿部 崇慶
入江 宏
出版者
兵庫教育大学
雑誌
総合研究(A)
巻号頁・発行日
1988
幕末から明治維新を経て「学制」領布に至る間、幕藩体制下に設立された藩校と、明治初年の藩校・明治新政府の管轄下に設けられた諸学校と、の教育の目的・内容・方法の変化・相違点は学校の組織化にあるということを課題とし、この課題を実証的に解明すること、その過程に見出される教育の本質・属性の連続・非連続の問題も併せて考究することを意図してこの研究は進められた。藩校は江戸後期に急増するが、士道の振気と、藩財政の窮乏を打開するために儒教倫理にもとづく教育による人材の育成を目的として設立されたという点では、共通の課題を持っていた。しかし藩校の制度の定型はなく、また各藩の教育外条件は一様ではなかったので、250に及ぶ藩校は、250の様態をもっていた。更に洋学の受容、外圧という条件が加わると、学ぶべき洋学の選択、外圧の影響の強弱によって藩校は多様化を一層進めてゆくことになった。加えて幕末の国内情勢の二分化により、学校観も多様化した。幕末までの学校は、制度・組織を先例に倣って類似的に完結されていたが、外国の規制度に関する知識を直接に或は間接的に学ぶことによって、更に明治新政府の対藩政策によって学校改革の必要に迫られる。そのため伝統的な閉鎖的・個別的な性格から脱皮しなければならなくなり、自律的に或は他律的に共通性をもった相似的なものへと変化していった。このような経緯・動向が「学制」に示された、組織化を推進しようとする学校制度の実施を容易ならしめたのである。本研究は藩校教育を核として、幕末維新期の教育の各領域における組織化の過程を今後も継続してい くことになっている。平成2年3月、3年3月に、幕末維新期の学校調査、昌平坂学問所、5藩校、郷学校、数学教育、医学教育、お雇い教師に関する11編の報告を発表した。平成4年には、藩校、儒学教育、数学教育、芸道教育に関する報告をおこなう。
1
0
0
0
IR
マサバ冷凍すり身の品質に及ぼす,原料魚の鮮度,晒し法,および貯蔵条件の影響
著者
橋本 昭彦
加藤 登
中川 則和
新井 健一
出版者
北海道大学水産学部 = FACULTY OF FISHERIES, HOKKAIDO UNIVERSITY
雑誌
北海道大學水産學部研究彙報
(
ISSN:00183458
)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.65-73, 1987-02