著者
阿部 正隆 西村 幸夫 窪田 亜矢
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.46, no.3, pp.727-732, 2011-10-25 (Released:2011-11-01)
参考文献数
10
被引用文献数
1

1910年代にイギリスで誕生し、アメリカへと普及したRegional Planningは、1920年代前半に内務事務官飯沼一省により日本へ「地方計画」として紹介された。地方計画はその後日本において海外事例の影響を受けながら展開し、内務省及び企画院において検討された。本論文は戦前における内務省地方計画構想のひとつの終着点として、内務省に1940~41年にかけて設置され、地方計画法案を策定した都市計画及地方計画に関する調査委員会、1941~42年にかけて設置され、関東地方計画要綱案を策定した都市計画連絡協議会に着目した。前述の委員会、協議会の一次資料を解析し、地方計画法案、関東地方計画要綱案の策定過程を明らかにし、戦前における内務省地方計画構想の一終着点を明らかにした。
著者
秋本 福雄 阿部 正隆 梶田 佳孝
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.44.3, pp.871-876, 2009-10-25 (Released:2017-01-01)
参考文献数
31
被引用文献数
4

地域計画は英国に登場し、1920年代、アメリカ及び英国で都市計画法の中に制度的に組み込まれた。日本へは、飯沼一省が1923年の米欧外遊の後、紹介したが、都市計画法は、今日なお、地域計画に関する条項を持たない。この研究の目的は、その理由を日本における地域計画の導入期を解析することにより明らかにすることにある。飯沼は、地域計画という用語にアメリカで遭遇し、英国で地域計画の概念を把握し、ハワードの田園都市、C. B. パーダムの衛星都市の図式の強い影響を受けた。飯沼は都市計画法の都市計画区域を批判したが、都市計画法を根本的に組み立て直すには至らなかった。