- 著者
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乾 康代
- 出版者
- 公益社団法人 日本都市計画学会
- 雑誌
- 都市計画論文集 (ISSN:09160647)
- 巻号頁・発行日
- vol.49, no.3, pp.507-512, 2014-10-25 (Released:2014-10-25)
- 参考文献数
- 17
- 被引用文献数
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本研究は,1954年に始まる原子力政策の黎明期につくられた原子炉立地審査指針や東海村を対象とした整備計画について分析した。主な結果は以下のとおりである。1)東海原子力発電所は,統一基準のない時期に,個別審査により,米軍射爆場隣接地という立地上の問題を残して1959年に設置許可された。2)1964年に作成された原子炉立地審査指針は、原子炉周辺の人口抑制条件を求めたものの,設置審査目的を超えてその実現手段は示せなかった。3)1959年,原子力委員長となった中曽根康弘は原子力都市計画法を構想したが,法成立には至らず,その後,代わって,原子力委員会部会が,原子炉をグリーンベルトと人口抑制の2地区で取り囲む3重構成を示す答申を出した(1964年)。4)しかし,翌1965年,答申を受けて茨城県が作成した地帯整備基本計画では,グリンベルトは一部のみの採用,人口抑制の2地区は採用されず,東海村の都市計画は不完全な形で出発することとなった。