著者
香川 雅信
出版者
一般社団法人 日本民俗学会
雑誌
日本民俗学 (ISSN:04288653)
巻号頁・発行日
vol.302, pp.1-35, 2020-05-29 (Released:2023-04-19)
参考文献数
48

現在、妖怪には多くの種類が存在するように考えられているが、江戸時代に入るまでは、「鬼」や「天狗」といった限られた怪異のエージェントが想定されているだけで、個別の怪異に名前が与えられることはなかった。その状況が一変するのが十七世紀である。寛永年間(一六二四~一六四四)以降、妖怪の名称が急速に増えていくが、その背景には、怪異に対する認識の変容と、俳諧という新たな文芸の発達があったと考えられる。 江戸時代初期、とりわけ寛永年間には流言としての妖怪が多く見られる。その一つに「髪切虫」があるが、同時代の資料を検討すると、それが一種の凶兆=「恠異」として捉えられていたことが分かる。しかし、「恠異」を判定し、しかるべき対処を行うという中世までの危機管理のシステムは江戸時代においてはすでに機能しなくなっており、怪異は凶兆としての意味を失って、ただそこに在るだけの「モノ」として扱われるようになっていったと考えられる。 また、十七世紀の複数の文献に現れている妖怪の大半が俳諧に詠まれていることに注目し、「俳言」としての価値を持つものとして、妖怪の名称が俳諧にたずさわる者たちの関心を集めたのではないかという仮説を提示した。『古今百物語評判』という怪談集が俳人によって生み出され、河内国を代表する妖怪「姥が火」が俳人たちのネットワークの中から生まれてきたことがその証左として挙げられる。 さらに、江戸時代の文献に記された妖怪の名称の中で最も大きな割合を占めるのは怪火の名称であったが、それは怪火が凶兆としての意味を失ってただ「見える」だけのモノになり、またそれゆえに俳諧の題材として捉えられたためだと考えられる。怪火ばかりでなく、名前をつけられた妖怪の多くは無害で日常的に存在するものとして捉えられており、そうした「怪異の日常化」と俳諧の題材としての意義が江戸時代における妖怪の「名づけ」を促したと推測することができる。
著者
香川 雅信
出版者
一般社団法人情報処理学会
雑誌
研究報告人文科学とコンピュータ(CH)
巻号頁・発行日
vol.2014, no.12, pp.1-3, 2014-07-26

サブカルチャーとしての 「妖怪文化」 は 18 世紀後半の都市で生み出されたが、それはある大きな 「誤解」 に基づくものであった。その 「誤解」 は、現在においても繰り返されている。"Yokai culture" as a subculture is produced in cities in the latter half of 18th century, which is based on a great misinterpretation. This misinterpretation is repeated even now.
著者
香川 雅信
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1241-1244, 1998-11-15

■犬神の歴史と伝承 犬神は,中国・四国・九州地方にかけて広く信じられている憑きもので,特に四国の徳島県・高知県および九州の大分県において顕著である。一種の動物霊のようなものと考えられていることが多く,小さな犬のような姿をしているとも,鼠のようなものであるとも言われている。犬神はある特定の家筋に代々伝えられるとされ,その家筋のことを「犬神筋」「犬神統」などと呼ぶ。犬神筋(統)の家の者に恨まれたり,妬まれたりすると,犬神に取り憑かれて病気になると考えられている。そのため犬神筋(統)の者との縁組は現在でも忌み嫌われており,重大な社会問題となっている。これとよく似た「憑きもの筋」の俗信は日本の各地に存在するが,山陰地方の「人狐」や関東地方の「オサキ」など,狐系統の憑きものがその家筋に富をもたらすと考えられているのに対して,犬神の場合はそうした性格が希薄である。 歴史的に犬神についての俗信がいつ頃から存在したかは正確にはわからないが,文明4年(1472)に将軍祐筆飯尾常房(常連)から阿波国の三好式部少輔長之にあてて「犬神使い」を捜し出して処罰するよう求めた下知状が出されていることから,室町末期にはすでに存在していたようである。一方,民間には,飢えた犬の首を切ってそれを呪術に用いたのが犬神の始まりとする起源伝承が伝えられている。おそらく,共同体内における何らかの葛藤や対立を背景として,ある家筋を印づけ,あるいは排除するために,邪術師(sorcerer)的なイメージが利用された結果,犬神筋というものが形成されたのであろう。
著者
香川雅信
雑誌
民俗宗教
巻号頁・発行日
vol.5, pp.45-69, 1995
被引用文献数
1