著者
高艸 賢
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.69, no.4, pp.468-484, 2019 (Released:2020-03-31)
参考文献数
45

アルフレート・シュッツの生世界論は,社会学の研究対象領域の1 つを提示しているだけでなく,社会科学の意味を反省するための手がかりを与えている.本稿の問いは,シュッツにおいて生世界概念は何を契機として導入され,その結果彼の論理はどのように変わったのか,という点にある.その際,シュッツの社会科学の基礎づけのプロジェクトに含まれる2 つの問題平面を区別し,社会科学者もまた生を営む人間(科学する生)だという点に注目する.1920 年代から30 年代初頭にかけての著作において,シュッツは生の哲学の着想に依拠しつつ,生成としての生を一方の極とし論理と概念を用いる科学を他方の極とする「両極対立」のモデルを採用していた.しかし体験の流れとの差分において科学を規定するという方法には,科学する生を積極的には特徴づけられないという困難があった.こうした状況でシュッツは生という概念の規定を見直し,生世界概念を導入したと解釈される.生世界概念の導入によって,日常を生きる人間も科学に従事する人間も,世界に内属する生として捉え直された.私を超越し一切の活動の普遍的基盤をなす世界の中で,生は間主観性・歴史性・パースペクティヴ性を伴う.この観点からシュッツは科学する生を,科学の間主観的構造,科学的状況と科学の媒体としてのシンボルの歴史的成立,レリヴァンス構造による科学的探究のパースペクティヴ性という3 点によって特徴づけた.
著者
高艸 賢
出版者
日本社会学理論学会
雑誌
現代社会学理論研究 (ISSN:18817467)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.55-67, 2017 (Released:2020-03-09)
被引用文献数
1

本稿の目的は、A. シュッツにおける学問と生の区別と連関の論理を明らかにすることである。シュッツによる理解社会学の基礎づけの議論は日常知と科学知の関係づけを模索するものとして捉えられてきたが、常識と科学の二分法の下では、シュッツの論じる生の論理的重層性が見えにくくなるという問題がある。そこで本稿は、ウィーン時代に書かれた著作および草稿を扱い、シュッツが生における体験次元と意味次元という区別を導入していることに注目する。ベルクソンに依拠したこの概念化は、人間の思惟の基盤を分析するという点で、科学知への批判的視点と日常知に埋没することへの警戒を同時に含意している。シュッツは主著『社会的世界の意味構築』において、両次元の区別に基づいて社会的世界の機制を解明している。意味次元についてシュッツは、他者理解が所与の知識に基づく意味付与として遂行されるという「自己解釈」の機制を明らかにし、他方で体験次元については、他者の体験の連続的生成を見遣るという「持続の同時性」を論じている。体験次元と意味次元は日常的行為者においては主観的意味という形で統一を形成しているが、「主観的意味連関の客観的意味連関」としての社会科学は必然的に体験次元を欠く。理解社会学の認識限界を踏まえたシュッツは、生きられる日常における体験と意味の統一に、純粋に哲学的な思惟や社会科学的分析によっては得られない社会学的反省の基盤を見いだしている。
著者
高艸 賢
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.69, no.4, pp.468-484, 2019

アルフレート・シュッツの生世界論は,社会学の研究対象領域の1 つを提示しているだけでなく,社会科学の意味を反省するための手がかりを与えている.本稿の問いは,シュッツにおいて生世界概念は何を契機として導入され,その結果彼の論理はどのように変わったのか,という点にある.その際,シュッツの社会科学の基礎づけのプロジェクトに含まれる2 つの問題平面を区別し,社会科学者もまた生を営む人間(科学する生)だという点に注目する.<br>1920 年代から30 年代初頭にかけての著作において,シュッツは生の哲学の着想に依拠しつつ,生成としての生を一方の極とし論理と概念を用いる科学を他方の極とする「両極対立」のモデルを採用していた.しかし体験の流れとの差分において科学を規定するという方法には,科学する生を積極的には特徴づけられないという困難があった.こうした状況でシュッツは生という概念の規定を見直し,生世界概念を導入したと解釈される.<br>生世界概念の導入によって,日常を生きる人間も科学に従事する人間も,世界に内属する生として捉え直された.私を超越し一切の活動の普遍的基盤をなす世界の中で,生は間主観性・歴史性・パースペクティヴ性を伴う.この観点からシュッツは科学する生を,科学の間主観的構造,科学的状況と科学の媒体としてのシンボルの歴史的成立,レリヴァンス構造による科学的探究のパースペクティヴ性という3 点によって特徴づけた.
著者
高艸 賢
出版者
日本社会学理論学会
雑誌
現代社会学理論研究 (ISSN:18817467)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.55-67, 2017

本稿の目的は、A. シュッツにおける学問と生の区別と連関の論理を明らかにすることである。シュッツによる理解社会学の基礎づけの議論は日常知と科学知の関係づけを模索するものとして捉えられてきたが、常識と科学の二分法の下では、シュッツの論じる生の論理的重層性が見えにくくなるという問題がある。そこで本稿は、ウィーン時代に書かれた著作および草稿を扱い、シュッツが生における体験次元と意味次元という区別を導入していることに注目する。ベルクソンに依拠したこの概念化は、人間の思惟の基盤を分析するという点で、科学知への批判的視点と日常知に埋没することへの警戒を同時に含意している。シュッツは主著『社会的世界の意味構築』において、両次元の区別に基づいて社会的世界の機制を解明している。意味次元についてシュッツは、他者理解が所与の知識に基づく意味付与として遂行されるという「自己解釈」の機制を明らかにし、他方で体験次元については、他者の体験の連続的生成を見遣るという「持続の同時性」を論じている。体験次元と意味次元は日常的行為者においては主観的意味という形で統一を形成しているが、「主観的意味連関の客観的意味連関」としての社会科学は必然的に体験次元を欠く。理解社会学の認識限界を踏まえたシュッツは、生きられる日常における体験と意味の統一に、純粋に哲学的な思惟や社会科学的分析によっては得られない社会学的反省の基盤を見いだしている。