著者
鹿島 英一
出版者
東北大学
雑誌
東北大学文学部日本語学科論集 (ISSN:09174036)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.13-24, 1993-09-30

昨今、日本語へのカタカナの進出振りは留まるところを知らないかのようである。一方、日本語より一足先に国際化した(シンガポールの)華語にも外来語が氾濫している。中国語の比ではない。無論、既存の漢字を転用するわけである。日華両語ともただ置かれた環境に独自に反応しているだけである。だが、外来語の表記 (処理) 法を見る限り、よく似た現象にいろいろぶつかる。本稿ではこの問題を取り上げ、日本語のカタカナと華語の表音文字の異同に関して二つほど論じた。一つは表音文字表の作成の試みであり、もう一つは表記のゆれ方の相違である。前者はカタカナの用字法との対照を基に、当地の実際の文字資料を使って行なった。また、後者では日本語の音のゆれと華語の文字のゆれが、表記体系の中で似た役割を果たしていることを指摘した。
著者
鹿島 英一
出版者
東北大学文学部日本語学科
雑誌
東北大学文学部日本語学科論集 (ISSN:09174036)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.13-24, 1993-09-30

昨今、日本語へのカタカナの進出振りは留まるところを知らないかのようである。一方、日本語より一足先に国際化した(シンガポールの)華語にも外来語が氾濫している。中国語の比ではない。無論、既存の漢字を転用するわけである。日華両語ともただ置かれた環境に独自に反応しているだけである。だが、外来語の表記 (処理) 法を見る限り、よく似た現象にいろいろぶつかる。本稿ではこの問題を取り上げ、日本語のカタカナと華語の表音文字の異同に関して二つほど論じた。一つは表音文字表の作成の試みであり、もう一つは表記のゆれ方の相違である。前者はカタカナの用字法との対照を基に、当地の実際の文字資料を使って行なった。また、後者では日本語の音のゆれと華語の文字のゆれが、表記体系の中で似た役割を果たしていることを指摘した。