著者
岩垣 穂大 齋藤 篤 Amantay Zhanar 下田 妙子 扇原 淳
出版者
日本食生活学会
雑誌
日本食生活学会誌 (ISSN:13469770)
巻号頁・発行日
vol.24, no.4, pp.254-260, 2014-03-31 (Released:2014-04-28)
参考文献数
23

今回の調査によってカザフのナウルズおよびコジェに見る文化的特徴と歴史的変容について以下のことが明らかになった。(1) 独立後, ナウルズはカザフ国内最大級の祝祭であり, 民族の伝統的なイベントとして現在に受け継がれている。誰でも祭りに参加することができるよう, 広場では無料でコジェが配られていたり, さまざまな民族の音楽やダンスが披露されていたりした。その他, 中央アジアの伝統料理であるシャシリクやバウルサックを売る店も見られ, 食や伝統芸能を通してカザフ人の世代間交流や, 異なる民族同士の交流が図られていた。(2) ナウルズが近づくと各家庭でコジェ作りが行われ, 家族・親戚・友人の往来が始まる。コジェに入れる具材は地域の特産によって少々異なるが, 7つ (以上) の食材を入れることと, 白色の食材を入れ全体の色を整えることはすべての家庭で共通していた。コジェに使われる食材はカザフの食卓には欠かせない馬肉や, 穀物類が中心でカザフの日常生活をよく表すものであった。コジェを白色の食材で整える理由は, 白が家畜の乳の色であり, 新年を迎えるにあたって一家の繁栄や幸福を願うからであった。(3) インタビュー対象者の出身地域によってナウルズを公に祝いコジェ作りも行っていた家庭, 家の中だけでコジェを作り祝っていた家庭, 全く祝わず, コジェも作らなかった家庭の3つに分けられた。ソ連との地理的・心理的距離や政治的影響力, カザフ人の人口密度が影響している可能性が指摘された。独立後, 伝統を復興させるために都市部でナウルズを教える, コジェを無料で配るなどの活動も行われ, 現在のナウルズの基盤となった。 調査の中で, 都心部と農村部でのナウルズの祝い方やコジェに加えられる材料が異なることがたびたび指摘された。そのため, 今後農村部を含めたカザフ国内全体の調査が必要である。また, より詳細で信頼性のある調査にしていくために調査員を増やし, インタビューを継続することが必要である。カザフ社会の時代の流れに呼応する文化の変容を見守りつつ, 調査で得られたデータをもとに, カザフの伝統的な祝祭と食文化についてさらに深く体系的に明らかにしていきたい。
著者
伊藤 渉 沖野 峻也 齋藤 篤志 菖蒲 幸宏 渡部 颯大
雑誌
日本地球惑星科学連合2018年大会
巻号頁・発行日
2018-05-11

1.動機および目的信夫山は福島市民にとって重要なスポットである。信夫山は福島盆地の中央に孤立している珍しい地形を持つが,その成因についてさまざまな議論があり,具体的なことはよくわかっていない。地理的・文化的に重要な信夫山について,市内の学校に通う者が調査し明らかにすることは郷土を認識・理解する上で重要だと考え,研究を開始した。2.研究仮説文献から得られた信夫山の地質情報及び成因として次のような説が挙げられる。・信夫山は東西で地質が異なり,西側は火砕流堆積物,東側は第三紀の堆積岩層から成り立っている。・信夫山は海底で形成された第三紀の海成層が隆起し,流紋岩の貫入を受け硬化した。この海成層は凝灰岩によってできており,信夫山の西側でより硬くなっている。・信夫山の表面には流紋岩が覆いかぶさっている。このように,信夫山の形成過程は諸説存在する。本研究では,どの説が有力かの検討も含め,信夫山がどのようにできたのか考察する。3.研究方法3-1露頭の観察我々は信夫山に登り,12箇所の露頭の観察を行うとともに,付近の転石を採取した。その際の露頭観察地点については図に示す。3-2偏光顕微鏡による岩石薄片の観察採取した転石の一部から岩石薄片を作成した。各露頭から作成し,観察可能な薄片を2つ得ることができた。それ以外の露頭の岩石は,非常にもろく,薄片を作成することが困難であった。3-3走査型電子顕微鏡(SEM)による観察走査型電子顕微鏡を用いて,岩石の表面を観察した。岩石は薄片を作成するこのできた露頭3及び4の岩石薄片を観察した。撮影したSEM画像上でそれぞれの岩石を構成する粒子の大きさを測定した。3-4 XRD装置を用いた鉱物同定西側と東側とが異なる岩石で出来ているのかを調べるため, X線回折(XRD)装置を用いて岩石を構成する鉱物の鑑定を行った。使用した岩石は地点1・2・9・11である。4.研究結果4-1 露頭観察の結果地点1・2・3・7の岩石は,いずれも非常に硬く,ハンマーで叩くと火花が発生した。表面は灰色をしていた。また,いずれも大きな割れ目があった。風化の影響と思われる。また,大きな割れ目があった。地点4・5・6・10・11・12の岩石は手で割ることができるほど脆かった。色はオレンジ色が中心であり,場所によっては赤橙の曲線状の縞模様が観察された。構成する粒子はいずれも泥質でかなり細かい。4-2 薄片観察の結果地点3の岩石を観察した。これらの岩石は,強く偏光した無色鉱物が多くみられた。それらの無色鉱物は表面では観察されず,断面でしか観察されなかった。また,いずれも角が多く,石英がちぎれていると思われる。地点4の岩石は砕屑粒子で構成されていた。大きさは約5μm程度であった。全体的にオレンジ色であり,細かい層構造であるラミナが見られた。幅は約1~2mmであった。4-3 SEMの結果地点3,4の岩石の写真のいずれも数μm程度の小さな尖った粒子で構成されていた。これらの粒子のうち,無作為に選んだ粒子を測長した。その結果,2つの露頭の岩石を構成する砕屑粒子のサイズには違いがないということがわかる。4-4 XRDの結果地点1・2の岩石は少量の長石を含んでいるが,全ての地点の岩石において主成分は石英であることが明らかになった。5.考察今回の研究で新たにわかったことは以下の3点である。ア)信夫山の東西で岩石の硬さ,色が異なる。イ)信夫山の岩石は凝灰岩で,構成粒子はほとんど石英である。ウ)信夫山の西側でカリ長石が見つかった。イの結果からこのカリ長石が熱水によるものではないかと推測した。また,ア・イ・ウの結果より,信夫山の岩石はもともと同じ凝灰岩で構成されていたものの,西側に熱水が貫入し石英・カリ長石が晶出したと考えた。これは信夫山が凝灰岩で構成されているという仮説を支持するものとなる。6.まとめ今回の研究では,既存の地質調査の真偽を確かめながら,信夫山の形成過程についての推定を行った。信夫山の東西の岩質の違うこと,西側に熱水が貫入したことが原因らしいことが本研究では明らかになった。このことをはっきりさせるためにも,今後は福島盆地全体の調査を行っていく必要がある。