著者
齋藤 翔太朗
出版者
東京大学大学院経済学研究科
雑誌
経済学論集 (ISSN:00229768)
巻号頁・発行日
vol.83, no.4, pp.93-116, 2023-01-31 (Released:2023-09-20)
参考文献数
26

イギリスの移民政策の歴史において,1905年外国人法は,入国管理の政策基調が「開放」から「規制」へと一転し,現在の入国管理制度の原型が成立した画期として位置づけられている.ところが,その一方で,実際の効果については消極的にしか評価されてこなかった.本稿では,1905年外国人法に基づいて実施された外国人の入国管理制度の特質と,その歴史的意義について,同法をめぐる様々な対立・欠陥・相違に注目しながら考察する.本稿は次の点を指摘する.第1に1905年外国人法には,入国管理政策として移民規制と難民庇護という対立的な要素が併せて制度化され,さらに政治的・宗教的難民については「推定無罪」の原則が指示されていた.第2に実際に入国管理の対象となる外国人旅客は限定されるとともに,入国規制の対象となる基準が不明瞭であるという欠陥が存在していた.第3に施行者であった自由党の内務大臣は,戦時の入国管理には積極的であった一方で,平時の入国管理には消極的であった.また「外国人問題」の発生に対しては移民規制よりも社会改良を主張していた.
著者
齋藤 翔太朗
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.79, no.2, pp.235-252, 2013

20世紀初頭のイギリスにおいて入国管理の政策基調は「開放」から「規制」へと一転したのであり,1905年外国人法の制定は移民政策史上の画期であった。本稿は,19世紀末から20世紀初頭にかけての外国人の流入と「外国人問題」の発生を検討することによって,1905年外国人法の政策意図,すなわち移民規制という「国家介入」を肯定する政策論理を解明することを課題とする。19世紀末以降,東欧出身の困窮外国人が大量に流入し,ロンドンのイースト・エンドに集中したことで排外的世論が高揚した。このような外国人の増加は既存の社会問題と重複する苦汁労働,過密人口,困窮,犯罪を悪化させた。移民規制運動では関税改革運動とともに国内労働者の雇用と生活を外国人から保護することが意図された。そして「好ましからぬ移民」を規制する1905年外国人法が制定されたのである。したがって本稿は,「外国人問題」の発生と1905年外国人法の制定が,社会問題に対する関心と自由貿易に対する懐疑によって自由主義が変容し,「国家介入」が肯定されつつあった当時の時代状況のなかに位置付けられると結論する。