著者
原田 信之 Nobuyuki HARADA 新見公立短期大学地域福祉学科 Niimi College
出版者
新見公立短期大学
雑誌
新見公立短期大学紀要 (ISSN:13453599)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.247-261, 2008

鬼虎は、第二尚氏王統第三代尚真王(一四七七~一五二六在位)の時代に活躍したとされる八重山諸島与那国島の首長であった。石垣島のオヤケ・アカハチと同様に、与那国島の鬼虎は琉球王に命じられた仲宗根豊見親らによって討伐された十六世紀に実在した人物である。与那国島には、鬼虎が琉球王に命じられた仲宗根豊見親らによって討伐された話が伝承されている。鬼虎には娘がいたとされ、鬼虎が征伐された時に捕らえられて宮古島に連れて行かれ、自害したという。鬼虎征伐に関しては「忠導氏家譜」の記述や「仲宗根豊見親八重山入の時(の)アヤゴ」、鬼虎の娘に関しては「鬼虎の娘のアヤゴ」などが伝えられている。鬼虎にまつわる伝説は、琉球王朝の先島諸島統治をめぐる問題や南西諸島における英雄伝説の問題等を考える際にも重要なてがかりを与えてくれるものと考えられる。
著者
原田 信之 Nobuyuki HARADA 日本文学 The Department of Liberal Arts Niimi College
雑誌
新見公立短期大学紀要 = The bulletin of Niimi College (ISSN:13453599)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.241-254, 2005-12-25

多良間島には、十六世紀に島を統治した土原豊見親春源の父親「ペーンス(平屋西)」が平家の流れをくむヤマト(日本)の人であったという平家伝説がある。また、春源のおじで水納島を統治していたとされる「水納ペーンス」はペーンスの弟で、春源の多良間統一に協力したという伝承がある。南西諸島においては、源氏と平氏をめぐる伝説がそれぞれ存在しているが、通常、沖縄県には平家伝説はほとんどないとされている。日本と多良間との交流は海の道を通じて昔から存在したこと、ペーンスは日本から来た人物であった可能性が高いこと、「ヤマト墓」が存在すること、『遺老説伝』等にみえる「平屋西」という表記の存在(平家を連想する)などが多良間島の平家伝説の発生に重要な役割を果たしてきたと推定される。また、琉球王権北端の奄美と琉球王権南端の先島に平家伝説がある点が注目されるが、その理由の一つとして、奄美も先島も首里と地理的に離れているため琉球王権の影響力が比較的緩やかであったことが関係しているように思われる。
著者
山内 圭 Kiyoshi YAMAUCHI 教養科 新見公立短期大学 The Department of Liberal Arts Niimi College
雑誌
新見公立短期大学紀要 = The bulletin of Niimi College (ISSN:13453599)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.121-141, 2005-12-25

本論は、アメリカ人女性作家Laura Ingalls Wilder作の『大きな森の小さな家』および『大草原の小さな家』から、子育て、親子関係、家族関係などに関わる描写を抜き出し、検討を加えたものである。これらの物語は、19世紀のアメリカ開拓時代を舞台としているが、そこで描かれる、子育て、親子関係、家族関係などは、普遍的なものであることがわかった。
著者
原田 信之 Nobuyuki HARADA 新見公立短期大学地域福祉学科 Niimi College
雑誌
新見公立短期大学紀要 = The bulletin of Niimi College (ISSN:13453599)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.247-261, 2008-01-01

鬼虎は、第二尚氏王統第三代尚真王(一四七七~一五二六在位)の時代に活躍したとされる八重山諸島与那国島の首長であった。石垣島のオヤケ・アカハチと同様に、与那国島の鬼虎は琉球王に命じられた仲宗根豊見親らによって討伐された十六世紀に実在した人物である。与那国島には、鬼虎が琉球王に命じられた仲宗根豊見親らによって討伐された話が伝承されている。鬼虎には娘がいたとされ、鬼虎が征伐された時に捕らえられて宮古島に連れて行かれ、自害したという。鬼虎征伐に関しては「忠導氏家譜」の記述や「仲宗根豊見親八重山入の時(の)アヤゴ」、鬼虎の娘に関しては「鬼虎の娘のアヤゴ」などが伝えられている。鬼虎にまつわる伝説は、琉球王朝の先島諸島統治をめぐる問題や南西諸島における英雄伝説の問題等を考える際にも重要なてがかりを与えてくれるものと考えられる。