- 著者
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原田 信之
Nobuyuki HARADA
- 雑誌
- 新見公立短期大学紀要 = The bulletin of Niimi College (ISSN:13453599)
- 巻号頁・発行日
- vol.23, pp.209-220, 2002-12-25
琉球の歴代王統は,神話時代にあたる天孫氏時代を除外すると,舜天王統以降,英祖王統,察度王統,第一尚氏王統,第ニ尚氏王統と統いた。これらの王統のうち,本橋では察度王統の始祖である察度とその子孫をめぐる伝説を中心として扱った。在位時に多くの業績を残した察度も晩年には権勢におごる心が生じたというが,察度の世子武寧は父の死後即位してから日夜気ままに遊び暮らし,尚思紹・尚巴志父子に滅ぼされたという。琉球の正史には,武寧に関して,隠遁後の足跡も没年も伝わっていないと記してあるが,興味深いことに,宜野湾市我如古地区には,武寧の子をめぐる伝説が伝えられている。土地の伝承では,「武寧王の三男」とされる「我如古大主」が我如古地区にやってきて我如古グスクを築城し,その築城の際のお祝いの踊りが「我如古スンサーミー」であったという。本稿は,新たに採集した□承資料などの検討を通して,察度王統の始祖察度の子孫をめぐる伝説の全体像をまとめ,残存資料の少ない琉球王朝始祖伝説の一側面を考察した。