著者
原田 信之 Nobuyuki Harada 岐阜大学教育学部
出版者
九州情報大学
雑誌
九州情報大学研究論集 (ISSN:13492780)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.51-68, 2006-03

ドイツでは、TIMSSやPISAなどの国際学力調査において、ドイツの生徒の学力低下とともに、60年代から取り組まれてきた「教育の機会均等」の理念の実現も立ち遅れている制度的課題も映し出された。また、地方分権国家のドイツでは国家的教育スタンダードによるカリキュラムの標準化が進行する一方、教科の再編・統合化の動きがみられる。そして新たな自由競争原理に根ざした改革と同時に、格差是正と平等性の保障が政策ターゲットとして掲げられている。米英型の「新自由主義政策」対独仏型の「社会的不平等の是正に重点を置く政策」という新たなるイデオロギーの対立が生じている情勢にあって、学力向上を目指すドイツのカリキュラム政策はどのような展開をみせているのか、その政策意図(政策ターゲット)と課題を本稿では明らかにするとともに、現代社会に求められる学力モデルについて考察する。
著者
原田 信之 Nobuyuki HARADA 新見公立短期大学地域福祉学科 Niimi College
出版者
新見公立短期大学
雑誌
新見公立短期大学紀要 (ISSN:13453599)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.247-261, 2008

鬼虎は、第二尚氏王統第三代尚真王(一四七七~一五二六在位)の時代に活躍したとされる八重山諸島与那国島の首長であった。石垣島のオヤケ・アカハチと同様に、与那国島の鬼虎は琉球王に命じられた仲宗根豊見親らによって討伐された十六世紀に実在した人物である。与那国島には、鬼虎が琉球王に命じられた仲宗根豊見親らによって討伐された話が伝承されている。鬼虎には娘がいたとされ、鬼虎が征伐された時に捕らえられて宮古島に連れて行かれ、自害したという。鬼虎征伐に関しては「忠導氏家譜」の記述や「仲宗根豊見親八重山入の時(の)アヤゴ」、鬼虎の娘に関しては「鬼虎の娘のアヤゴ」などが伝えられている。鬼虎にまつわる伝説は、琉球王朝の先島諸島統治をめぐる問題や南西諸島における英雄伝説の問題等を考える際にも重要なてがかりを与えてくれるものと考えられる。
著者
原田 信之 Nobuyuki HARADA 日本文学 The Department of Liberal Arts Niimi College
雑誌
新見公立短期大学紀要 = The bulletin of Niimi College (ISSN:13453599)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.241-254, 2005-12-25

多良間島には、十六世紀に島を統治した土原豊見親春源の父親「ペーンス(平屋西)」が平家の流れをくむヤマト(日本)の人であったという平家伝説がある。また、春源のおじで水納島を統治していたとされる「水納ペーンス」はペーンスの弟で、春源の多良間統一に協力したという伝承がある。南西諸島においては、源氏と平氏をめぐる伝説がそれぞれ存在しているが、通常、沖縄県には平家伝説はほとんどないとされている。日本と多良間との交流は海の道を通じて昔から存在したこと、ペーンスは日本から来た人物であった可能性が高いこと、「ヤマト墓」が存在すること、『遺老説伝』等にみえる「平屋西」という表記の存在(平家を連想する)などが多良間島の平家伝説の発生に重要な役割を果たしてきたと推定される。また、琉球王権北端の奄美と琉球王権南端の先島に平家伝説がある点が注目されるが、その理由の一つとして、奄美も先島も首里と地理的に離れているため琉球王権の影響力が比較的緩やかであったことが関係しているように思われる。
著者
原田 信之 Nobuyuki HARADA
雑誌
新見公立短期大学紀要 = The bulletin of Niimi College (ISSN:13453599)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.209-220, 2002-12-25

琉球の歴代王統は,神話時代にあたる天孫氏時代を除外すると,舜天王統以降,英祖王統,察度王統,第一尚氏王統,第ニ尚氏王統と統いた。これらの王統のうち,本橋では察度王統の始祖である察度とその子孫をめぐる伝説を中心として扱った。在位時に多くの業績を残した察度も晩年には権勢におごる心が生じたというが,察度の世子武寧は父の死後即位してから日夜気ままに遊び暮らし,尚思紹・尚巴志父子に滅ぼされたという。琉球の正史には,武寧に関して,隠遁後の足跡も没年も伝わっていないと記してあるが,興味深いことに,宜野湾市我如古地区には,武寧の子をめぐる伝説が伝えられている。土地の伝承では,「武寧王の三男」とされる「我如古大主」が我如古地区にやってきて我如古グスクを築城し,その築城の際のお祝いの踊りが「我如古スンサーミー」であったという。本稿は,新たに採集した□承資料などの検討を通して,察度王統の始祖察度の子孫をめぐる伝説の全体像をまとめ,残存資料の少ない琉球王朝始祖伝説の一側面を考察した。
著者
原田 信之 Nobuyuki HARADA 新見公立短期大学
雑誌
新見公立短期大学紀要 = The bulletin of Niimi College (ISSN:13453599)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.275-293, 2004-12-25

琉球の歴代王統のうち、第一尚氏王統の始祖に関する伝説は伊平屋島から佐敷に渡ってきたという鮫川(佐銘川)大主の話に始まる。伝承によれば、屋蔵大主の息子の鮫川大主は、伊平屋島を出て場天の浜(佐敷町) に渡ったという。やがて鮫川は大城接司の娘の聟になり、男子苗代大親(尚思紹)と女子(場天ノロ) が生まれ、この苗代大親の子が成人して尚巴志となり、三山を統一して第一尚氏王統をたてたとされる。このため、佐敷町には、第一尚氏一族にまつわる史跡も多く、第一尚氏王統にまつわる諸伝承が濃密に伝えられている。本稿は、新たに採集した口承資料などの検討を通して、佐敷町の人々の間で語り継がれてきた第一尚氏関連史跡群とその伝承の全体像をまとめ、残存資料の少ない琉球王朝始祖伝説の一側面を考察した。
著者
原田 信之 Nobuyuki HARADA 新見公立短期大学地域福祉学科 Niimi College
雑誌
新見公立短期大学紀要 = The bulletin of Niimi College (ISSN:13453599)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.247-261, 2008-01-01

鬼虎は、第二尚氏王統第三代尚真王(一四七七~一五二六在位)の時代に活躍したとされる八重山諸島与那国島の首長であった。石垣島のオヤケ・アカハチと同様に、与那国島の鬼虎は琉球王に命じられた仲宗根豊見親らによって討伐された十六世紀に実在した人物である。与那国島には、鬼虎が琉球王に命じられた仲宗根豊見親らによって討伐された話が伝承されている。鬼虎には娘がいたとされ、鬼虎が征伐された時に捕らえられて宮古島に連れて行かれ、自害したという。鬼虎征伐に関しては「忠導氏家譜」の記述や「仲宗根豊見親八重山入の時(の)アヤゴ」、鬼虎の娘に関しては「鬼虎の娘のアヤゴ」などが伝えられている。鬼虎にまつわる伝説は、琉球王朝の先島諸島統治をめぐる問題や南西諸島における英雄伝説の問題等を考える際にも重要なてがかりを与えてくれるものと考えられる。