著者
岡田 仁 OKADA Hitoshi
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
言語と文化・文学の諸相
巻号頁・発行日
pp.3-15, 2008-03-21

イェイツ(W.B.Yeats)の詩に対する情熱は徹底していた。新境地を求めて最後まで変遷を繰り返した。しかもその変遷の方向は定まることがなく絶えず揺れ動いていたように思える。むしろその揺れが詩の原動力となっていた感がある。安定した状態に収まることを自らに禁じて,功成り名を遂げた大詩人のマスクの下に,何か無理やりにとも見える精神の葛藤を作り続けた。その葛藤の一つは,悟りすました老人を目指すか,それとも癇癪老人となって好色と憤怒を露わにするかである。言い換えれば,生への執着を振り捨てようか,それとも出来るだけ持ち堪えてみせようかということだが,イェイツが最晩年に創り上げようとしたのは,この二つが二者択一としてではなく,二つながらに可能な微妙なバランスを保った詩の世界だったと言える。いわば,精神の高みから見下す眼差しと,下界の汚泥の中から見上げる眼差しが交差する場であったとも言える。この小論では,主に"Sailing to Byzantium", "Byzantium", 及び"News for the Delphic Oracle"を取り上げてイェイツ晩年の詩の世界の一画を望見してみたい。
著者
岡田 仁 OKADA Hitoshi
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
言語と文化
巻号頁・発行日
pp.117-132, 1993-03-20

イェイツ(W.B.Yeats)の詩集『塔』は1928年の出版で,主に1920年代に書かれた詩を集めている。これらはイェイツ60歳前後の作品ということになる。この頃イェイツは,内乱の危機を孕みながらもどうにかイギリスから自治権を獲得した新生「アイルランド自由国」の上院議員に選ばれ,翌1923年にはノーベル文学賞を受賞している。個人生活の面では,25年にわたるモード・ゴン(Maud Gonne)への求愛をついに諦め1917年に結婚した30歳近く年下の妻との間に一男一女を儲けて安定した家庭生活を送っていた。この家庭生活は二つの点でイェイツにとって非常に大きな意味を持つことになった。1914年出版の詩集『責任』の冒頭の詩で,イェイツは自分の祖先の血筋を誇り,それを受け継ぐ子供が自分にないことを祖先に詫びていた。1) イェイツにとって家庭を持つことは,文化的伝統の継承と言う意味でも,「責任」の一つだったのである。そして,結婚によって,イェイツは三つの重要な責任を全て果たすことができることになった。すなわち,アイルランド文芸復興を通じて行ってきた独立運動(また,上院議員としての活動)による国家に対する責任,一生続いた真摯な詩作活動(表面的には,ノーベル文学賞受賞)による文学に対する責任,そして家系に対する責任である。さらに,この責任の全うが,実は,「功なり名を遂げた」詩人の完成ではなく新たな出発であったところにイェイツの真の偉大さがあったと言えるだろう。