著者
杉本 良男 Yoshio Sugimoto
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.40, no.2, pp.267-309, 2015-11-27

小稿は,神智協会の創設者にして,のちの隠秘主義(オカルティズム)や西欧世界における仏教なかんずくチベット仏教の受容,普及に決定的な役割を果たしたマダム・ブラヴァツキーが,具体的にどのようにチベット(仏教)に関わり,どのような成果を収め,さらにその結果後世にどのような影響を及ぼしたのかについて,とくに南アジア・ナショナリズムとの関連に議論を収斂させながら,神話論的,系譜学的な観点から人類学的に考察しようとするものである。ここでは,マダム・ブラヴァツキー自身のアストラハン地方における幼児体験をもとに,当時未踏の地,不可視の秘境などととらえられていたオリエンタリスト的チベット表象を触媒にして,チベット・イデオロギーへと転換していったのかが跡づけられる。その際,マダム・ブラヴァツキーのみならず,隠秘主義そのものが,概念の境界を明確化する西欧近代主義イデオロギーを無効化するとともに,むしろそれを逆手にとった植民地主義批判であったことの意義を明らかにする。
著者
Yoshio Sugimoto 杉本 良男
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.44, no.3, pp.445-534, 2020-01-06

小論は,スリランカ(セイロン)の仏教改革者アナガーリカ・ダルマパーラにおける神智主義の影響に関する人類学的系譜学的研究である。ダルマパーラは4 度日本を訪れ,仏教界の統合を訴えるとともに,明治維新以降の目覚ましい経済・技術発展にとりわけ大きな関心を抱き,その成果をセイロンに持ち帰ろうとした。実際,帰国後セイロンで職業学校などを創設して,母国の経済・技術発展に貢献しようとした。そこには,同じく伝統主義者としてふるまったマハートマ・ガンディーと同様に,根本的に近代主義者としての性格が見えている。ところで,一連のダルマパーラの活動の手助けをしたのは,神智協会のメンバーであったこと,さらには生涯を通じて神智主義,神智協会の影響が決定的に重要であったことは,これまでそれほど深くは論じられてこなかった。しかし,ケンパーが言うようにダルマパーラにおける神智主義が世上考えられているよりはるかにその影響が決定的であったことは否定すべくもない。さらに,神智協会が母体となってセイロンに創設された仏教神智協会は,ダルマパーラの大菩提会とは仇敵のような立場ではあったが,ともに仏教ナショナリズムを強硬に主張した点では共通していた。仏教神智協会には,S.W.R.D. バンダーラナーヤカ,ダッドリー・セーナーナーヤカ,J.R. ジャヤワルダナなど,長く独立セイロン,スリランカを支えた指導者が集まっていた。その後の過激派集団JVP への影響も含めて,神智主義の普遍宗教理念が,逆に生み出したさまざまな分断線は,現在まで混乱を招いている。同じように,インド・パキスタン分離を避けられなかったマハートマ・ガンディーとともに,神智主義,秘教思想を媒介にしたその「普遍主義」の功罪について,その責めを問うというよりは,たとえそれが意図せざる帰結ではあっても,その背景,関係性,経緯などを解きほぐす系譜学的研究に委ねて,問い直されるべき立場にある。
著者
杉本 良男 Yoshio Sugimoto
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.36, no.3, pp.285-351, 2012-02-27

小論は,スリランカの仏教改革者でかつ闘う民族主義者としてのアナガーリカ・ダルマパーラの流転の生涯,およびそれ以後のシンハラ仏教ナショナリズムの展開に関する人類学的系譜学的研究である。小論ではダルマパーラの改革理念のもつ曖昧性や不協和にこだわり,あらたに再編されたシンハラ仏教を,近代西欧的,キリスト教的モデルを否定しながらその影響を強くうけたものとして,その理想と現実との食い違いを明らかにする。こうした改革仏教はオベーセーカラによって2 つの意味を持つ「プロテスタント仏教」と名づけられた。ひとつには英国植民地支配に「プロテスト」するためのシンハラ仏教ナショナリズムと深く関わっている。ふたつには,マックス・ウェーバーのいう在家信者を主体とするプロテスタント的な現世内禁欲主義を仏教に応用しようとしたものである。しかしながら,ダルマパーラの急進的なナショナリスト的改革はいったん頓挫し,1950 年代半ばのバーダーラナーヤカ政権の「シンハラ唯一」政策などによって実質化されることになった。そのさい仏陀一仏信仰を旨とするプロテスタント的仏教は,宗教的に儀礼主義と偶像崇拝を排除し,また政治的にはタミル・ヒンドゥー教徒などの少数派を排除する論理を提供した。もともとナショナリズムと親和的なプロテスタンティズムの論理が貫徹したシンハラ仏教ナショナリズムはそれまであいまいであった民族間,宗教間の対立を実体化し深刻化する結果を招いた。ダルマパーラの改革仏教はそうした紛争の一因を提供した意味においても評価されなければならない。
著者
杉本 良男 Yoshio Sugimoto
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.31, no.3, pp.305-417, 2007-03-23

小稿は,南アジアに広く受けいれられている聖トマス伝説について,1)現在の状況の概要,2)聖トマス伝説の形成と展開およびその歴史的背景,3)ヒンドゥー・ナショナリズムとの関係のなかでの現代的意義,とりわけ2004 年末のスマトラ沖大地震・インド洋大津波をめぐる奇蹟譚の解釈をめぐるさまざまな論争と問題点,について人類学的に考察しようとするものである。問題の根本は,インド・キリスト教史の出発点としてつねに引き合いに出される聖トマスによる開教伝説の信憑性をめぐる論争そのものの政治的な意味にある。南インドには,聖トマスの遺骨をまつるサントメ大聖堂をはじめトマスが隠棲していた洞窟などが聖地として人びとの信仰を集めている。その根拠とされるのは新約聖書外典の『聖トマス行伝』であり,これを信ずるシリア教会系のトマス・クリスチャン(シリアン・クリスチャン)がケーララ州に400 万の人口を数えている。聖トマス伝説はポルトガル時代にカトリック化され,また聖トマスが最後ヒンドゥー教徒の手で殉教した,とも伝えられる。これが,さきの地震・津波災害のおりには,反キリスト教キャンペーンのターゲットにもなっていた。2 千年のときを経て聖トマスはいまも政治的,宗教的な文脈のなかで生きているのである。