11 1 1 0 OA 諸系譜

巻号頁・発行日
vol.第3冊, 1800

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江戸時代の南龍堂・椿井権之輔も古文書蒐集や書画作成してる。 中田憲信のメモ・諸系譜の椿井家系図の椿井権之助政隆が彼に該当するのか、 萬次郎が作ったかはわからないけど https://t.co/6llwKMvCvF 明治時代、社格制度をビジネスチャンスに椿井文書を量産販売した木津の今井氏もあったのかも https://t.co/28KeMCQXMx
1913年遠族として今井良政により建てられた 1892年死亡した椿井万次郎平群政辰の墓を馬部先生は見た(群像,75巻11号)。 南朝後村上天皇第18世孫?中田憲信 https://t.co/WYp6QCPXg7 が筆写した『諸系譜 https://t.co/6llwKMvCvF 』では椿井萬次郎は椿井権之助政隆の息子。 椿井文書メモ
南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信が筆写した諸系譜の椿井政隆の子萬次郎は 明治2年弾正台門兵と書く https://t.co/fbjKNKn5P2 。 彼は南朝後醍醐天皇の元へ馳せ参じ、京都府士族へ編入された【南山郷士】だという https://t.co/ycmc6K8wuG 。○椿井文書
しかしまだその学説は実証されておらず、 1770年誕生でかつ 1837年死去した椿井政隆の実在性も不明。 1838年死去した椿井権之助政隆の系図は南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信が筆写した『諸系譜』にあるけど信憑性不明 https://t.co/fbjKNKn5P2 諸系譜の椿井政隆の子萬次郎は ○椿井文書
南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信が筆写した『諸系譜』の中の、 馬部先生が椿井文書作者と云う椿井政隆の椿井家系図 https://t.co/6llwKMvCvF 。 『諸系譜』中には『浪合記』の後醍醐天皇孫の尹良親王の氷室家系図もある https://t.co/B1t18jWrpI
@gismotromix @inside_out_out 椿井萬次郎作と思われる椿井家系図冒頭の神話の部分が史実であるなら、 平群姓もあるのかもしれませんが、これも椿井文書なのでしょうからわからない https://t.co/DzGrH8P9qX
弾正台門番を務めた 南朝後醍醐天皇の元へ参じた南山郷士の盟主として名前を連ねた 椿井万次郎 https://t.co/5CVNb4bDF9 の系図に興味を抱き筆写する https://t.co/5nqS2kNL2M のは自然で 続浪華郷友録の南龍堂 https://t.co/1cYVDPQVCH と椿井万次郎と父・椿井権之助政隆を同一人物と 椿井文書メモ
>先祖である後醍醐天皇の元へ馳せ参じた南山郷士盟主の椿井万次郎 https://t.co/1Q8nCkCuRx の系図 https://t.co/SZIEJvByY6 を筆写する動機が生じるか否か。 だから、中田が万次郎が南山郷士の盟主であると知ることができたという史料的根拠がないと何度も言っているのだが。
今問題になっているのは 南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信が 先祖である後醍醐天皇の元へ馳せ参じた 南山郷士盟主の椿井万次郎 https://t.co/ycmc6K8wuG の系図 https://t.co/DzGrH8P9qX を筆写する動機が生じるか否か。 南龍堂と万次郎父(椿井文書作者と馬部氏の云う)の同一視が生じる。 https://t.co/qvztwNtC0Q
>『諸系譜 https://t.co/SZIEJvByY6 』で南龍堂 https://t.co/8kUs8hcvsL と同一人物の足利尊氏に仕えた先祖を持つ椿井万次郎と父・椿井権之助政隆を作り 「諸系譜」には椿井政隆の先祖が足利尊氏に仕えたとは書かれていないが。
『諸系譜 https://t.co/DzGrH8P9qX 』で 南龍堂 https://t.co/y4bGxVdMBa と同一人物の 足利尊氏に仕えた先祖を持つ 椿井万次郎と父・椿井権之助政隆を作り 椿井権之助政隆を椿井文書作者とすれば 中村直勝が記録した椿井文書オーダーメイド販売も南龍堂作文書販売にできる。 https://t.co/CfTT3XdCpH
『諸系譜』を信頼する立場でのみ 諸系譜の椿井村の椿井萬次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M は 田中淳一郎氏の南山郷士の椿井村の椿井万次郎で 諸系譜の萬次郎の父・椿井権之助政隆は 上狛に椿井村が含まれる時代が合致するなら 上狛の南龍堂 https://t.co/1cYVDPQVCH かも。 椿井文書メモ https://t.co/Y8a6iEoQIb
南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信筆写の『諸系譜』の 1841年死亡した椿井権之助政隆 https://t.co/6llwKMvCvF と 藤本孝一先生が報告した『高麗大寺図』鋪の椿井応龍子正群政隆であろう續浪華郷友録,1823の「廣雄-椿井権之輔」 https://t.co/1cYVDPQVCH の同一性がわからない 椿井文書メモ https://t.co/qTh2qPFoSF
藤本孝一先生が椿井文書かもという『高麗大寺図』鋪の椿井応龍子正群政隆である 續浪華郷友録,1823の「廣雄-椿井権之輔」 https://t.co/1cYVDPQVCH と 南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信筆写の『諸系譜』の 1841年死亡した椿井権之助政隆 https://t.co/6llwKMvCvF が同一人物かが不明で、
>椿井権之助政隆と萬次郎の親子関係を示すのは中田憲信筆写『諸系譜 https://t.co/wNTFOHA9Ld 』のみでは? 「諸系譜」が「ファンタジー」だという根拠を示すべきである。
1913年遠縁として今井良政が建立した 1892年卒の椿井万次郎平群政辰の墓碑を馬部先生は見て来られた(群像2020年11月号,講談社)。 後醍醐天皇の南山郷士の椿井万次郎 https://t.co/p9LmY2np9l と 墓の椿井万次郎平群政辰と 諸系譜の椿井萬次郎政福 https://t.co/QgOrdqiCru の実在性は? 椿井文書
田中淳一郎氏は椿井萬次郎は椿井権之輔の子かと思われると書いているけど断定はしておらず、 椿井権之輔を椿井政隆(1770-1837)とは書いていない。 椿井権之助政隆と萬次郎の親子関係を示すのは中田憲信筆写『諸系譜 https://t.co/QgOrdqiCru 』のみでは? https://t.co/p9LmY2np9l 椿井文書 https://t.co/cm36jm0eWR
椿井家系図を筆写し『諸系譜』 に綴った https://t.co/6llwKMvCvF 南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信さんは 本当に後村上天皇第18世孫だったのかな? でもこの系図しか興福寺から古文書を持ち出した椿井権之丞と椿井政隆と南朝の南山郷士・萬次郎をつなぐ文書は無いのでは? 椿井文書メモ https://t.co/9VYHnasS5K
確かに国立国会図書館が2017年3月ネット公開した 南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信が筆写した『諸系譜』 https://t.co/6llwKMvCvF では 椿井権之助政隆の子は萬次郎政福、父は権之丞とあるけど 南山郷士の萬次郎も中田憲信と同じく南朝ファンタジーの人だったみたいだから 椿井文書メモ https://t.co/1QTv0zwnDl
ようは南朝後村上天皇第18世孫と名乗ってた中田憲信がメモして 2017年国立国会図書館がネット公開した『諸系譜』 https://t.co/QgOrdqiCru の椿井家系図を信じるか信じないかでは? 椿井萬次郎が南山郷士 https://t.co/p9LmY2np9l で中田憲信が後村上天皇第18世孫。 後醍醐天皇好き~系サークル活動? https://t.co/cy6egwvf1G
国立国会図書館が2017年3月ネット公開した 南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信が筆写した『諸系譜』 https://t.co/5nqS2kNL2M では 椿井権之助政隆の子は萬次郎政福、父は権之丞だけど、 信頼性が低いと指摘する声がある。 椿井文書メモ https://t.co/0kq4zFVMUz
2005年論文の椿井権之丞が幕末興福寺から持出し今井家へ質入れした古文書は実は椿井政隆(1770-1837)作椿井文書説の根拠は書いてなかったけど、 2017年国立国会図書館が公開した諸系譜 https://t.co/5nqS2kNL2M では政隆の父の名とわかるものの、 系図に信頼性が無いとい https://t.co/UixY6d9mek
椿井政隆親族の小林凱之氏と同姓同名の方が 京都府立図書館の会報(会報,京都府図書館等連絡協議会,No.46,平成10年8月15日)に掲載されてる。 2017年3月14日南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信が筆写した『諸系譜』 https://t.co/6llwKMvCvF 公開。 2005年論文の椿井権権之丞と政隆がつながる
椿井文書の椿井政隆が椿井権之丞と関係する根拠は『諸系譜』らしいけど、 それは南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信が筆写した物で、国立国会図書館が2017年3月14日公開した物。 https://t.co/6llwKMvCvF
そこに現れた、明治時代の南朝・後村上天皇18代孫と名乗る https://t.co/WYp6QCPXg7 、 中田憲信と 彼が筆写した椿井政隆の家系図 https://t.co/6llwKMvCvF 。 不思議の世界。中田憲信さんは自分が明治天皇に替われる存在だと、思ってたりしたのかな?(^▽^;)
田中淳一郎『狛文書の概要』 https://t.co/mf2ogHgPIH 。 上狛といえば東京大学経済学部図書館文書室所蔵『浅田家文書』で 諸系譜 https://t.co/5nqS2kNL2M に出てくる 椿井権之丞、 椿井権之助、 椿井村椿井萬次郎の名前が出てくる。 https://t.co/3cAvGPnQWm https://t.co/mEYopKgN7f
椿井文書の椿井政隆の子と『諸系譜』に書いてる万次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M は、明治時代始めに記録に出て来てすぐ消える https://t.co/5CVNb4bDF9 という https://t.co/0kq4zFVMUz 。 でも、
椿井権之丞は椿井文書の椿井政隆の先祖だと 南朝後村上天皇第18世孫を自称する https://t.co/WYp6QCPXg7 中田憲信が筆写した『諸系譜』に書いてる https://t.co/6llwKMvCvF けど信頼が低いらしく https://t.co/0kq4zFVMUz
椿井文書論文107頁の、興福寺から古文書を持ち出し木津の今井家へ質入れした椿井権之丞の椿井家は、 南龍堂こと椿井権之輔政隆を輩出した家と書いてある根拠が書いていないのですが、 もしかして後村上天皇第18代後胤を自称する中田憲信筆写の『諸系譜』 https://t.co/fbjKNKn5P2 が根拠でしょうか? https://t.co/PpbNMaKhUw
107頁の、興福寺から古文書を持ち出し木津の今井家へ質入れした今井権之丞の椿井家は、 南龍堂こと椿井権之輔政隆を輩出した家と書いてある根拠が書いていないのですが、 もしかして後村上天皇第18代後胤を自称する中田憲信筆写の『諸系譜 https://t.co/fbjKNKn5P2 』が根拠でしょうか? https://t.co/PpbNMaKhUw
@augsburg14 失礼します。 椿井家系図を典拠に 椿井権之助政隆やその息子 椿井萬次郎政福が 父・祖父の椿井権之丞を名乗っていたと 主張する説があります。 先祖の藤原右将中懐房の近江伊香大蛇退治は 椿井政隆作『平群姓正嫡椿井家系図』と同じ童話ですが 椿井文書が出典でしょうか? https://t.co/hDoZ4oEEAK
@pat_1308 こちらがその中田憲信が筆写したといわれる「諸系譜」の、椿井文書の椿井政隆の記載です。 https://t.co/fbjKNKn5P2 https://t.co/FXh3T7ulW9 名古屋控訴裁判所の用紙が使用されたページもあります https://t.co/JxNUHkHtGj
@TaniYoko 。『諸系譜 https://t.co/vHbUsf5Nvh 』藤原右将中懐房と酷似したお話が 『由緒・偽文書と地域社会』P.369-山城町上狛の小林凱之所蔵『椿井系図』の椿井近江官領懐房伊香大蛇退治。『余呉町史』と同じく椿井大明神延喜式神名帳云々とも掲載されてる。 椿井文書と馬部氏はいうけどそのおとぎ話が
@pririn_ 『諸系譜』の椿井政隆ご先祖の椿井三河政定(藤千代丸) https://t.co/CVV6FHBdU4 が 『寛政重修諸家譜』の伊香郡数十邑を与えられた 内藤定房(藤千代丸) https://t.co/y7akGDofyw なのね。 3代の養子の後の椿井文書の椿井政隆は藤原家末裔 https://t.co/QgOrdqiCru で大蛇退治のヒーローである、と。
@pririn_ 『諸系譜』の椿井政隆ご先祖の椿井三河政定(藤千代丸) https://t.co/CVV6FHBdU4 が 『寛政重修諸家譜』の伊香郡数十邑を与えられた 内藤定房(藤千代丸) https://t.co/y7akGDofyw なのね。 3代の養子の後の椿井文書の椿井政隆は藤原家末裔 https://t.co/QgOrdqiCru で大蛇退治のヒーローである、と。
『平群姓正嫡椿井家系図』の椿井政隆?の大蛇退治も、 『諸系譜』の椿井政隆の先祖の藤原右将中懐房近江伊香大蛇退治 https://t.co/vHbUsf5Nvh も、 『寛政重修諸家譜』内藤定房が椿神社がある伊香郡数十邑を与えられた逸話 https://t.co/GiWzzzE6u3 を元にしたおとぎ話で創作話のお遊びでは?椿井文書
南朝・後村上天皇第17代と自称する裁判官・中田憲信 https://t.co/RvmjxouT13 が書写した『諸系譜 https://t.co/QgOrdqiCru 』や、 偽作古文書・椿井文書の作者の椿井政隆が書いた系図『平群姓正嫡椿井家系図』って、信用してもいいものなの? https://t.co/07v7X7m3qY
南朝・後村上天皇第17代と自称する裁判官・中田憲信 https://t.co/7fr5GlYvQs が『諸系譜』を書写。 椿井文書の椿井政隆親子を三代の養子を挟むことにより https://t.co/6llwKMvCvF 藤原家傍流内藤家の椿井家 https://t.co/GiWzzzE6u3 へつないだ誰かの意図とはなんでしょう? https://t.co/qP5Jx01lT9
@historian_chop はまね様(augsburg14)より偽作された系図であるとは聴きましたが、 作者は特にお聞きしておりません。 どちら様が作者なのでしょう? なぜ『諸系譜 https://t.co/QgOrdqiCru 』を史料として使用するのかがわかりません。 それなくして椿井文書の椿井政隆と椿井萬次郎は繋がらないけれど。
『諸系譜 https://t.co/QgOrdqiCru 』が存在しないと南山郷士として士族に編入したという 椿井文書作者らしい椿井政隆の息子・万次郎は、 藤原家支流内藤家の裔の椿井家の家系図と繋がらないのだから、 つなげる為に作ったのか?と疑うのが筋では https://t.co/TVRmkBMeTn
南山郷士の椿井萬次郎さんが何者かは、 謎の系図『諸系譜 https://t.co/QgOrdqiCru 』がないと不明。 『諸系譜』が椿井文書の椿井政隆の息子・万次郎を『寛政重修諸家譜』の藤原家傍流椿井家へ結び付けます。 本貫か現住所かを判断するのにはここから論じないと。 https://t.co/jRKD9jNS67
椿井文書の椿井政隆の子・椿井萬次郎の状況が書かれた https://t.co/QgOrdqiCru 、 誰が書いたか、どこで所蔵されていたのかわからない 明治時代筆写され、 名古屋控訴裁判所の用紙が使用された https://t.co/BcKyMRyhqe 1914年国会図書館が購入した https://t.co/NU1N15V6C8 『諸系譜』 https://t.co/MpxbUGI07w
椿井文書の椿井政隆の子・椿井萬次郎の状況が書かれた https://t.co/QgOrdqiCru 、 誰が書いたか、どこで所蔵されていたのかわからない 明治時代筆写され、 名古屋控訴裁判所の用紙が使用された https://t.co/BcKyMRyhqe 1914年国会図書館が購入した https://t.co/NU1N15V6C8 『諸系譜』 https://t.co/MpxbUGI07w
維新当時の椿井庄に、椿井文書の作者の椿井政隆(1770-1837)の父・権之丞 https://t.co/6llwKMvCvF と同じ名前の 椿井権之丞さんが存在しなかった根拠のtweetとはどちらになられるのですか? https://t.co/6AWahIEQI2
馬部さんが椿井文書で引用された『諸系譜』 https://t.co/QgOrdqiCru では 椿井権之丞は椿井政隆の父です。 維新の頃興福寺から古文書を持ち出した椿井権之丞は椿井政隆の子孫ではありません。 たまたま政隆の父と同名の椿井さんが維新の頃いたか、誰かの作話か、他か。 https://t.co/HEPZJcaVqq
@historian_chop @nemurikappa ・1770年生まれて1838年死亡した平群政隆(平群姓正嫡椿井家系図)椿井文書p.17 ・1841年死亡した椿井権之助政隆(諸系譜 https://t.co/6llwKMvCvF ) ・1770年頃生まれた椿井右馬助平群懐暎胤政(興福寺元衆徒中御門系圖(写) ) https://t.co/9kCo5y9A0X 1837年亡くなった椿井文書の椿井政隆はいない
著者不明・明治時代以降の 『諸系譜』 https://t.co/QgOrdqiCru の 椿井権之助政隆の子 椿井萬次郎が 1892年没の墓を今井良政が立てた 椿井万次郎と同一人物なら、 乙亥年十一月 1875年写すのはあり得る。 でも実在するのかしら?椿井文書はクレタ人問題が。 https://t.co/rlW6kFAxav
著者不明で明治時代以降書かれた『諸系譜』の椿井(皆川)権之丞政矩(~1808/12/27,63才) 椿井権之助政隆(廣雄~1841/1/18) 椿井萬次郎政福 https://t.co/6llwKMvCvF と同じ名前の人達が 東京大学所蔵浅田家文書に出てくるけど、 権之丞さんは頼母子掛銀を頼むほど困窮。 椿井文書を書く裕福な家庭には https://t.co/nS2SAayiQ2
明治時代以降著され 1914年帝國図書館が購入した 名古屋控訴裁判所の用紙が第一冊末にある著者不明「諸系譜」に 椿井(皆川)権之丞政矩(~1808/12/27,63才) 椿井権之助政隆(廣雄~1841/1/18) 椿井萬次郎政福 ?? https://t.co/6llwKMvCvF それっぽい人達はいるけど著者不明(悩。 これも椿井文書なら? https://t.co/MCyKfZTM1K
1770年生まれの平群政隆は1838年死亡(平群姓正嫡椿井家系図,新書『椿井文書』(p17))。 諸系譜では1841年死亡 https://t.co/6llwKMvCvF 。 『椿井文書』では椿井政隆1770~1837年である理由がわからない。 1837年死亡の椿井政隆は非存在?? https://t.co/QKIoGPUN65
@hinotomoki2 諸系譜は明治時代の物です https://t.co/6llwKMvCvF。 誰が書いたんでしょう? 第一巻には名古屋控訴裁判所の用紙が https://t.co/XTZAln8wTl 。 作者不明で文字も稚拙。これが椿井文書だったらとか、誰も思わないのかな?
寛政重修諸家譜(1812年) https://t.co/7CM04OU5qJ に寄せて 『平群姓正嫡椿井家系図』を 偽書・椿井文書作者の椿井政隆(1770-1837)は書き、 椿井萬次郎の墓を立てた遠縁の木津の今井家等がそれを引いて 『諸系譜』を書いたかもしれないのに https://t.co/6llwKMvCvF 書いたのかもしれないのに。
『平群姓正嫡椿井家系図』の著者が偽書椿井文書著者の椿井政隆(1770-1837) 『諸系譜』は明治時代に書かれてるのでそれを引用した可能性があるけど、 偽書や偽系図作者の椿井政隆が作った系図を なぜ馬部さんは史実だと思うんだろう? https://t.co/6llwKMvCvF 寛政重修諸家譜(1812年)に寄せたか
椿井文書著者だと云われてる椿井権之助政隆が掲載されてるのは『諸系譜』第3巻で https://t.co/6llwKMvCvF 「帝国図書館蔵」 「大正3年6月16日購求」の判子が押してある。 第一巻の「名古屋控訴裁判所」の用紙の裏表紙直前の記述はなんだろ。https://t.co/6llwKMvCvF 南山郷士士族編入の件とか?
東京国立博物館の明治時代書かれた? 徳川宗敬氏寄贈の諸系譜 https://t.co/Y81H1mjEA6 には椿井家は無いみたい。 椿井政隆作椿井文書関連史料の国立国会図書館で2016年デジタル化された諸系譜には 明治2年椿井萬次郎について書かれてるから明治2年以降の記録。 https://t.co/6llwKMvCvF h
諸系譜の椿井権之助政隆(~1841/01/18) と同じ名前の椿井権之助はご先祖様にもいる https://t.co/Hz9Ab75vsn 。 椿井権之丞政矩は1808年死去で無関係。 でも 維新当時生存の椿井権之丞のお話しでないならこのエピソード自体が嘘になるので、 何を信じていいのかが不明。 椿井文書ややこしい https://t.co/Kj9aqhXNrK
椿井権之丞は政隆で椿井文書作者という。 諸系譜では権之丞は椿井権之助政隆の父親。 でも、 https://t.co/6llwKMvCvF https://t.co/N3rcbobbcv
馬部さんの椿井文書の 椿井政隆(1770-1837) 「平群姓正嫡椿井家系図(『椿井文書』p.19)」の 椿井権之助 政隆は (1770/6/18-1838/01/21) 「寛政重修諸家譜 https://t.co/7CM04OU5qJ 」の椿井政堯(マサタカ)は1770年頃生まれ 「諸系譜 https://t.co/6llwKMvCvF 」の 椿井権之助政隆(~1841/01/18) https://t.co/R8Db73dIqY
椿井文書19頁「平群姓正嫡椿井家系図」では 出生日、家督相続日、大蛇を退治した日はちゃんとした干支が入ってるのに、 大事な命日は「酉」のみ。 「法号 南照院誠誉至頓政隆大徳」は 諸系譜 https://t.co/6llwKMvCvF の「南照院誠(誉)至頓政隆居士」と異なる。 でも非公開だから確認できないな。 https://t.co/CgKXAlCtVj
馬部氏は「郷社三之宮神社古文書伝来之記」の椿井権之丞を直ちに椿井政隆として、これにより椿井文書椿井政隆作説を立てた。 でも「諸系譜 https://t.co/6llwKMvCvF 」では椿井権之丞政矩(~1808/12/27)は 椿井権之助政隆(~1841/01/18庚子壬午)の父。 https://t.co/ai6Y3J3F5U
「郷社三之宮神社古文書伝来之記」三宅,1911に登場する 椿井権之丞が椿井政隆だと馬部さんは言う。 でも諸系譜では椿井権之助政隆の父 https://t.co/6llwKMvCvF 。 浅田家文書でも権之丞、権之助、萬次郎と出てくる。 椿井権之丞=椿井政隆は間違いでは? では椿井文書の作者は誰かな? https://t.co/7LVuOvYRKO
明治時代の『諸系譜』でも 椿井権之丞政矩(~1808/12/27) の子 椿井権之助政隆(~1841/01/18) の子 椿井萬次郎政福。 馬部さんの椿井文書著者椿井政隆は1837年死亡だから、合わない。 椿井政隆とは誰だろう https://t.co/6llwKMvCvF https://t.co/KfvdUyFmay
諸系譜の 椿井権之助政隆は1840年没 https://t.co/6llwKMvCvF 『企画展近江の歴史家群像』栗東歴史民俗博物館,1998の 椿井権之輔は1837年没 『椿井文書』の椿井政隆も。
明治時代の系図に 椿井権之助政隆と 椿井萬次郎の親子 https://t.co/5nqS2kNL2M 。 中村直勝氏が椿井文書販売業者と書いた木津の今井氏かもしれない 今井良政氏が 1913年建立した1892年卒 椿井萬次郎の墓碑(群像2020年11月号,講談社) 実在の人物椿井権之輔と結びついた地点 https://t.co/1cYVDPQVCH
椿井政隆の墓は見つからず明治時代の家系図 https://t.co/5DSrwAgRVU に息子とある 1892年没の椿井萬次郎の墓が 1913年今井良政-三宅氏と王仁博士末裔と書かれた三松氏が三之宮神社古文書類を買い求めた人(共に買った系図で「王仁墳廟来朝記」を椿井文書と鑑定)によって建てられていたそうですね。 https://t.co/StVSdbGbDR
『諸系譜』で椿井萬次郎-政隆親子の家系が示されているけれど、明治2年の記載があるから 明治時代のとても新しい記録。 #椿井文書 https://t.co/5nqS2kNL2M 。
@tonchi_jin 椿井文書の椿井政隆の曾祖父、祖父、父は、椿井庄の名家である椿井家と血縁関係にないようにうちには見えますがあってますか? この系図は本物でしょうか? https://t.co/6llwKMvCvF
@tonchi_jin 息子萬次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M は南山郷士盟主で、士族に編入されました https://t.co/5CVNb4bDF9 。 その根拠とした文書は椿井文書だったのかも。 お家の格式を上げる=パパりん椿井政隆から萬次郎氏への愛のプレゼント? https://t.co/x8Hql1r07L
@tonchi_jin 椿井政隆は木津の今井家と姻親で、 木津の今井家・椿井家が椿井文書をオーダーメイド販売したと中村直勝氏は記録していますが、 息子・萬次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M が南山郷武として士族に編入された https://t.co/5CVNb4bDF9 のを知ったら、喜ばれたかもしれませんね。 https://t.co/MEcslRueCE
@tonchi_jin 馬部氏が椿井文書は木津今井家経由で拡散した椿井政隆作説の根拠にした 『郷社三之宮神社古文書傳来之記』三宅源治郎,1911年の 伝聞の伝聞は、御子息の椿井萬次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M と姻親と思われる今井家 https://t.co/5CVNb4bDF9 がオーダーメイド販売する際の「方便」だと思われます
馬部さんが椿井政隆息子の椿井萬次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M 氏に触れなかったのは、 椿井政隆遺族がゆかりの書画を明治8年以降に木津の今井家へ質入れしたという記述と矛盾するからかな? #椿井文書 https://t.co/2Zm0j8R7m4
南山城郷士へ西洋砲術を教えた三松氏は津田の三宅氏へ 三之宮神社文書類は椿井政隆死後零落した故に木津の今井家へ質入れされたと述べたけど、 政隆の子・萬次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M は南山郷士として士族へ編入されているはず https://t.co/5CVNb4bDF9 では? #椿井文書 https://t.co/PLBd9WoBwf
@TaniYoko 椿井政隆ご子息の椿井萬次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M と同じく 1885年士族へ編入した南山郷士の今井氏が、 彼等へ西洋砲術を教えた三松氏へ販売した文書だったのかも。 家系図類は村人を「郷士」に変えて伝王仁墓周辺の土地(後の陸軍病院)を陸軍で使用する為のプロモーションでは? #椿井文書
椿井政隆の息子の椿井萬次郎は家系図にも書いてある https://t.co/5nqS2kNL2M 。 この家系図が本物かどうかは知らないけど 椿井萬次郎氏は南山郷士として明治18年1885年士族に編入されてるのでは? 椿井文書の遺族が財産を失い政隆氏の書画を木津の椿井家へ質入れって変だよね https://t.co/5CVNb4bDF9
文化五年(1808)没の椿井権之丞政矩 天保十一年(1840)没の椿井権之助政隆 明治二年(1869)禅正?門兵の椿井萬次郎政福 の実在性はいつ誰がどのような方法によって確認したのでしょう? #椿井文書 https://t.co/qgy4EI6G4k https://t.co/5ajiheu78i
@augsburg14 @pririn_ つまり馬部隆弘氏が披露した椿井権之助平群政隆の文書は、この家系図の天保十一年(1840)鬼籍入りの椿井権之助政隆 https://t.co/4BwtZJlQ8Z が著したものと立証されたということですか? #椿井文書
@augsburg14 あなたが参照した椿井氏の家系図は奈良県平群郡の椿井氏の家系図 https://t.co/GPvNbH47om で、馬部隆弘氏の京都府旧山城村椿井の椿井氏ではなく別人 #椿井文書 https://t.co/84hyLFPNPl
@pririn_ ネット上ですぐ確認できるものだと、明治時代の裁判官、中田憲信が全国の系図類を書写した『諸系譜』には椿井家の家系図が見え、椿井権之助政隆とあります。https://t.co/Xjo3rhNETv https://t.co/KnvDfazPPF
@TaniYoko @fushunia 私の専攻は系図だったのでその範疇でお答えいたしますが、偽文書(偽系図)と見破ることは容易に可能です。 例えば、明治時代の裁判官、中田憲信が全国の系図類を書写した『諸系譜』には椿井政隆の家系図が見えますが、カバネも通字も出鱈目な内容で論ずるに値しません。 https://t.co/kdszYvuJJV https://t.co/AAn3x0wg72
何の気なしに国会図書館デジタルコレクションの中田憲信『諸系譜』を眺めていたら、"あの"椿井文書で有名な椿井政隆の家系図が所収されていた。『古代氏族系譜集成』には椿井文書と関係ありそうな系図は全く見えなかったからびっくり。 https://t.co/Sc93qffdz4 https://t.co/iHPxZGerVp

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