8 4 2 2 OA 諸系譜

巻号頁・発行日
vol.第3冊, 1800

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著者不明・明治時代以降の 『諸系譜』 https://t.co/QgOrdqiCru の 椿井権之助政隆の子 椿井萬次郎が 1892年没の墓を今井良政が立てた 椿井万次郎と同一人物なら、 乙亥年十一月 1875年写すのはあり得る。 でも実在するのかしら?椿井文書はクレタ人問題が。 https://t.co/rlW6kFAxav
著者不明で明治時代以降書かれた『諸系譜』の椿井(皆川)権之丞政矩(~1808/12/27,63才) 椿井権之助政隆(廣雄~1841/1/18) 椿井萬次郎政福 https://t.co/6llwKMvCvF と同じ名前の人達が 東京大学所蔵浅田家文書に出てくるけど、 権之丞さんは頼母子掛銀を頼むほど困窮。 椿井文書を書く裕福な家庭には https://t.co/nS2SAayiQ2
明治時代以降著され 1914年帝國図書館が購入した 名古屋控訴裁判所の用紙が第一冊末にある著者不明「諸系譜」に 椿井(皆川)権之丞政矩(~1808/12/27,63才) 椿井権之助政隆(廣雄~1841/1/18) 椿井萬次郎政福 ?? https://t.co/6llwKMvCvF それっぽい人達はいるけど著者不明(悩。 これも椿井文書なら? https://t.co/MCyKfZTM1K
1770年生まれの平群政隆は1838年死亡(平群姓正嫡椿井家系図,新書『椿井文書』(p17))。 諸系譜では1841年死亡 https://t.co/6llwKMvCvF 。 『椿井文書』では椿井政隆1770~1837年である理由がわからない。 1837年死亡の椿井政隆は非存在?? https://t.co/QKIoGPUN65
@hinotomoki2 諸系譜は明治時代の物です https://t.co/6llwKMvCvF。 誰が書いたんでしょう? 第一巻には名古屋控訴裁判所の用紙が https://t.co/XTZAln8wTl 。 作者不明で文字も稚拙。これが椿井文書だったらとか、誰も思わないのかな?
寛政重修諸家譜(1812年) https://t.co/7CM04OU5qJ に寄せて 『平群姓正嫡椿井家系図』を 偽書・椿井文書作者の椿井政隆(1770-1837)は書き、 椿井萬次郎の墓を立てた遠縁の木津の今井家等がそれを引いて 『諸系譜』を書いたかもしれないのに https://t.co/6llwKMvCvF 書いたのかもしれないのに。
『平群姓正嫡椿井家系図』の著者が偽書椿井文書著者の椿井政隆(1770-1837) 『諸系譜』は明治時代に書かれてるのでそれを引用した可能性があるけど、 偽書や偽系図作者の椿井政隆が作った系図を なぜ馬部さんは史実だと思うんだろう? https://t.co/6llwKMvCvF 寛政重修諸家譜(1812年)に寄せたか
椿井文書著者だと云われてる椿井権之助政隆が掲載されてるのは『諸系譜』第3巻で https://t.co/6llwKMvCvF 「帝国図書館蔵」 「大正3年6月16日購求」の判子が押してある。 第一巻の「名古屋控訴裁判所」の用紙の裏表紙直前の記述はなんだろ。https://t.co/6llwKMvCvF 南山郷士士族編入の件とか?
東京国立博物館の明治時代書かれた? 徳川宗敬氏寄贈の諸系譜 https://t.co/Y81H1mjEA6 には椿井家は無いみたい。 椿井政隆作椿井文書関連史料の国立国会図書館で2016年デジタル化された諸系譜には 明治2年椿井萬次郎について書かれてるから明治2年以降の記録。 https://t.co/6llwKMvCvF h
諸系譜の椿井権之助政隆(~1841/01/18) と同じ名前の椿井権之助はご先祖様にもいる https://t.co/Hz9Ab75vsn 。 椿井権之丞政矩は1808年死去で無関係。 でも 維新当時生存の椿井権之丞のお話しでないならこのエピソード自体が嘘になるので、 何を信じていいのかが不明。 椿井文書ややこしい https://t.co/Kj9aqhXNrK
椿井権之丞は政隆で椿井文書作者という。 諸系譜では権之丞は椿井権之助政隆の父親。 でも、 https://t.co/6llwKMvCvF https://t.co/N3rcbobbcv
馬部さんの椿井文書の 椿井政隆(1770-1837) 「平群姓正嫡椿井家系図(『椿井文書』p.19)」の 椿井権之助 政隆は (1770/6/18-1838/01/21) 「寛政重修諸家譜 https://t.co/7CM04OU5qJ 」の椿井政堯(マサタカ)は1770年頃生まれ 「諸系譜 https://t.co/6llwKMvCvF 」の 椿井権之助政隆(~1841/01/18) https://t.co/R8Db73dIqY
椿井文書19頁「平群姓正嫡椿井家系図」では 出生日、家督相続日、大蛇を退治した日はちゃんとした干支が入ってるのに、 大事な命日は「酉」のみ。 「法号 南照院誠誉至頓政隆大徳」は 諸系譜 https://t.co/6llwKMvCvF の「南照院誠(誉)至頓政隆居士」と異なる。 でも非公開だから確認できないな。 https://t.co/CgKXAlCtVj
馬部氏は「郷社三之宮神社古文書伝来之記」の椿井権之丞を直ちに椿井政隆として、これにより椿井文書椿井政隆作説を立てた。 でも「諸系譜 https://t.co/6llwKMvCvF 」では椿井権之丞政矩(~1808/12/27)は 椿井権之助政隆(~1841/01/18庚子壬午)の父。 https://t.co/ai6Y3J3F5U
「郷社三之宮神社古文書伝来之記」三宅,1911に登場する 椿井権之丞が椿井政隆だと馬部さんは言う。 でも諸系譜では椿井権之助政隆の父 https://t.co/6llwKMvCvF 。 浅田家文書でも権之丞、権之助、萬次郎と出てくる。 椿井権之丞=椿井政隆は間違いでは? では椿井文書の作者は誰かな? https://t.co/7LVuOvYRKO
明治時代の『諸系譜』でも 椿井権之丞政矩(~1808/12/27) の子 椿井権之助政隆(~1841/01/18) の子 椿井萬次郎政福。 馬部さんの椿井文書著者椿井政隆は1837年死亡だから、合わない。 椿井政隆とは誰だろう https://t.co/6llwKMvCvF https://t.co/KfvdUyFmay
諸系譜の 椿井権之助政隆は1840年没 https://t.co/6llwKMvCvF 『企画展近江の歴史家群像』栗東歴史民俗博物館,1998の 椿井権之輔は1837年没 『椿井文書』の椿井政隆も。
明治時代の系図に 椿井権之助政隆と 椿井萬次郎の親子 https://t.co/5nqS2kNL2M 。 中村直勝氏が椿井文書販売業者と書いた木津の今井氏かもしれない 今井良政氏が 1913年建立した1892年卒 椿井萬次郎の墓碑(群像2020年11月号,講談社) 実在の人物椿井権之輔と結びついた地点 https://t.co/1cYVDPQVCH
椿井政隆の墓は見つからず明治時代の家系図 https://t.co/5DSrwAgRVU に息子とある 1892年没の椿井萬次郎の墓が 1913年今井良政-三宅氏と王仁博士末裔と書かれた三松氏が三之宮神社古文書類を買い求めた人(共に買った系図で「王仁墳廟来朝記」を椿井文書と鑑定)によって建てられていたそうですね。 https://t.co/StVSdbGbDR
『諸系譜』で椿井萬次郎-政隆親子の家系が示されているけれど、明治2年の記載があるから 明治時代のとても新しい記録。 #椿井文書 https://t.co/5nqS2kNL2M 。
@tonchi_jin 椿井文書の椿井政隆の曾祖父、祖父、父は、椿井庄の名家である椿井家と血縁関係にないようにうちには見えますがあってますか? この系図は本物でしょうか? https://t.co/6llwKMvCvF
@tonchi_jin 息子萬次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M は南山郷士盟主で、士族に編入されました https://t.co/5CVNb4bDF9 。 その根拠とした文書は椿井文書だったのかも。 お家の格式を上げる=パパりん椿井政隆から萬次郎氏への愛のプレゼント? https://t.co/x8Hql1r07L
@tonchi_jin 椿井政隆は木津の今井家と姻親で、 木津の今井家・椿井家が椿井文書をオーダーメイド販売したと中村直勝氏は記録していますが、 息子・萬次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M が南山郷武として士族に編入された https://t.co/5CVNb4bDF9 のを知ったら、喜ばれたかもしれませんね。 https://t.co/MEcslRueCE
@tonchi_jin 馬部氏が椿井文書は木津今井家経由で拡散した椿井政隆作説の根拠にした 『郷社三之宮神社古文書傳来之記』三宅源治郎,1911年の 伝聞の伝聞は、御子息の椿井萬次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M と姻親と思われる今井家 https://t.co/5CVNb4bDF9 がオーダーメイド販売する際の「方便」だと思われます
馬部さんが椿井政隆息子の椿井萬次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M 氏に触れなかったのは、 椿井政隆遺族がゆかりの書画を明治8年以降に木津の今井家へ質入れしたという記述と矛盾するからかな? #椿井文書 https://t.co/2Zm0j8R7m4
南山城郷士へ西洋砲術を教えた三松氏は津田の三宅氏へ 三之宮神社文書類は椿井政隆死後零落した故に木津の今井家へ質入れされたと述べたけど、 政隆の子・萬次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M は南山郷士として士族へ編入されているはず https://t.co/5CVNb4bDF9 では? #椿井文書 https://t.co/PLBd9WoBwf
@TaniYoko 椿井政隆ご子息の椿井萬次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M と同じく 1885年士族へ編入した南山郷士の今井氏が、 彼等へ西洋砲術を教えた三松氏へ販売した文書だったのかも。 家系図類は村人を「郷士」に変えて伝王仁墓周辺の土地(後の陸軍病院)を陸軍で使用する為のプロモーションでは? #椿井文書
椿井政隆の息子の椿井萬次郎は家系図にも書いてある https://t.co/5nqS2kNL2M 。 この家系図が本物かどうかは知らないけど 椿井萬次郎氏は南山郷士として明治18年1885年士族に編入されてるのでは? 椿井文書の遺族が財産を失い政隆氏の書画を木津の椿井家へ質入れって変だよね https://t.co/5CVNb4bDF9
文化五年(1808)没の椿井権之丞政矩 天保十一年(1840)没の椿井権之助政隆 明治二年(1869)禅正?門兵の椿井萬次郎政福 の実在性はいつ誰がどのような方法によって確認したのでしょう? #椿井文書 https://t.co/qgy4EI6G4k https://t.co/5ajiheu78i
@augsburg14 @pririn_ つまり馬部隆弘氏が披露した椿井権之助平群政隆の文書は、この家系図の天保十一年(1840)鬼籍入りの椿井権之助政隆 https://t.co/4BwtZJlQ8Z が著したものと立証されたということですか? #椿井文書
@augsburg14 あなたが参照した椿井氏の家系図は奈良県平群郡の椿井氏の家系図 https://t.co/GPvNbH47om で、馬部隆弘氏の京都府旧山城村椿井の椿井氏ではなく別人 #椿井文書 https://t.co/84hyLFPNPl
@pririn_ ネット上ですぐ確認できるものだと、明治時代の裁判官、中田憲信が全国の系図類を書写した『諸系譜』には椿井家の家系図が見え、椿井権之助政隆とあります。https://t.co/Xjo3rhNETv https://t.co/KnvDfazPPF
@TaniYoko @fushunia 私の専攻は系図だったのでその範疇でお答えいたしますが、偽文書(偽系図)と見破ることは容易に可能です。 例えば、明治時代の裁判官、中田憲信が全国の系図類を書写した『諸系譜』には椿井政隆の家系図が見えますが、カバネも通字も出鱈目な内容で論ずるに値しません。 https://t.co/kdszYvuJJV https://t.co/AAn3x0wg72
何の気なしに国会図書館デジタルコレクションの中田憲信『諸系譜』を眺めていたら、"あの"椿井文書で有名な椿井政隆の家系図が所収されていた。『古代氏族系譜集成』には椿井文書と関係ありそうな系図は全く見えなかったからびっくり。 https://t.co/Sc93qffdz4 https://t.co/iHPxZGerVp

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