13 0 0 0 OA 諸系譜

巻号頁・発行日
vol.第3冊, 1800

言及状況

外部データベース (DOI)

Twitter (13 users, 138 posts, 16 favorites)

『続浪華郷友録』椿井廣雄権之輔 https://t.co/1cYVDPzSAH 『諸系譜』椿井権之助政隆 https://t.co/6llwKMNLJN
現在の飯田家文書=飯田家へ譲渡された今井家所蔵古文書群ほぼ全て=椿井権之丞が幕末興福寺から持ち出し質入れされたと1911年書かれた古文書=中田憲信『諸系譜』でメモされた椿井万次郎父・政隆 https://t.co/6llwKMNLJN 作椿井文書=『續浪華郷友録』の椿井広雄(権之輔) https://t.co/1cYVDPzSAH を証明 https://t.co/96VNm8NEQn
その鈴木眞年の弟子の中田憲信が、椿井文書の椿井政隆の系図をメモに残した https://t.co/6llwKMNLJN 。 面白いけれど、不思議だね。 https://t.co/mOwSNE32Wh
鈴木眞年の『百家系図』に「○小堀〔藤原氏秀郷流(内藤・椿井)〕」 「○百済王三松氏系譜○〔百済王後裔系図〕」 https://t.co/EgmHR0RH4B 中田憲信『諸系譜 https://t.co/6llwKMNLJN 』に椿井文書の椿井政隆の系図。 中田も鈴木も椿井政隆息子萬次郎も弾正台勤務 https://t.co/4Sd5SlYxNo https://t.co/ICaX0N5jFN
もしかしたら椿井文書の系図系の仕事は 寛政重脩諸家譜(1789年 - 1801年)編者の 屋代弘賢の弟子筋の栗原信充→鈴木眞年→中田憲信達の仕事かも 「○小堀〔藤原氏秀郷流(内藤・椿井)〕」 百家系図,鈴木眞年 https://t.co/EgmHR0RH4B 『諸系譜』椿井家系図 https://t.co/6llwKMNLJN https://t.co/w2c5PjTdog
『世継神社縁起之事 https://t.co/I0zpJxK7wh 』が江戸末期の 椿井政隆(1770-1837) https://t.co/6llwKMNLJN 作の椿井文書なら、 江戸末期の書式「年号-数字-干支-年(歳)」のはずだけど古い形式だった。 近江町史P.125には写しとあるみたいだし、まだ椿井文書と鑑定するには早いかも。 https://t.co/EyLSqFz9NF
寛政重修諸家譜を編集した屋代弘賢の弟子・栗原信充の弟子・鈴木眞年と中田憲信の編した『諸系譜』(マイクロフィルム版「諸家系図史料集」解題目録P.94-99)には椿井村に父・祖父・曾祖父が養子の 椿井政隆(椿井文書作者と馬部隆弘先生が主張する)が登場する https://t.co/6llwKMvCvF 椿井文書メモ
古市胤勝は椿井家系図(諸系譜,中田憲信編,1895~1910) https://t.co/12T4ahYRoH や 古市氏系図,西坊義信,2012 https://t.co/u7xI4PuuXN | https://t.co/nBNnKHoYrk 以外にも出てくる実在の人物なのだろうか? もし非実在なら、この両方の記録に出てくるのはなぜだろう? 椿井文書メモ
古市胤勝は椿井家系図(諸系譜,中田憲信編,1895~1910) https://t.co/12T4ahYRoH にも 古市氏系図,西坊義信,2012 https://t.co/u7xI4PuuXN | https://t.co/nBNnKHoYrk にも書いてある。 古市氏系図で古市胤勝は「藤孝」ともあるけど、 古市藤孝の写譜した事はあるもののその正体は不 椿井文書メモ https://t.co/puhfTCWhWM
『諸系譜』中田憲信編,1895~1910 https://t.co/0mrh4tgofA と 『古市氏系図』西坊義信,2012 https://t.co/lE7uEqrJXF は 古市胤栄の子の古市胤勝&西坊胤清兄弟で合致するはずなのか。 椿井文書メモ https://t.co/klanOWnGbD
古市胤栄の末裔の滋賀県大津市の西坊義信さんが出版した 『古市氏系図』 https://t.co/l6Btvd0Seq に出てくる 古市胤勝と 中田憲信編『諸系譜』の古市胤勝 https://t.co/6llwKMNLJN 。 もし史実なら 椿井政隆と西坊胤昌は同祖で『諸系譜』は信頼ある史料となれるかも。 椿井文書メモ https://t.co/3OGKrTUHUR
諸系譜によると馬部先生が椿井文書著者と主張する椿井政隆の父・祖父・曾祖父は養子で、曾祖父は母も不明だから、椿井家先祖の血を引いてない https://t.co/6llwKMNLJN 。 諸系譜編者の中田の師の鈴木の師の栗原の師の屋代が編した寛政重脩諸家譜によると椿井家の血を引いてるのは内藤正興の末裔。 https://t.co/fTPeM3FEMJ
椿井文書著者かもしれない椿井政隆の父・祖父・曽祖父は養子だけどそれらの家と椿井家の親族関係が見えず、 祖父は椿井家の子女との婚姻もない珍しい3連。 https://t.co/6llwKMNLJN それでも1911年三宅源治郎が記録した伝聞の伝聞の伝聞が史実だと証明出来たら椿井文書著者は政隆の可能性は上がる
@historian_chop 椿井文書作者かもしれない 椿井政隆の祖父の養子の椿井助舎の母が不明になってませんか? https://t.co/QgOrdq1zpu
中田憲信編『諸系譜』(1895~1910頃) https://t.co/6llwKMNLJN の 椿井政隆のパパ、祖父、曾祖父は養子。 寛政重修諸家譜を見てると三連で養子はあまり見なかった。 最初にここに不可解さを感じる。 椿井文書メモ https://t.co/Fw8hkfJ21Q
2人の椿井まさたかは同年代同祖。 御書院番椿井政堯 椿井文書作者かもしれない椿井政隆。 寛政重修諸家譜 https://t.co/GiWzzzWfIb に書かれた椿井村の定房の子孫へ当て嵌め士族編入する為に明治時代に 諸系譜の椿井家系図が https://t.co/6llwKMNLJN 作られたとしたら? https://t.co/PLMCz7fBzL
中田憲信・鈴木真年編『諸系譜』 https://t.co/6llwKMNLJN では椿井政隆は 「椿井懐膜」。 政隆と懐英とを結び付けるるかもしれない『平群姓正嫡椿井家系図』(P.19,椿井文書)は 昭和48年平群町春日神社へ扁額を奉納した 椿井一見氏が著したものを 小林凱之氏が翻刻した物(日本史研究709号P.48)だにゃ
南山郷士人数書(大西家文書)の 椿井官務侍従懐樹入道末孫  椿井万次郎 https://t.co/5CVNb4tMTh と 『諸系譜』の椿井萬次郎政福は 懐樹(椿井越前房政)が共通してるから同一人物かも。 https://t.co/25Pl66XpWX 御墓の椿井万次郎平群政辰(~1892)群像2020年11月号は同一人物?? 椿井文書メモ https://t.co/nSAbUpoy16
2007年岐阜県在住の椿井由洋氏を名乗る方が平群町へ持ち込んだ 椿井政隆著の系図が含まれる 尾張椿井家文書なる古文書が 明治28年以降編で1914年帝國図書館へ収蔵された『諸系譜 https://t.co/pNLFQSigQz 』を元に書かれた可能性を棄却できたらいいのにね。 中村直勝は岐阜も椿井文書 椿井文書記録 https://t.co/ySNzd35WTP
中田憲信他編の『諸系譜』の椿井氏の系図は 明治2年の記載があるから https://t.co/5nqS2kwI0M 明治2年以降の記録。 『諸系譜』自体は第33冊荒木家系図に明治28年(1895)4月1日の記載があるのでそれ以降の編集 https://t.co/qLnwc5PTCc 。 もしも、 椿井文書メモ https://t.co/CzmmEnRTRN
南龍堂の「名」は廣雄だからhttps://t.co/y4bGxVvVPi、 椿井政隆https://t.co/fbjKNK62N2とは別人では? ○椿井文書 https://t.co/vF2NO9gskV
証明すべきは「郷社三之宮神社古文書伝来之記」(1911)三宅源治郎に書かれた “幕末椿井権之丞が興福寺から持出し明治8年今井良政へ質入れされた古文書” は、実は『諸系譜 https://t.co/6llwKMNLJN 』の椿井権之助政隆作という点なのに 質入れの証明作者の証明を 忘れてない? 椿井文書メモ
証明するべきは『続浪華郷友録(1823) https://t.co/1cYVDPzSAH 』 の 姓:椿井+名:廣雄+字:應龍さんと 中田憲信他編『諸系譜(1895-1914) https://t.co/6llwKMNLJN 』の 姓:椿井+名:政隆+字:権之助 が同一人物という点だけでなく 椿井文書メモ
椿井家系図の『諸系譜』を編した 中田憲信は『南方遺胤』によると1835年生まれで 1869年5月に上京し9月から弾正台に出仕拝命。彼の系図学の師・鈴木真年も弾正台へ https://t.co/4Sd5SlYxNo 。 椿井政隆の息子萬次郎も弾正台勤務 https://t.co/5nqS2kwI0M で接点はここに。そして 椿井文書メモ
弾正台椿井萬次郎 https://t.co/5nqS2kwI0M とある『諸系譜』を編した中田憲信は 弾正台の系譜編纂担当で東京帝大でも務めた鈴木眞年の弟子。 鈴木の師・栗原信充は平田篤胤の弟子で『古今要覧』調査に加わる。 「百済王三松氏系譜」を書し鈴木が『百家系図』へと編じた。 椿井文書メモ
@historian_chop 『続浪華郷友録(1823) https://t.co/1cYVDPzSAH 』の 姓:椿井+諱:廣雄+字:應龍と 姓:椿井+諱:政隆+字:権之助(交名:広雄) はやっぱり別人では? 『諸系譜(1895-1914) https://t.co/6llwKMNLJN 』 椿井文書メモ https://t.co/tu5srXM9nO
『続浪華郷友録(1823) https://t.co/1cYVDPzSAH 』の 姓:椿井+諱:廣雄+字:應龍 (南龍堂 椿井権之輔) と 『諸系譜(1895-1914) https://t.co/6llwKMNLJN 』の 姓:椿井+諱:政隆+字:権之助(交名:広雄) と 昭和時代の椿井一見筆・小林凱之(椿井文書P.66)翻刻『平群姓正嫡椿井家系図』 はやっぱ別人 https://t.co/69BMHXNZk3
江戸時代の名前がよく解らないです。 『続浪華郷友録 https://t.co/1cYVDPzSAH 』の 姓:椿井+諱:廣雄+字:應龍 と 『諸系譜 https://t.co/6llwKMNLJN 』の 姓:椿井+諱:権之助+字:政隆 は、別人ではないのですか? 椿井文書メモ https://t.co/8lieeW0vnL
『諸系譜 https://t.co/5nqS2kwI0M 』(1895-1914)の椿井権之助政隆が『続浪華郷友録』の椿井廣雄應龍で、 中村直勝の明治時代製造販売された椿井文書の正体は彼が作った古文書が明治8年頃質入れされた物だと 三宅源治郎が1911年『郷社三之宮神社古文書傳来之記』に記載された伝聞によって云う。
弾正台で勤務した椿井萬次郎 https://t.co/5nqS2kwI0M が手ほどきを受けたのは 維新の際に弾正台に属して系譜編纂事業に就いていた鈴木眞年(元々は紀州徳川家下後に東京帝大)だろうな。 椿井家系図がある『諸系譜』編者の中田憲信(南朝末裔を自称)も鈴木眞年から手ほどきを受けている。椿井文書メモ https://t.co/hDjMdIZYSq
『平群姓正嫡椿井家系図』の著者だと馬部先生の云う 椿井政隆(1770-1837)の曾孫・一見は、 政隆の子・萬次郎 https://t.co/5DSrwzZOTU (~明治25年=1892年(群像,75巻11号))の孫だから戦前の昭和世代ね。 なぜ新書・椿井文書では所蔵先や著者名を書かなかったのかしら? https://t.co/RxUcSsdYPP
『寛政重修諸家譜 https://t.co/GiWzzzWfIb 』の 内藤正勝(~永禄11年3月15日)が 中田憲信(~1910年)編『諸系譜 https://t.co/fSlnJkDjqx 』では 「椿井加賀政勝(~永禄11年3月15日)」 になってる。 椿井文書メモ https://t.co/oS4WX2tSfr
『諸系譜 https://t.co/QgOrdq1zpu 』の「椿井権之助政隆」 が作成した系図が 『寛政重修諸家譜 https://t.co/y7akGD7cww 』(1799-1812)へ影響し 祖先・内藤定房(政定)が長男で政吉は三男としたのに 政隆さんご自身を『寛政重修諸家譜』へ書き加えなかった理由とはなんでしょう? 椿井文書記録 https://t.co/MXadxjnZUO
中田憲信が編した『諸系譜』を信じないと、 『諸系譜 https://t.co/6llwKMNLJN 』の「椿井権之助政隆」 は 『寛永諸家系図伝 https://t.co/2EiChfR6OJ 』や 『寛政重修諸家譜 https://t.co/GiWzzzWfIb 』の内藤家から分家した椿井家末裔にはならない。 信用していいのだろうか? 椿井文書メモ
南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信が編した『諸系譜』の「椿井権之助政隆」 https://t.co/6llwKMNLJN は、 『寛政重修諸家譜 https://t.co/GiWzzzWfIb 』にも『寛永諸家系図伝』にも出て来ない。 彼の父も祖父も曾祖父も養子。 彼は本当に藤原家傍流内藤家分家の椿井家の子孫なのだろうか?
南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信のメモ・諸系譜にある椿井家系図 https://t.co/6llwKMvCvF は、 21世紀の歴史学者にまだ信用されている。 とてもおもしろいね。 椿井文書メモ https://t.co/AIJZE1P7E9
1792年『淡海木間攫』(近江史料シリーズ 7,滋賀県地方史研究家連絡会∥編集,滋賀県立図書館,1990)を削除するなら、 国立国会図書館が2017年3月14日から公開した椿井家系図等の 南朝後村上天皇第18世孫を自称する 中田憲信の【メモ書き】、『諸系譜 https://t.co/6llwKMvCvF 』の方が。 椿井文書メモ https://t.co/7XsmlxYzBb
江戸時代の南龍堂・椿井権之輔も古文書蒐集や書画作成してる。 中田憲信のメモ・諸系譜の椿井家系図の椿井権之助政隆が彼に該当するのか、 萬次郎が作ったかはわからないけど https://t.co/6llwKMvCvF 明治時代、社格制度をビジネスチャンスに椿井文書を量産販売した木津の今井氏もあったのかも https://t.co/28KeMCQXMx
南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信が筆写した諸系譜の椿井政隆の子萬次郎は 明治2年弾正台門兵と書く https://t.co/fbjKNKn5P2 。 彼は南朝後醍醐天皇の元へ馳せ参じ、京都府士族へ編入された【南山郷士】だという https://t.co/ycmc6K8wuG 。○椿井文書
しかしまだその学説は実証されておらず、 1770年誕生でかつ 1837年死去した椿井政隆の実在性も不明。 1838年死去した椿井権之助政隆の系図は南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信が筆写した『諸系譜』にあるけど信憑性不明 https://t.co/fbjKNKn5P2 諸系譜の椿井政隆の子萬次郎は ○椿井文書
@gismotromix @inside_out_out 椿井萬次郎作と思われる椿井家系図冒頭の神話の部分が史実であるなら、 平群姓もあるのかもしれませんが、これも椿井文書なのでしょうからわからない https://t.co/DzGrH8P9qX
弾正台門番を務めた 南朝後醍醐天皇の元へ参じた南山郷士の盟主として名前を連ねた 椿井万次郎 https://t.co/5CVNb4bDF9 の系図に興味を抱き筆写する https://t.co/5nqS2kNL2M のは自然で 続浪華郷友録の南龍堂 https://t.co/1cYVDPQVCH と椿井万次郎と父・椿井権之助政隆を同一人物と 椿井文書メモ
>先祖である後醍醐天皇の元へ馳せ参じた南山郷士盟主の椿井万次郎 https://t.co/1Q8nCkCuRx の系図 https://t.co/SZIEJvByY6 を筆写する動機が生じるか否か。 だから、中田が万次郎が南山郷士の盟主であると知ることができたという史料的根拠がないと何度も言っているのだが。
今問題になっているのは 南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信が 先祖である後醍醐天皇の元へ馳せ参じた 南山郷士盟主の椿井万次郎 https://t.co/ycmc6K8wuG の系図 https://t.co/DzGrH8P9qX を筆写する動機が生じるか否か。 南龍堂と万次郎父(椿井文書作者と馬部氏の云う)の同一視が生じる。 https://t.co/qvztwNtC0Q
>『諸系譜 https://t.co/SZIEJvByY6 』で南龍堂 https://t.co/8kUs8hcvsL と同一人物の足利尊氏に仕えた先祖を持つ椿井万次郎と父・椿井権之助政隆を作り 「諸系譜」には椿井政隆の先祖が足利尊氏に仕えたとは書かれていないが。
『諸系譜 https://t.co/DzGrH8P9qX 』で 南龍堂 https://t.co/y4bGxVdMBa と同一人物の 足利尊氏に仕えた先祖を持つ 椿井万次郎と父・椿井権之助政隆を作り 椿井権之助政隆を椿井文書作者とすれば 中村直勝が記録した椿井文書オーダーメイド販売も南龍堂作文書販売にできる。 https://t.co/CfTT3XdCpH
『諸系譜』を信頼する立場でのみ 諸系譜の椿井村の椿井萬次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M は 田中淳一郎氏の南山郷士の椿井村の椿井万次郎で 諸系譜の萬次郎の父・椿井権之助政隆は 上狛に椿井村が含まれる時代が合致するなら 上狛の南龍堂 https://t.co/1cYVDPQVCH かも。 椿井文書メモ https://t.co/Y8a6iEoQIb
南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信筆写の『諸系譜』の 1841年死亡した椿井権之助政隆 https://t.co/6llwKMvCvF と 藤本孝一先生が報告した『高麗大寺図』鋪の椿井応龍子正群政隆であろう續浪華郷友録,1823の「廣雄-椿井権之輔」 https://t.co/1cYVDPQVCH の同一性がわからない 椿井文書メモ https://t.co/qTh2qPFoSF
藤本孝一先生が椿井文書かもという『高麗大寺図』鋪の椿井応龍子正群政隆である 續浪華郷友録,1823の「廣雄-椿井権之輔」 https://t.co/1cYVDPQVCH と 南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信筆写の『諸系譜』の 1841年死亡した椿井権之助政隆 https://t.co/6llwKMvCvF が同一人物かが不明で、
>椿井権之助政隆と萬次郎の親子関係を示すのは中田憲信筆写『諸系譜 https://t.co/wNTFOHA9Ld 』のみでは? 「諸系譜」が「ファンタジー」だという根拠を示すべきである。
田中淳一郎氏は椿井萬次郎は椿井権之輔の子かと思われると書いているけど断定はしておらず、 椿井権之輔を椿井政隆(1770-1837)とは書いていない。 椿井権之助政隆と萬次郎の親子関係を示すのは中田憲信筆写『諸系譜 https://t.co/QgOrdqiCru 』のみでは? https://t.co/p9LmY2np9l 椿井文書 https://t.co/cm36jm0eWR
ようは南朝後村上天皇第18世孫と名乗ってた中田憲信がメモして 2017年国立国会図書館がネット公開した『諸系譜』 https://t.co/QgOrdqiCru の椿井家系図を信じるか信じないかでは? 椿井萬次郎が南山郷士 https://t.co/p9LmY2np9l で中田憲信が後村上天皇第18世孫。 後醍醐天皇好き~系サークル活動? https://t.co/cy6egwvf1G
国立国会図書館が2017年3月ネット公開した 南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信が筆写した『諸系譜』 https://t.co/5nqS2kNL2M では 椿井権之助政隆の子は萬次郎政福、父は権之丞だけど、 信頼性が低いと指摘する声がある。 椿井文書メモ https://t.co/0kq4zFVMUz
2005年論文の椿井権之丞が幕末興福寺から持出し今井家へ質入れした古文書は実は椿井政隆(1770-1837)作椿井文書説の根拠は書いてなかったけど、 2017年国立国会図書館が公開した諸系譜 https://t.co/5nqS2kNL2M では政隆の父の名とわかるものの、 系図に信頼性が無いとい https://t.co/UixY6d9mek
椿井政隆親族の小林凱之氏と同姓同名の方が 京都府立図書館の会報(会報,京都府図書館等連絡協議会,No.46,平成10年8月15日)に掲載されてる。 2017年3月14日南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信が筆写した『諸系譜』 https://t.co/6llwKMvCvF 公開。 2005年論文の椿井権権之丞と政隆がつながる
椿井文書の椿井政隆が椿井権之丞と関係する根拠は『諸系譜』らしいけど、 それは南朝後村上天皇第18世孫を自称する中田憲信が筆写した物で、国立国会図書館が2017年3月14日公開した物。 https://t.co/6llwKMvCvF
そこに現れた、明治時代の南朝・後村上天皇18代孫と名乗る https://t.co/WYp6QCPXg7 、 中田憲信と 彼が筆写した椿井政隆の家系図 https://t.co/6llwKMvCvF 。 不思議の世界。中田憲信さんは自分が明治天皇に替われる存在だと、思ってたりしたのかな?(^▽^;)
田中淳一郎『狛文書の概要』 https://t.co/mf2ogHgPIH 。 上狛といえば東京大学経済学部図書館文書室所蔵『浅田家文書』で 諸系譜 https://t.co/5nqS2kNL2M に出てくる 椿井権之丞、 椿井権之助、 椿井村椿井萬次郎の名前が出てくる。 https://t.co/3cAvGPnQWm https://t.co/mEYopKgN7f
椿井文書の椿井政隆の子と『諸系譜』に書いてる万次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M は、明治時代始めに記録に出て来てすぐ消える https://t.co/5CVNb4bDF9 という https://t.co/0kq4zFVMUz 。 でも、
椿井権之丞は椿井文書の椿井政隆の先祖だと 南朝後村上天皇第18世孫を自称する https://t.co/WYp6QCPXg7 中田憲信が筆写した『諸系譜』に書いてる https://t.co/6llwKMvCvF けど信頼が低いらしく https://t.co/0kq4zFVMUz
椿井文書論文107頁の、興福寺から古文書を持ち出し木津の今井家へ質入れした椿井権之丞の椿井家は、 南龍堂こと椿井権之輔政隆を輩出した家と書いてある根拠が書いていないのですが、 もしかして後村上天皇第18代後胤を自称する中田憲信筆写の『諸系譜』 https://t.co/fbjKNKn5P2 が根拠でしょうか? https://t.co/PpbNMaKhUw
107頁の、興福寺から古文書を持ち出し木津の今井家へ質入れした今井権之丞の椿井家は、 南龍堂こと椿井権之輔政隆を輩出した家と書いてある根拠が書いていないのですが、 もしかして後村上天皇第18代後胤を自称する中田憲信筆写の『諸系譜 https://t.co/fbjKNKn5P2 』が根拠でしょうか? https://t.co/PpbNMaKhUw
@augsburg14 失礼します。 椿井家系図を典拠に 椿井権之助政隆やその息子 椿井萬次郎政福が 父・祖父の椿井権之丞を名乗っていたと 主張する説があります。 先祖の藤原右将中懐房の近江伊香大蛇退治は 椿井政隆作『平群姓正嫡椿井家系図』と同じ童話ですが 椿井文書が出典でしょうか? https://t.co/hDoZ4oEEAK
@pat_1308 こちらがその中田憲信が筆写したといわれる「諸系譜」の、椿井文書の椿井政隆の記載です。 https://t.co/fbjKNKn5P2 https://t.co/FXh3T7ulW9 名古屋控訴裁判所の用紙が使用されたページもあります https://t.co/JxNUHkHtGj
@pririn_ 『諸系譜』の椿井政隆ご先祖の椿井三河政定(藤千代丸) https://t.co/CVV6FHBdU4 が 『寛政重修諸家譜』の伊香郡数十邑を与えられた 内藤定房(藤千代丸) https://t.co/y7akGDofyw なのね。 3代の養子の後の椿井文書の椿井政隆は藤原家末裔 https://t.co/QgOrdqiCru で大蛇退治のヒーローである、と。
@pririn_ 『諸系譜』の椿井政隆ご先祖の椿井三河政定(藤千代丸) https://t.co/CVV6FHBdU4 が 『寛政重修諸家譜』の伊香郡数十邑を与えられた 内藤定房(藤千代丸) https://t.co/y7akGDofyw なのね。 3代の養子の後の椿井文書の椿井政隆は藤原家末裔 https://t.co/QgOrdqiCru で大蛇退治のヒーローである、と。
『平群姓正嫡椿井家系図』の椿井政隆?の大蛇退治も、 『諸系譜』の椿井政隆の先祖の藤原右将中懐房近江伊香大蛇退治 https://t.co/vHbUsf5Nvh も、 『寛政重修諸家譜』内藤定房が椿神社がある伊香郡数十邑を与えられた逸話 https://t.co/GiWzzzE6u3 を元にしたおとぎ話で創作話のお遊びでは?椿井文書
南朝・後村上天皇第17代と自称する裁判官・中田憲信 https://t.co/RvmjxouT13 が書写した『諸系譜 https://t.co/QgOrdqiCru 』や、 偽作古文書・椿井文書の作者の椿井政隆が書いた系図『平群姓正嫡椿井家系図』って、信用してもいいものなの? https://t.co/07v7X7m3qY
南朝・後村上天皇第17代と自称する裁判官・中田憲信 https://t.co/7fr5GlYvQs が『諸系譜』を書写。 椿井文書の椿井政隆親子を三代の養子を挟むことにより https://t.co/6llwKMvCvF 藤原家傍流内藤家の椿井家 https://t.co/GiWzzzE6u3 へつないだ誰かの意図とはなんでしょう? https://t.co/qP5Jx01lT9
@historian_chop はまね様(augsburg14)より偽作された系図であるとは聴きましたが、 作者は特にお聞きしておりません。 どちら様が作者なのでしょう? なぜ『諸系譜 https://t.co/QgOrdqiCru 』を史料として使用するのかがわかりません。 それなくして椿井文書の椿井政隆と椿井萬次郎は繋がらないけれど。
『諸系譜 https://t.co/QgOrdqiCru 』が存在しないと南山郷士として士族に編入したという 椿井文書作者らしい椿井政隆の息子・万次郎は、 藤原家支流内藤家の裔の椿井家の家系図と繋がらないのだから、 つなげる為に作ったのか?と疑うのが筋では https://t.co/TVRmkBMeTn
南山郷士の椿井萬次郎さんが何者かは、 謎の系図『諸系譜 https://t.co/QgOrdqiCru 』がないと不明。 『諸系譜』が椿井文書の椿井政隆の息子・万次郎を『寛政重修諸家譜』の藤原家傍流椿井家へ結び付けます。 本貫か現住所かを判断するのにはここから論じないと。 https://t.co/jRKD9jNS67
椿井文書の椿井政隆の子・椿井萬次郎の状況が書かれた https://t.co/QgOrdqiCru 、 誰が書いたか、どこで所蔵されていたのかわからない 明治時代筆写され、 名古屋控訴裁判所の用紙が使用された https://t.co/BcKyMRyhqe 1914年国会図書館が購入した https://t.co/NU1N15V6C8 『諸系譜』 https://t.co/MpxbUGI07w
椿井文書の椿井政隆の子・椿井萬次郎の状況が書かれた https://t.co/QgOrdqiCru 、 誰が書いたか、どこで所蔵されていたのかわからない 明治時代筆写され、 名古屋控訴裁判所の用紙が使用された https://t.co/BcKyMRyhqe 1914年国会図書館が購入した https://t.co/NU1N15V6C8 『諸系譜』 https://t.co/MpxbUGI07w
維新当時の椿井庄に、椿井文書の作者の椿井政隆(1770-1837)の父・権之丞 https://t.co/6llwKMvCvF と同じ名前の 椿井権之丞さんが存在しなかった根拠のtweetとはどちらになられるのですか? https://t.co/6AWahIEQI2
馬部さんが椿井文書で引用された『諸系譜』 https://t.co/QgOrdqiCru では 椿井権之丞は椿井政隆の父です。 維新の頃興福寺から古文書を持ち出した椿井権之丞は椿井政隆の子孫ではありません。 たまたま政隆の父と同名の椿井さんが維新の頃いたか、誰かの作話か、他か。 https://t.co/HEPZJcaVqq
@historian_chop @nemurikappa ・1770年生まれて1838年死亡した平群政隆(平群姓正嫡椿井家系図)椿井文書p.17 ・1841年死亡した椿井権之助政隆(諸系譜 https://t.co/6llwKMvCvF ) ・1770年頃生まれた椿井右馬助平群懐暎胤政(興福寺元衆徒中御門系圖(写) ) https://t.co/9kCo5y9A0X 1837年亡くなった椿井文書の椿井政隆はいない
著者不明・明治時代以降の 『諸系譜』 https://t.co/QgOrdqiCru の 椿井権之助政隆の子 椿井萬次郎が 1892年没の墓を今井良政が立てた 椿井万次郎と同一人物なら、 乙亥年十一月 1875年写すのはあり得る。 でも実在するのかしら?椿井文書はクレタ人問題が。 https://t.co/rlW6kFAxav
著者不明で明治時代以降書かれた『諸系譜』の椿井(皆川)権之丞政矩(~1808/12/27,63才) 椿井権之助政隆(廣雄~1841/1/18) 椿井萬次郎政福 https://t.co/6llwKMvCvF と同じ名前の人達が 東京大学所蔵浅田家文書に出てくるけど、 権之丞さんは頼母子掛銀を頼むほど困窮。 椿井文書を書く裕福な家庭には https://t.co/nS2SAayiQ2
明治時代以降著され 1914年帝國図書館が購入した 名古屋控訴裁判所の用紙が第一冊末にある著者不明「諸系譜」に 椿井(皆川)権之丞政矩(~1808/12/27,63才) 椿井権之助政隆(廣雄~1841/1/18) 椿井萬次郎政福 ?? https://t.co/6llwKMvCvF それっぽい人達はいるけど著者不明(悩。 これも椿井文書なら? https://t.co/MCyKfZTM1K
1770年生まれの平群政隆は1838年死亡(平群姓正嫡椿井家系図,新書『椿井文書』(p17))。 諸系譜では1841年死亡 https://t.co/6llwKMvCvF 。 『椿井文書』では椿井政隆1770~1837年である理由がわからない。 1837年死亡の椿井政隆は非存在?? https://t.co/QKIoGPUN65
@hinotomoki2 諸系譜は明治時代の物です https://t.co/6llwKMvCvF。 誰が書いたんでしょう? 第一巻には名古屋控訴裁判所の用紙が https://t.co/XTZAln8wTl 。 作者不明で文字も稚拙。これが椿井文書だったらとか、誰も思わないのかな?
椿井文書著者だと云われてる椿井権之助政隆が掲載されてるのは『諸系譜』第3巻で https://t.co/6llwKMvCvF 「帝国図書館蔵」 「大正3年6月16日購求」の判子が押してある。 第一巻の「名古屋控訴裁判所」の用紙の裏表紙直前の記述はなんだろ。https://t.co/6llwKMvCvF 南山郷士士族編入の件とか?
東京国立博物館の明治時代書かれた? 徳川宗敬氏寄贈の諸系譜 https://t.co/Y81H1mjEA6 には椿井家は無いみたい。 椿井政隆作椿井文書関連史料の国立国会図書館で2016年デジタル化された諸系譜には 明治2年椿井萬次郎について書かれてるから明治2年以降の記録。 https://t.co/6llwKMvCvF h
諸系譜の椿井権之助政隆(~1841/01/18) と同じ名前の椿井権之助はご先祖様にもいる https://t.co/Hz9Ab75vsn 。 椿井権之丞政矩は1808年死去で無関係。 でも 維新当時生存の椿井権之丞のお話しでないならこのエピソード自体が嘘になるので、 何を信じていいのかが不明。 椿井文書ややこしい https://t.co/Kj9aqhXNrK
椿井権之丞は政隆で椿井文書作者という。 諸系譜では権之丞は椿井権之助政隆の父親。 でも、 https://t.co/6llwKMvCvF https://t.co/N3rcbobbcv
馬部さんの椿井文書の 椿井政隆(1770-1837) 「平群姓正嫡椿井家系図(『椿井文書』p.19)」の 椿井権之助 政隆は (1770/6/18-1838/01/21) 「寛政重修諸家譜 https://t.co/7CM04OU5qJ 」の椿井政堯(マサタカ)は1770年頃生まれ 「諸系譜 https://t.co/6llwKMvCvF 」の 椿井権之助政隆(~1841/01/18) https://t.co/R8Db73dIqY
椿井文書19頁「平群姓正嫡椿井家系図」では 出生日、家督相続日、大蛇を退治した日はちゃんとした干支が入ってるのに、 大事な命日は「酉」のみ。 「法号 南照院誠誉至頓政隆大徳」は 諸系譜 https://t.co/6llwKMvCvF の「南照院誠(誉)至頓政隆居士」と異なる。 でも非公開だから確認できないな。 https://t.co/CgKXAlCtVj
馬部氏は「郷社三之宮神社古文書伝来之記」の椿井権之丞を直ちに椿井政隆として、これにより椿井文書椿井政隆作説を立てた。 でも「諸系譜 https://t.co/6llwKMvCvF 」では椿井権之丞政矩(~1808/12/27)は 椿井権之助政隆(~1841/01/18庚子壬午)の父。 https://t.co/ai6Y3J3F5U
「郷社三之宮神社古文書伝来之記」三宅,1911に登場する 椿井権之丞が椿井政隆だと馬部さんは言う。 でも諸系譜では椿井権之助政隆の父 https://t.co/6llwKMvCvF 。 浅田家文書でも権之丞、権之助、萬次郎と出てくる。 椿井権之丞=椿井政隆は間違いでは? では椿井文書の作者は誰かな? https://t.co/7LVuOvYRKO
諸系譜の 椿井権之助政隆は1840年没 https://t.co/6llwKMvCvF 『企画展近江の歴史家群像』栗東歴史民俗博物館,1998の 椿井権之輔は1837年没 『椿井文書』の椿井政隆も。
明治時代の系図に 椿井権之助政隆と 椿井萬次郎の親子 https://t.co/5nqS2kNL2M 。 中村直勝氏が椿井文書販売業者と書いた木津の今井氏かもしれない 今井良政氏が 1913年建立した1892年卒 椿井萬次郎の墓碑(群像2020年11月号,講談社) 実在の人物椿井権之輔と結びついた地点 https://t.co/1cYVDPQVCH
椿井政隆の墓は見つからず明治時代の家系図 https://t.co/5DSrwAgRVU に息子とある 1892年没の椿井萬次郎の墓が 1913年今井良政-三宅氏と王仁博士末裔と書かれた三松氏が三之宮神社古文書類を買い求めた人(共に買った系図で「王仁墳廟来朝記」を椿井文書と鑑定)によって建てられていたそうですね。 https://t.co/StVSdbGbDR
『諸系譜』で椿井萬次郎-政隆親子の家系が示されているけれど、明治2年の記載があるから 明治時代のとても新しい記録。 #椿井文書 https://t.co/5nqS2kNL2M 。
@tonchi_jin 椿井文書の椿井政隆の曾祖父、祖父、父は、椿井庄の名家である椿井家と血縁関係にないようにうちには見えますがあってますか? この系図は本物でしょうか? https://t.co/6llwKMvCvF
@tonchi_jin 息子萬次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M は南山郷士盟主で、士族に編入されました https://t.co/5CVNb4bDF9 。 その根拠とした文書は椿井文書だったのかも。 お家の格式を上げる=パパりん椿井政隆から萬次郎氏への愛のプレゼント? https://t.co/x8Hql1r07L
@tonchi_jin 椿井政隆は木津の今井家と姻親で、 木津の今井家・椿井家が椿井文書をオーダーメイド販売したと中村直勝氏は記録していますが、 息子・萬次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M が南山郷武として士族に編入された https://t.co/5CVNb4bDF9 のを知ったら、喜ばれたかもしれませんね。 https://t.co/MEcslRueCE
南山城郷士へ西洋砲術を教えた三松氏は津田の三宅氏へ 三之宮神社文書類は椿井政隆死後零落した故に木津の今井家へ質入れされたと述べたけど、 政隆の子・萬次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M は南山郷士として士族へ編入されているはず https://t.co/5CVNb4bDF9 では? #椿井文書 https://t.co/PLBd9WoBwf
@TaniYoko 椿井政隆ご子息の椿井萬次郎 https://t.co/5nqS2kNL2M と同じく 1885年士族へ編入した南山郷士の今井氏が、 彼等へ西洋砲術を教えた三松氏へ販売した文書だったのかも。 家系図類は村人を「郷士」に変えて伝王仁墓周辺の土地(後の陸軍病院)を陸軍で使用する為のプロモーションでは? #椿井文書
椿井政隆の息子の椿井萬次郎は家系図にも書いてある https://t.co/5nqS2kNL2M 。 この家系図が本物かどうかは知らないけど 椿井萬次郎氏は南山郷士として明治18年1885年士族に編入されてるのでは? 椿井文書の遺族が財産を失い政隆氏の書画を木津の椿井家へ質入れって変だよね https://t.co/5CVNb4bDF9
文化五年(1808)没の椿井権之丞政矩 天保十一年(1840)没の椿井権之助政隆 明治二年(1869)禅正?門兵の椿井萬次郎政福 の実在性はいつ誰がどのような方法によって確認したのでしょう? #椿井文書 https://t.co/qgy4EI6G4k https://t.co/5ajiheu78i
@pririn_ ネット上ですぐ確認できるものだと、明治時代の裁判官、中田憲信が全国の系図類を書写した『諸系譜』には椿井家の家系図が見え、椿井権之助政隆とあります。https://t.co/Xjo3rhNETv https://t.co/KnvDfazPPF
@TaniYoko @fushunia 私の専攻は系図だったのでその範疇でお答えいたしますが、偽文書(偽系図)と見破ることは容易に可能です。 例えば、明治時代の裁判官、中田憲信が全国の系図類を書写した『諸系譜』には椿井政隆の家系図が見えますが、カバネも通字も出鱈目な内容で論ずるに値しません。 https://t.co/kdszYvuJJV https://t.co/AAn3x0wg72
何の気なしに国会図書館デジタルコレクションの中田憲信『諸系譜』を眺めていたら、"あの"椿井文書で有名な椿井政隆の家系図が所収されていた。『古代氏族系譜集成』には椿井文書と関係ありそうな系図は全く見えなかったからびっくり。 https://t.co/Sc93qffdz4 https://t.co/iHPxZGerVp

収集済み URL リスト