言及状況

外部データベース (DOI)

Twitter (9 users, 17 posts, 0 favorites)

枚方交野の七夕伝承を馬部隆弘氏は強く否定するけど、 椿井政隆が生まれる前に 天野川上流で「星の森有。星の社あり。其神は牽牛織女也」貝原益軒,南遊紀行 https://t.co/7Y0bXIcWi7 とあるし、天野川には岩船(石船)があるので、 #椿井文書 https://t.co/pDuKYGyQt4
@nemurikappa @BlogBurari 貝原益軒『南遊紀行』はこの国立国会図書館デジタルの頁で読めます https://t.co/7Y0bXIux9F 。 天野川を遡った谷合にある「星の森有。星の社あり。其神は牽牛織女也」 伊勢物語に出てくるのは、 #椿井文書 https://t.co/5q5Has74w2
「地名からの想起で、現代人が『伝承』を創作した」可能性を吟味する前に、 枚方市~交野市~生駒市と天野川をさかのぼって「星の森有。星の社あり。其神は牽牛織女也」と江戸時代の紀行文に書かれたのを検証するのが普通は先では? https://t.co/edbXzJ6mbl #椿井文書 https://t.co/xlyB4cEq5y
@BlogBurari 引用「天野川という地名が平安時代からある生駒市・交野市・枚方市が観光振興したいから、 江戸時代貝原益軒がその意向を汲んで南遊紀行に「星の森有。星の社あり。其神は牽牛織女也」と書いたの? #椿井文書 」 https://t.co/UXuNMlw5lG
鈴木忠侯は元禄2年(1689)交野郡の天野川水源を書いた貝原益軒の南遊紀行「此谷のおくに、星の森有。星の社あり。其神は牽牛織女也」 https://t.co/QUzqxY8E3U を踏襲している。南遊紀行は1733年五畿内志より前。
三戸野であれば、ここになるのだろうか? https://t.co/b1louqlX1R
天野川水源が貝原益軒が書いた田原の里「此谷のおくに、星の森有。星の社あり。其神は牽牛織女也」 https://t.co/QUzqxY8E3U で、交野と田原の里は天磐舩 https://t.co/xxjHjrbtGB 伝承がある磐船で共同祭祀してた https://t.co/5rHnPX7jN0 から、馬部隆弘先生否定の七夕伝承はあるよ
天野川(天河・天川)と竜田川の水源の南田原の住吉神社には天磐船(舩)伝承の巖船神祠と星森泉が記録されていて https://t.co/MbU4tjyZ0H 、貝原益軒が1689年の旅行を記録した南遊紀行にも出て来る https://t.co/QUzqxY8E3U
生駒市の下田原・上田原・旧東田原はもの凄く綺麗な場所。何も無いけれど田んぼが広がって谷で。あれはなんだろうな。確かに桃源郷みたいに思う。 https://t.co/QUzqxY8E3U
南遊紀行の星の森と星の社はやはり田原谷側だろうと思うけど。天の天の川も2筋にわかれているから、下田原天満宮と南田原の住吉神社ではないのかしらん? https://t.co/QUzqxY8E3U
現在の磐船街道は昔は存在しなかったのか。貝原益軒は南遊紀行で天川を沢登りしている https://t.co/1jrP8moZmx 。河内細見図の岩舟越の道は、逢坂の寺社~ゴルフ場~磐船神社北側の橋を奈良県の高山へ抜ける山道 https://t.co/JTQ0wYKt6k
東遊雑記にあるアイヌの甲冑、兜が円錐型で見た事ないタイプなんだけど、どの地域からの流れをくむものなのかしら? https://t.co/8kCGuneQ6T(250コマ目)

Wikipedia (1 pages, 2 posts, 2 contributors)

編集者: らんで
2016-05-04 23:27:35 の編集で削除されたか、リンク先が変更された可能性があります。

収集済み URL リスト