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投稿一覧(最新100件)
“桃花源記”に描かれる村と、全く同じ“異境”はナイですね。
・・・でも、昔の人々が“理想郷”と感じた異境(例えば“常世の国[とこよのくに]”)とか“仙境”は、日本では今も様々な形で伝わっています。
例えば“丹後国風土記逸文”や“日本書紀”他で記録されている、“浦島子(浦島太郎)”が、竜宮を訪れる話しも、その一つでしょう。
・・・・・※㋐“丹後国風土記”逸文:8世紀に成立。主人公は ...
詳しくとのことで、少し長くなりますが・・・。
先ず、“接待を受けたり、金銭を供与されたりした”事があったとしても、“金で転んだ”とは、考えられないですね。
ソレは、第一議会での植木枝盛の様子から。
彼らが反対していたのは、“軍拡予算=減税を認めない予算”!
コレに同意したのは、“彼ら(土佐派)の信念”を、山県首相が巧みに衝いた結果だと思っています。
先ず、当時の彼らや山県ら元老にとって、①“ ...
平安時代半ば頃では、①菅原孝標女(たかすえの・むすめ:名前は未詳)の“更科日記”の首部がソレです。つまり1020年、父の任国・上総(かずさ)から京へ戻る旅の記録が回想の形で載せられています。
鎌倉時代では、定家の息子の妻阿仏尼(あぶつに)が、相続をめぐる裁きを付けて貰うため、京から鎌倉へ旅したのが②“十六夜日記”。
これが江戸時代になると、太平の世となったため、ドンと増えます。
例えば、③浅 ...
どちらでも良いですね。
でも受験では、“民撰議院設立建白書”です!
それは、板垣らが提出した“建白(意見書)”に、“民撰議院設立建白書”と書かれているからです。
その部分は、“自由党史(板垣退助の名前で出版:例えば岩波文庫)”の87頁に掲載されています。
・・・・・※“民撰議院設立建白(書)”の様々な呼び名:板垣は“自由党史”で、“森有礼の議院建白の批判(137頁)”というように、“議院建白 ...
“法令全書”が、国会図書館のデジタルアーカイブで閲覧できます。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787952?contentNo=11
をチェックしていただくと良いかと思います。
なお、画面左肩に“コマ番号”のブルダウンがあります。
その701/768番で、1273ページ~です(^^)/
勘合は、現存しないはずです。
それは、皇帝が逝去すると、その代の勘合は回収され、新たなモノが再交付されるから。
しかし“戊子入明記”に、勘合(明への渡航用)の模写したモノが載せられています。
そして現在それは、国立国会図書館デジタルアーカイブで以下、経緯と共に見ることが出来ます。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920226
・・・“續史籍収攬”第一 ...
例外もいますよ(^^)/
道長は、『御堂関白記』という日記を残しています。
そしてその原本が国立国会図書館に保存され、デジタル化され閲覧できるようになっています。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1111828
この時代の日記は、今の個人用の日記と違って、子孫に“儀式の次第”や“先例となるモノ”ほか、子孫のために書き残した記録書です。
...
『公卿補任(くぎょうぶにん)』という便利な本があるのですが、そのタイトルとおり、公卿(三位以上)+参議(四位位上)についてしか記録していません。
なので、登場するのは“太政大臣+左右大臣+大納言+中納言+参議”に限られます。
ですから、ご存知かも知れませんが、単独では、八省の長官(卿:正四位上or 下)や太政官内の事務方である大弁(従四位上)・中弁(正五位上)・少弁(正五位下)・少納言 ...
延暦13年ですから、桓武天皇の下、“馴染みのある人間”は出てこないと思いますが、以下の様なスタッフになります。
つまり普通に考えれば、下のメンバーが図って、桓武天皇が承認したのとなります。
最高位が右大臣の、正2位藤原種縄(68才)。
大納言が、正3位藤原小黒麻呂(おぐろまろ。62才)。
中納言が、正3位紀古佐美(きのこさみ。62才)、従3位神王(みわおう。58才)、従3位壱志濃王(い ...