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毛利輝元の石高は吉川広家・毛利秀元の石高を含み、九州の小早川秀秋・小早川秀包の石高を含みません。ただ「120万石」についてはちょっと注意が必要です。
毛利家文書に天正19年(1591年)旧暦3月13日付で発給された領知朱印状・領知目録が残っておりますが(『大日本古文書 家わけ文書第8 毛利家文書之三』所収)、それによると領知は「安芸 周防 長門 石見 出雲 備後 隠岐 伯耆三郡 備中国之内、 ...
専門家も本当の理由が判っておりません。松下志朗「近世初期の石高と領知高」(経済学研究42巻275頁(1977年))の脚注31によると、「今野真氏の御教示によれば、上杉氏の出羽国分が除かれているのではないかということであるが、後考に俊ちたい」とありますが、その詳細が論文なり本なりに活字化はされていないようです。ただ最上領と上杉領(庄内)はどっちも差出検地ですので、そこに原因があるのは間違いありません ...
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