10 0 0 0 OA 続群書類従

著者
塙保己一 編
出版者
続群書類従完成会
巻号頁・発行日
vol.第25輯ノ上 武家部, 1926

言及状況

外部データベース (DOI)

Yahoo!知恵袋 (1 users, 2 posts)

毛利輝元の石高は吉川広家・毛利秀元の石高を含み、九州の小早川秀秋・小早川秀包の石高を含みません。ただ「120万石」についてはちょっと注意が必要です。 毛利家文書に天正19年(1591年)旧暦3月13日付で発給された領知朱印状・領知目録が残っておりますが(『大日本古文書 家わけ文書第8 毛利家文書之三』所収)、それによると領知は「安芸 周防 長門 石見 出雲 備後 隠岐 伯耆三郡 備中国之内、 ...
専門家も本当の理由が判っておりません。松下志朗「近世初期の石高と領知高」(経済学研究42巻275頁(1977年))の脚注31によると、「今野真氏の御教示によれば、上杉氏の出羽国分が除かれているのではないかということであるが、後考に俊ちたい」とありますが、その詳細が論文なり本なりに活字化はされていないようです。ただ最上領と上杉領(庄内)はどっちも差出検地ですので、そこに原因があるのは間違いありません ...

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続群書類従版の『小田原衆所領役帳』 https://t.co/trDKPGBDGK を見てますけど、太田大膳亮の所領の矢向が矢田と誤記されてたり、染屋が満屋に誤記されてたり、 群書類従は本当に誤記が多いので、別系の写本または原本が残っていたら、結局そっち探し出して確認する必要があるのが面倒くさい。。。 https://t.co/vnQ0XB0qhv
同様に 続群書類従 巻第712『成田家分限帳』 https://t.co/gGjwoyjqRM これも、多いに怪しい点がある。 そもそも、この史料は 「熊谷宿の布施田氏が持っていた分限帳を、寛保の洪水に浸かって腐れりかけてたのを信之という人が糾し写し残した。」 とあるので、原本でもなんでもないのですよね。 https://t.co/SvX5vyPAlw
『続群書類従』第25輯(上)で「巻第七百五 兵具雑記」として翻刻されてた!ありがとう塙保己一氏! https://t.co/SXoAtBM0dY
https://t.co/jIqnSTcNbx 沙汰未練書
落乱6巻できりちゃんが言ってた大将の落馬の話「左へ落ちるのは不吉だが、右へ落ちるのは吉」「だから馬に乗るときは左から乗れってさ」が載ってる本みつけた。 『軍中故実』左ページ下段左から1行目 続群書類従. 第25輯ノ上 武家部 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/Tmdf1JZG9R

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