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源頼朝の母親は、熱田大宮司を務めていた藤原季範の娘・由良御前です。 源義経の母親は、有名な常盤御前ですよね? この兄弟の父親・源義朝の「贈正二位、内大臣」についてですが、「尊卑分脈」にはちゃんと書かれていますよ。 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991591/2?tocOpened=1 Wikipediaには「平家物語にしかない」と書かれて ...

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次回は全成叔父上と実衣の子・頼全が出るようだな。 尊卑分脈では叔父上の子は6男2女だが、母が阿波局(実衣)と明記されてるのは四男の時元(または隆元)だけなんだ。そして娘の一人が京の貴族に嫁ぐが、相手の藤原公佐の実父は源平ファンにはおなじみ藤原成親殿です。 https://t.co/w2CkkBQhqk https://t.co/mZcEkQ5qZc
@twlamic @oukei01 @Pye9Q @yamakawa_hare 以前守護様の祖先斯波義重が歌集で正三位と記されていることを書きましたが、その息子斯波義淳が正三位になったことを記した『尊卑分脈』を確認しました。 また義重も『正三イ』と記載があります。 ↓のコマ番号43に記載があります。 https://t.co/SKz4pOM4Kj
与清の比定は、細川俊氏の子・頼春(頼之の父)の叔父なので、『尊卑分脈』にも載る頼貞とわかる。図は少し編集して故実叢書から。(https://t.co/esCVKu6h1e) 続群書類従の『清和源氏系図』や『細川系図』では「頼貟(頼員)」に作る。(https://t.co/sYLJUEPX7j)(https://t.co/lZPbORcZ4T) https://t.co/9RHtrpDmQc
そーまきゅんの家系図の先頭部分(推定)が国立国会図書館がWeb掲載してくださってる尊卑分脈で見れる コマ番号28の左側です https://t.co/JrrPMfgnhA 源範頼→子孫の範圓→(途中不明)→神崎姓のようです無理すき……
越前は従四位下越前守源経宗のむすめとして尊卑分脈のここ https://t.co/HxDzTn01OF に。兄兼俊に母大中臣輔親女と書かれていることに注目すると、集の編者は「家の風」に直前に出ていた伊勢大輔(輔親むすめ)や輔親のことを読み取ってこの歌をこの場所に置いたか。
かのみこ、は六条宮中務卿具平親王か(寬弘六年七月廿八日(1009)薨 年四十六https://t.co/Fx7k9bybre )。従五位上備前守為善(-1042)はここ https://t.co/9O5lure535 。道済(-1019)のいとこで、「難後拾遺」の経信の母の兄弟。
源兼俊母は高階成順と伊勢大輔のむすめ。尊卑分脈 https://t.co/HxDzTn01OF では源経宗の子兼俊は笙和琴陪従筑前守従四下兵部少甫、母は大中臣輔親女となっている。宇治前太政大臣は頼通(992-1074)。橘為仲も気持ちを打ち明けられる相手であったという事だろう。
源経任 越後権守従五下 https://t.co/UWxoyhrgWy 。この https://t.co/9Ho1nTLOsa 式部大夫源政成の父 と同一人物とのこと。
源道方の子のうち、経長、経信は播磨守国盛女(延久三―永長元)の子でいずれも正二位に達しているが、経隆は備前守正四位下であった。 http://t.co/ec6BlhNzNO
兼澄は尊卑分脈ではここ http://t.co/sNUGhDnGet すなわち信孝の子。父の長兄が信明。寛和二年は西暦986にあたる。
資通の子源師賢(1035-81)の妹は「権大納言経成室 成宗母」(尊卑文脈 http://t.co/5tkGuOyBvJ )。源経成(1009-1066)。小左近 https://t.co/qvHMpg3AEz は中原経相むすめ、新左衛門の姉とする勘物があるらしい(岩)。
「為善」「おしへきぬ」(國)。源公忠-信明-国盛(播磨守)-為善(備前守) http://t.co/9O5lurNh2H 。信明の弟信孝(鎮守府将軍)の子が兼澄(加賀守) 尊卑分脈では次のページ 62/94。

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