- 著者
-
間枝 遼太郎
- 出版者
- 北海道大学大学院文学院
- 雑誌
- 研究論集 (ISSN:24352799)
- 巻号頁・発行日
- vol.20, pp.17-37, 2021-03-31
本稿では、叡山文庫天海蔵に蔵される『諏訪大明神画詞』の写本を紹介し、そのうちの縁起絵第五までの翻刻を行う。『諏訪大明神画詞』の写本はこれまで諸本系統が整理される中で十数本が確認されているが、当該写本はそれら先行研究にて言及されたことのない新出本である。
「天海蔵」は南光坊天海が蒐集した典籍の総称で、それらは天海の死後、承応三年(一六五四)に毘沙門堂公海により日光山・比叡山・東叡山の三山に分置された。現在の叡山文庫天海蔵の典籍の多くは、その際に比叡山に配されたものである。そこから当該写本についても天海旧蔵本であったことが予想されるが、そのことは、同じく新出本である正教蔵文庫本『諏訪大明神画詞』の奥書に、万治二年(一六五九)に慈眼大師(天海)の本より書写した、とあることから裏付けられる。この正教蔵文庫本の底本となった「慈眼大師御本」こそ、現存する叡山文庫天海蔵本のことであると判断でき、その書写年代は少なくとも天海の死去する寛永二十年(一六四三)以前と考えられるのである。
なお、『諏訪大明神画詞』の諸本の書写年代は、最も古いものが文明四年(一四七二)写の権祝本(神長官守矢史料館所蔵)、次に古いものが慶長六年(一六〇一)写の梵舜本(東京国立博物館所蔵)とされるため、この叡山文庫天海蔵本は現在確認できる中でおおよそ三番目に古い写本ということになる。ただし、最古写本とされてきた権祝本に関しては、権祝綱政(明暦三年(一六五七)死去)の書写本を写した系統の本であり江戸中期以降の成立ではないか、とする説もあり、その書写年代については更なる検討が必要な状況にある。権祝綱政書写本と同時期かそれよりやや早くに成立したと考えられる叡山文庫天海蔵本の存在とその本文は、そうした諸本の問題を考える際にも重要な手掛かりを与えてくれるだろう。