著者
春成 秀爾
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.3-65, 1991-11-11

近畿地方の弥生V期(2世紀)の壺形土器には,円形,直線形,三叉形,弧形などの記号を,箆描き沈線や竹管紋・浮紋で表現した例が知られている。これらの記号の大部分は,当初から抽象化された記号として出発したとする説が有力である。その一方,先行するIV期(1世紀)の土器や銅鐸には,鹿を筆頭に建物,鳥,人物,船などの具象的な絵画が描かれている。画題の出現頻度によると,鹿と建物または鹿と鳥を主題とする神話・儀礼が存在したことを推定しうる。円形にせよ,直線形にせよ,個々の記号には多くの変異が存在する。IV期の絵画も同様に画題ごとに変異があり,鹿・建物や船は,写実的なものからそうでないものへと順を追っていくことができる。そして,記号もまた複雑なものから単純なものへと辿っていくことが可能である。そこで,表現の省略が進んでいるが画題を特定できるものと,個々の記号のうち複雑な形状をもつものとを比較すると,鹿から円形記号へ,建物から直線形記号へ,船から弧形記号へ,というように,絵画と記号が連続する関係にあり,絵画の大幅な省略によって記号が成立したことが判明する。こうして,V期においても,鹿と建物または鳥を対合関係とする神話・儀礼が存続したことを推定できる。記号はVI期(3世紀)になると消滅する。絵画から記号へ,そしてその消滅は,農耕儀礼のために手間をかけて土器を作り,儀礼そのものも時間をかけて念入りにおこなう段階から,農耕儀礼の実修にあれこれ省略を加えて時間をかけなくなる段階への移行,すなわち集団祭祀の衰退を意味している。絵画をもち農耕儀礼の場で用いる「聞く銅鐸」が政治的儀礼に用いる「見る銅鐸」へと変質するのも,その一環である。それは,特定の親族あるいは首長の顕在化を表す墳丘墓の発達に示される政治的儀礼の比重の増大に起因するものであった。

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