- 著者
-
黒崎 剛
- 出版者
- 日本医科大学
- 雑誌
- 日本医科大学基礎科学紀要 (ISSN:0389892X)
- 巻号頁・発行日
- vol.36, pp.1-51, 2006-12
前節において私たちはヘーゲルが意識経験学の目標を「精神」と規定したのを見た。ここに『精神現象学』における最大の理論問題が生まれる。すれはすなわち、個別的意識を陶冶して真理認識の根拠である「思考と存在との同一性」の境地に達しようとする過程が、「二つの自己意識の相互承認」を達成しようとする過程と合体させられてしまうことである。では、このふたつの過程が「意識の経験」としてひとつに重ねあわされるとき、何が起こるのであろうか。彼がこの二つの過程を一つにして、自己意識を「思考」として完成させる箇所が、自己意識論の「A 自己意識の自立性と非自立性、主であることと奴であること」であり、さらに思考としての自己意識の三段階構造を示すのが「B 自由な自己意識」である。本稿ではこの二つの箇所の展開を追い、ヘーゲルがこの二過程を重ねた成果として誕生するのは決して他者との相互承認関係に配慮する成熟した理性ではなくて、むしろ「自然」と「労働」とを忘却し、「相互承認」を現実的に形成するという課題を「共同主観性」という意識の問題に還元してしまうヨーロッパの近代的理性概念の典型であることを明らかにしてみたい。