著者
南川 幸
出版者
名古屋女子大学
雑誌
名古屋女子大学紀要. 家政・自然編 (ISSN:09153098)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.99-110, 1994-03-05

植物生態学や栽培植物と民族学の成果を総合した境界領域に新しい学説を展開された。そのなかで照葉樹林帯(Laurel forest zone)に住む民族間には数多くの共通の文化要素が存在することを指摘し,照葉樹林帯に住む日本民族の文化起源を求めるに当って,今なおかなりの伝統文化を温存継承していると評されている揚子江の東側(江南地方)の山岳地域から言責高原地方にかけて生活する少数民族による自治区の調査が有意義であり,そのいくつかの起源伝統が明らかにされることが期待されている。本学研究所はこれら地方の少数民族の諸習慣や文化について予備調査を実施してきた。我々はこれまでの東アジア南部高原植生調査の資料をもとに京都大学自然科学分野の研究者の協力を得て,少数民族生活圏の自然環境のうち生物界の基盤をなす植物界の現況について植物相及び植生調査を,日本列島の照葉樹林域南部にある北九州地方の植生の再点検よりはじめ,本格調査を韓国南部・浙江省(Zhejiang)・安徽省(Anhu1)・江蘇(Jiangsu)などの華中地方,福建(Fujian)・広東(Guangdong)・広西(Guangxi)・貴州(Gulzhou)の華南地方,雲南省・韓国南部をはじめとする中国西南地方について実施してきた。ただし,四季にわたっての調査は困難なため,植物の生育最盛季を選んで調査を実施した。今回は本研究所が食文化を中心に調査を行っている少数民族生活圏となっている雲貴高原の植物相・植物社会学的調査を実施した。雲貴高原の概観及び調査目標 空路昆明へ,空より言責高原に入ると一帯は地層線にそって浸蝕(eroslon)された裸地は各所に石灰岩(hmestone)の露岩群の散在した煉瓦色(Brick red color)の大地が果てしなく広がり,高原の頂部付近まで延々と等高線にそって段々畑が耕作され,樹林らしき緑地は,10数年前より言市松を主とした緑化(tree planting)を推進するための植林(afforestation)が進められているためか,集落(village)付近の緩傾料面のきわめて一部には疎ながら樹林地がみられる程度である(写真参照)。調査地域の雲南省から責州省にかけて広がる雲貴高原の一部をなす〓東高原一帯は資料の気温及び降水量の表及び分布図に示すように,概して1月(冬季)の平均気温は6〜8℃,春季は16〜18℃,夏季は19〜21℃,秋季は15〜16℃ほどのようである。また,地形の変化が大きいため,かなりの気温差がある。すなわち,年平均気温をみると高原部では13.7℃,山地になると7.1℃,南盤江をはじめ諸河川の河谷沿いの集落付近では20.3℃,冬季寒冷季の気温は高原部,5.7℃,山地部1.3℃,河谷域12.6℃を示し,夏季の気温は高原域18.1℃,山地域11.9℃,河谷域25.2℃を示し,年較差は高原域12.4℃,山地域10.6℃,河谷域12.6℃を示している。対象諸民族の生活環境について概観すると,この種族の主な居住地域は雲貴高原の東部で,東経104°〜108°,北緯24°〜27°の間にあり,地域は大部分標高400 m から1100 m の間に位置し,最低地域は谷底平地の標高240 m 前後の地域,最高丘陵峰になると2000 m を越えている。自後一帯は約2億2500万年前よりの地殻変動によって次第に隆起しけじめ,約300万年前の強烈な地殻運動により一挙に大幅に隆起して現在の石灰岩大地,雲貴高原の原型ができ,その後諸種の浸蝕変遷をへて現在,路南の石柱や元謀近くの土林奇峰に象徴される石灰岩地形を温存する雲貴高原が形成された。次に雲貴高原の植物相の概況として高原性の儒生低木群落(dwarf scrub),矮生低木(Krummholtz)を含む乾生草原(dry meadow),少数民族往地圏の農業地帯(agricultural region)及び農生態系(agro-ecosystem),周辺の緑披生態及びそれらの組成桂及び日本列島における照葉樹林帯植生との共通性などについての調査項目を目標として調査を実施した。また,この地方が照葉樹林帯域であることを植物相より追求すると共に照葉樹林の仮相群落(climax community)の残存地帯を求め,この帯の組成・皆層構造と日本列島,特に九州の同気温帯との相関性などについて調査することにも意を用いた。先づ矮生低木群落調査対象としてタチバナモドキ属(Pyracantha)のタチバナモドキ(Pyracantha angustifolia)やバラ科(Rosaceae)の種,ミカン科(Rutaceae)のフユサンショウなどを優占種とする植生と植物相,少数民族生活圏一帯の植物社会,植物相,生活基盤をなす農作物及び環境について雲南吉見明市・高明市・路南彝族自治県,貴州省の興義市を中心とする少数諸民族の生活圏内の一つの典型と評されている布依族圏の巴結鎭・馬峰鎭,杉脚村(ミヤオ族),六豊を中心とする低海抜の泯谷鎭をはじめとする地域の概況,作物原種を含む河畔湿性植生調査のため南盤江(興義近くの馬別河の頂效より上流域)の河畔湿性植生,照葉樹林の典型的な温存地域などについて得られた役料に基く調査を実施した。また,茸類が多発生し,食用に供しているらしいこと,菌類
著者
内島 幸江 平野 年秋 南 廣子 胡 国文
出版者
名古屋女子大学
雑誌
名古屋女子大学紀要. 家政・自然編 (ISSN:09153098)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.125-135, 1994-03-05

近年,照葉樹林文化論を中心として日本文化の基層を追求する研究が展開されている.最近の比較民族学的研究により,中国西南部(貴州省・雲南省)からヒマラヤ南麓にいたる照葉樹林帯における民族文化の特色と,わが国の伝統的な文化の間には極めて強い共通性と類似性が見られることが明らかにされてきた.すなわち,モチ,茶,大豆発酵食品をはじめとする食文化や,歌垣,各種の民話や稲作を中心とした農耕文化などの日本と共通した特色がみられることが知られるようになった.また,栽培稲の起源地として,このアジア大陸の亜熱帯圏に属する丘陵山岳地帯である「アッサム・雲南」を中心に考えられており,この地域から揚子江流域へと伝播し揚子江に沿って東へ展開した稲作が,江南一帯から東シナ海を渡って日本の北九州に達しだとするのが,日本へのコメ渡来説の中で最も確実性が高いルートの一つと考えられている.この稲の起源地の周辺の雲南・貴州一帯に走る大高原は起伏の激しい山地であり,そこにさまざまな民族が錯綜して居住している.中国ではそれぞれの民族が相互に交渉しつつ中国の歴史を形成してきたのであり,各民族の習俗・習慣も相互に影響を受けながら,種々の要素が複合した文化を育んできたものと考えられる.貴州省では現在少数民族として公認された集団のなかで苗族が最も多く,第2位は布依族が占めている.中国の苗族総人口の約半数が貴州省で生活(368.6万人)し,また全国の布依族のほとんどが貴州省に居住(247.8万人)しており,両民族とも古い歴史を持ち,多くは漢族の南下に伴い,漢族の勢力に圧迫されてこの地に移住してきた民族であり,照葉樹林文化を継承してきた人々である.一般に少数民族のあいだには,東アジアの古層文化が残存していると考えられているが,貴州省についてのこれまでの民族文化に関する報告は東部,中部を主体としており,西南部地域の苗族,布体族の人々の食生活の実態については,いまだ多くの知見は見られない.この貴州省西南部は交通の不便な辺境の地であるが,数年後に完成予定の鉄道敷設や空港建設,大型ダムの建設計画があり,今後これらの急激な開発の影響を受けて自然環境や社会環境が変化し民族の特色が消失する危惧が持たれるところである.なお,中国の経済政策等の変化も注目されるところであり,それに伴って食生活も多元的に変容するものと思われる.そこで現在の食形態を調査し,この地域の苗族および布依族の食文化の特色を明らかにし,今後の食生活の方向を探ることを目的として本研究を行った.本報ではこの地域の苗族,布依族の現在の食生活状況を把握するため現地調査を行い,食文化の諸側面のうち食品の利用状況について比較検討した.